動詞「ダブる」の意味分析

こんばんは。就職活動で毎週東京と地元長野を行き来している夜ゼミ3年の成田です。移動の回数が多くて大変ですが、東京-長野間は割と移動しやすいこと、高速バスが空いている時期であることは良かったなと思っています。さて、今日は以下の論文について簡単に報告します。

李澤熊(2009)「動詞「ダブる」の意味分析―「重なる」と比較して―」『名古屋大学日本語・日本文化論集』第16号、pp.27-44

この論文は、動詞「ダブる」の意味を明確にし、多義的別義(意味区分)の関連性を明らかにすることを目的としています。そのために、李は隠喩(メタファー)と換喩(メトニミー)の観点からの考察、類義関係にある動詞「重なる」との意味の比較を行っています。

まずは、「ダブる」の多義的別義と別義ごとの関係についてです。「多義的別義」とは、「意味区分」を指します。aの「基本義」は「プロトタイプとなる意味のことです。

「ダブる」の多義的別義

a(基本義) 〈同様の、また異なる複数の事柄が〉〈本来そうあるべきでない同一の空間に置かれる〉

b 〈複数の事態が〉〈同一の時間(帯)に〉〈起こる〉

c 〈複数の事柄の間で〉〈何らかの点で〉〈一致する要素が〉〈認められる〉

d 〈落第(留年)する〉

(1)ガチャガチャで景品がダブったことがある。

(2)友達の結婚式の日程がダブってしまいました。

(3)前作の内容とダブる部分がある。

(4)私、高校、出席日数足りなくて一年ダブって、結局中退しちゃって。

「ダブる」の多義構造

李は、「ダブる」の多義構造の関係について、bはaの基本義が隠喩からできた別義、cとdはaの換喩でできた別義だと説明しています。隠喩・換喩の定義は籾山・深田(2003)に従っています。

隠喩(メタファー):2つの事柄・概念の何らかの類似性に基づいて、一方の事物・概念を表す比喩。

換喩(メトニミー):2つの事物の外界における隣接性、さらに広く2つの事物・概念の思考内、概念上の関連性に基づいて、一方の事物・概念を表す形式を用いて、他方の事物・概念を表す比喩。

次に、「重なる」との比較を行うため、「重なる」の多義的別義を述べています。

「重なる」の多義的別義

a 〈ある事物の〉〈上下・前後に〉〈同類または他の事物が〉〈(知覚上)密接して〉〈位置する〉

b 〈複数の事柄が〉〈同一の中小(認識)空間に〉〈知覚上密接して〉〈位置する〉

c 〈複数の事柄の間で〉〈何らかの点で〉〈一致する要素が〉〈認められる〉

d 〈複数の事態が〉〈同一の時期・時間(帯)に〉〈起こる〉

e 〈同様の傾向の事柄が〉〈連続して〉〈起こる〉

f 〈ある事柄が〉〈何らかの結果を引き起こす〉〈さらなる要因として〉〈認められる〉

(5)お皿とお皿が重なって取れなくなった。

(6)太郎と次郎の声が重なって聞こえた。

(7)内容的にかなり重なる部分がある。

(8)秋分の日と日曜日が重なった。

(9)山田家に不幸が重なった。

(10)高熱が続いた原因は、細菌性胃腸炎等に加え、風邪も重なったからである。

「ダブる」と「重なる」の類似点

「ダブる」と「重なる」の類似点を、置き換えが可能な例文を使用して明らかにします。

(11)野球部に入った当初、捕手の姿を見ると隆也の姿がダブって(重なって)、涙をこらえるのが大変だった。

(12)DVDレコーダーを使っていると、録画したい番組が重なって(ダブって)しまうことがある。

(13)今回の5機種の商品構成は新『DIGA』と重なって(ダブって)おり、先行する松下に対抗するには力不足。

(11)は「ダブる」の多義的別義a、(12)はb、(13)はcで用いられる場合です。この3つの意味は、「重なる」と共通するため置き換えが可能です。

「ダブる」と「重なる」の相違点

○置き換え可能だが意味が異なる例

(12)松村は以前日テレ「すすめ電波少年」が野球の関係で放送時間がずれてしまい、結果として彼が生出演していたテレ朝「サンデージャングル」とダブって(重なって)しまったことを後日の「電波少年」でネタにされていたけど、今度は確信犯である。

(12)の例からは、「ダブる」の場合は好ましくないというマイナスの評価的意味を持つためプラスの評価的意味に関しては使いにくいのに対して、「重なる」の場合はプラスの評価的意味、マイナスの評価的意味、中立のいずれの場合にも用いられることが言えます。

○置き換え不可能な例

(13)アナゴの豊潤な味と洋風仕立ての味が重なって(??ダブって)、食のハーモニーが奏でられています。

(14)曲と動きと衣装がぴったりと重なってた(??ダブってた)気がする。

(13)は、プラスの評価を表す文であるため、「ダブる」が使えません。(14)は、「重なる」が別義aから拡張された意味で用いられる場合に、「知覚が上密接する」という意味内容が完全に消え去るわけではないことを表しています。

以上から、「ダブる」と「重なる」の類似点と相違点は、以下のようにまとめられます。

類似点は、「複数の事柄が同一の認識空間に存在する」「複数の事態が同一の時間・期間(帯)に起こる」「複数の事柄の間で何らかの点で一致する要素が認められる」という意味で使われることです。

相違点は2点あります。1点目は、「ダブる」は別義aの持つ「本来そうあるべきでない」という意味特徴から、「プラスの評価的意味」を持たないのに対し、「重なる」は、「評価的意味」に関しては「中立」であることです。2点目は、「ダブる」は単に「複数の事柄が同一の認識空間に存在する」、「複数の事態が同一の時間・期間(帯)に起こる」、「複数の事柄の間で何らかの点で一致する要素が認められる」ということを表すのに対し、「重なる」は、拡張された意味で用いられる場合でも「知覚上密接する」という意味特徴が完全に消え去るわけではないため、「知覚上密接する」というニュアンスが何らかの形で現れる場合があることです。

私は「る」による動詞化の研究をしています。後期の発表では、動詞化の際に意味が多様化し、それによって使い分けがなされている語の研究を紹介しました。今回はそれと同様に、意味が多様化した「ダブる」について、類義関係のある「重なる」との比較をしているという点でこの論文を紹介しました。「る」によって動詞化された動詞は、造語から使用のスピードは速いのですが、廃れていく言葉も多くあります。定着する言葉には意味の特殊性という要素もあると思うので、今後もそういった意味の面にも注目していきたいと考えています。

この論文では、まず「ダブる」の意味の関係について述べていますが、元の意味が隠喩や換喩によって拡張されていると述べられているだけであったため、この項目については掘り下げが足りない印象を受けました。次の「ダブる」と「重なる」の比較については、例文を挙げて置き換えが可能な場合と不可能な場合が紹介されていてわかりやすいと感じました。しかし、「ダブる」の「留年する」という意味による使い分けについては言及されていませんでした。「ダブる」の意味拡張による二語の使い分けについても、注目すべきだと感じました。