形容詞承接の「です」について ‐形容詞述語文丁寧体の変遷‐

こんばんは、夜ゼミ3年の三浦結です。毎回期限ギリギリの提出になってしまい申し訳ありません。留学中の神村くんが3月に帰ってくるそうなので、就活の合間に飲みに行きたいですね。彼はオーストラリアでも大好きなクリームパンを食べているのでしょうか。

さて、今回は以下の論文を要約しました。

浅川哲也(1999)「形容詞承接の「です」について ‐形容詞述語文丁寧体の変遷‐ 」

國學院雑誌第100巻5号, pp32-53

私は後期から、電車のアナウンスの「危ないですから」のような「形容詞+です」の用法について調べています。前回の発表はyahoo!知恵袋やTwitter検索など現在における「形容詞+です」の使い方がメインになっていたので、今回は明治期にさかのぼってこちらの論文を要約しました。

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浅川は形容詞承接の「です」が東京語の形成過程の中で標準語として一般化するに至った史的経緯を調査し、その原因について考察している。

明治期の口語俗語文典などから「形容詞+です」が地方語の流入によってもたらされたものだとした上で、噺本、人情本、開化期文学、言文一致体以降の小説など天保4年(1833)~明治40年(1907)までの計88作品(坪内逍遥『当世書生気質』、二葉亭四迷『浮雲』、尾崎紅葉『金色夜叉』、夏目漱石『吾輩は猫である』など)を対象とし、形容詞承接の「です」についてまとめている。

形容詞承接の「です」の例は明治20年代から増加しているが、作品と作中人物の性格によって多用する作家(二葉亭四迷、山田美妙、泉鏡花など)とそうでない作家にわかれている。明治20年代初頭の形容詞承接の「です」使用者は書生・荘士・地方人が主で、これらの人物は「動詞・助動詞+です」も併用する傾向がありこの時期の形容詞承接の「です」は方言や書生語の域を出ない。

・先生、こりや赤心です。どうぞ正義のために奮いたいです。(『白玉蘭』荘士・関源介→黒江徹)

その後明治20年代後半から30年代にかけて、男性に限ってではあるが東京出身者の間においても形容詞承接の「です」が使用されるようになったと思われると述べている。『金色夜叉』では東京出身の間貫一にこの例が目立つ。

・高利貸の目には涙は無いですよ。(中編第二章、間貫一→赤樫満枝)

明治30年代後半には江戸生まれの夏目漱石が『吾輩は猫である』(明治38年)、『坊ちゃん』(明治39年)において江戸っ子の主人公たちに形容詞承接の「です」を使用させている。

・いや、さう事が分かればよろしいです。丸[たま]はいくら御投げになつても差支はないです。(『吾輩は猫である』八、珍野苦沙弥→論理の先生)

・正直にして居れば誰が乗じたつて怖くはないです。(『坊ちゃん』五、坊ちゃん→赤シャツ)

形容詞の「です」の総数は186例であり、上接する形容詞等の異なり語数は29である。出現頻度の高い形容詞等を順にあげると次のとおりである。(後藤の―は助動詞・接尾語であることを表す)

「ない」59例、「-ない」32例、「いい」31例、「-たい」14例、「面白い」6例、「悪い・うまい・危ない」4例、「むつかしい・相違ない・よろしい」3例、「よい・安い・惜しい・いけない・甚だしい」2例。

形容詞「ない・いい」は音節数が少なく言い切りになりやすいため、丁寧語「です」が終助詞的に接続しやすいと思われる。

また形容詞承接の「です」の男女間の使われ方をみていくと、明治30年代に至るまでほぼ男性専用の言葉であった。これは発生当初は特定の改装の男性のいい回しであったこと、「です」による形容詞の言い切りは語勢が強いために女性に避けられたこと(鈴木暢幸『日本口語典』)などが理由として考えられ、女性の間においても一般化するのは明治30年代末以降であると思われる。

形容詞述語文の丁寧体としてゴザイマス体とデス体では丁寧さの度合いに差異があり、「です」が発達していく明治期以降では対者警護として待遇表現上一律に扱われ難かったと考えられる。

動詞述語文のマス体に待遇価値上相当する形容詞述語文丁寧体の必要性により、本来は地方的な用法あった形容詞承接の「です」が東京語に取り入れられていった。

まとめ

1.明治時代において形容詞承接の「です」が文献上に現れるのは明治10年代末頃である。

2.明治20年代前後には東京出身者においても形容詞承接の「です」の使用が見られる。

3.「形容詞連用形+補助動詞」型丁寧体は、形容詞承接の「です」よりも待遇価値が高い。

4.マス体に待遇価値上相当する形容詞述語文丁寧体の必要性によって、地方的な用法であった形容詞承接の「です」が東京語に定着した。

現在東京語において「です」と「だ」は接続において用法が異なることから、品詞認定上で「です」は「だ」の丁寧体であるとは必ずしも言えないと述べている点が非常に興味深かったです。戦後の国語審議会(1952)で認められてはいるもの、いまだ違和感を覚える「形容詞+です」を今後どう広げていくのかが課題となってくるので、書生言葉、方言といった観点からも見ていきたいと思いました。