副詞「ちょっと」の文脈的役割

こんばんは。昼ゼミ2年の河野です。

先日大学でワクチンの1回目を打っていただいたのですが、そのとき先生に言われたひとこと。

「君、皮膚固いねえ。」

筋肉ではなく皮膚と言われました。じわじわ気にかかってます。早めの老いは皮膚からもう来ているのではなかろうかと。2回目は、皮膚柔らかいねって言われて早くたまたまだったと思いたい今日この頃です。

さて、今回は以下の論文を要約しました

秋田恵美子(2005)「現代日本語の『ちょっと』について」『創価大学別科紀要』17号  ,17-89 創価大学別科日本語研修課程

【本論文の概要】

 本論文では、日本語学習者である留学生から「ちょっと」の使い方が難しいとの声を受けた筆者が、現代日本語における「ちょっと」の使われ方として、程度副詞の「少量」表す表現の他に、現実場面では自分の行為の大きさの軽減や聞き手の負担の軽減といった本来の文法的意味とは異なる用法の存在を挙げている。筆者は本稿を通し、この後者の用法を分析し論じている。本論文で行われている分析のポイントは以下の通りである。

(1)現実場面と文法的意味の差

(2)聞き手の負担の軽減

【詳細】

(1)現実場面と文法的意味の差

 ここでは「ちょっと」が状態性の無い語、とくに話し手自身の行為を表す動詞にかかる用例を取り上げている。以下の例文は、昼食時の休憩時間に、最近駅にホームレスが増えたという話をしている場面である。

A あそこねー、もう占拠されてる。

B ほんとにー。

Aうーん、朝ちょっと通ったらねー。

B ふーん。最近増えたのかなあ、あたし、最近あのへん行ってないな。

筆者は、この場合の「ちょっと通ったら」の「ちょっと」は、程度としての「少量」、すなわち「短時間」の意味よりも、「ちょっと」を付けることによってAが自分からわざわざ見に行った訳ではない、「偶然」、「ついでに」などの発話意図の方が強く現れていると分析している。

 次の例文は、高校教師の元へ相談で尋ねてきた生徒の発話である。

[苗字]先生いらっしゃいますか。

<中略>

 あのー、ちょっとそこまで用事があって来て、そうだ、今日はー、多分もうー、静かだろうって、学校が。

筆者は、ここでの「ちょっと」は、聞き手に対し、出向いてきた自分の行為が大袈裟に響かないようにする発話意図があると分析した。

 以上のことから、現実場面では、「ちょっと」がその直後の語に対し程度副詞として働かず、発話される自分の行為の大きさや重要性を下げるために使われることがあると筆者は論じている。

(2)聞き手の負担の軽減

以下、本論文で挙げられた例文のうち3つを抜粋した。

・[苗字]さん、ちょっと来て。

・先生はーあっちの方、ちょっと見てみて。

・ちょっと待ってください。

これらの例文における「ちょっと」は、その直後の「来て」、「見てみて」、「待って」という話し手の要望自体を程度副詞の「少量」の意味をもって修飾していないと筆者は分析している。ここでの「ちょっと」は、それ自体が時間的長さが短いことを意味しておらず、聞き手の負担を軽減し、つまり自分の行為が大きいものではないという意味を示す配慮の発話意図があると論じている。

【結論】

 本稿では、このように実際には現実の程度が小さくない事に対し「ちょっと」が使われるのは、「ちょっと」が程度副詞としてはたらくことを経由して、その結果自分の行為の大きさの軽減、聞き手の負担の軽減などとして半ば無意識的に使用されるに至っていると筆者は結論づけている。

私はこれまで「ちょっと」の程度副詞としての用法ばかりに着目していたのですが、文脈的意味の中での「ちょっと」には、会話の潤滑剤や緩衝材といった役割を担う「無意識的に」発話される「ちょっと」の存在にも関心が湧き、今回この論文をレビューさせていただきました。本論文を通して、このような役割の「ちょっと」がいかに私たちの身近で発話者同士の衝突を避け、会話を円滑にしてくれているかを実感すると同時に、その構造について具体的に考えることが出来ました。

今どきの日本語

こんにちは。夜ゼミ2年の澤井です。最近、コンビニによく行くのですが私の家の近くはなぜかファミリーマートが多いです。そのせいで、セブンイレブンに希少価値を感じます。でもやっぱり好きなコンビニは慣れ親しんだファミリーマートです。

さて、今回要約した論文は以下の通りです。

北原 保雄(2009)「今どきの日本語」『日農医詩』57巻6号、815―818

本論文では、日本語の「乱れ」や変な日本語を作り出す若者の言葉遣いや「問題な日本語」について分析している。

取り挙げている問題

(1)患者の呼称は「患者様」か「患者さん」か

患っているというよくない印象があるため、「患者」という呼び方に対して尊敬表現が馴染まないというのがある。「様」を付けた場合は病院側と患者との距離を隔てることとなり、「さん」は両者の隔たりをより少なく親しみの度合いが強くなる。院内放送や研究論文では「様」を使い、患者個人に対しては「さん」を使うのは距離の取り方の違いによるものだと推察している。

(2)KY語

KY語の流行の背景には以下のものがある。

  • 遠回しに表現できる。 
  • 周囲から際立たせることが出来る。
  • 仲間意識を高めることが出来る。
  • 言葉選びを楽しめる。

若者が日本語のローマ字略語語として使っていた。しかし、KY語は頭文字であるため「読める」、「読めない」、「読みたい」のすべてが「Y」となる。KY語が増えると、日本語がだめになるのではないかと考えている。

(3)今どきの子供の名前

子どもは自分の名づけに参加できないため、親の浅はかな考えで付けるのはよくない。「悪魔ちゃん事件」というものがあり、「悪魔」という名前の届け出が拒否された。そして人名としてふさわしくない漢字を常用漢字から削除した。しかし近年子どもの名前の多様化は際限なく進んでいる。

自分の意見として、尊敬表現が馴染まない言葉もあるというのはあまり知らなかったためよい知見となった。また、若者が新しい言葉を使いたくなる思考や意識がどのようなものか分析するのは言葉の流行において重要なことだと思うので参考にしたい。

漫才の言語特徴

 こんばんは。昼ゼミ2年・名原です。前に友達から唐突に「好きなキシュは?」と訊かれたとき、ジョッキーのほうの「騎手」だと判断してとりあえず「武豊」と答えたのですが、プリクラの「機種」の話だったことがあります。

金澤裕之、橋本直幸(2005)「漫才の言語特徴」『言語』第34巻第1号、pp.46-49、大修館書店

についての論文レポートです。

概要

 漫才のスタイルの変遷を探り、漫才が一般人に与えた影響を考察。

【漫才のスタイルの変遷】

言葉遊び

・言葉の二義性を利用する伝統的なスタイル。

・例えば夢路いとし・喜味こいしの「若いおまわりさん」というネタでは「今言うぞ」と「今井雄三」のような言葉遊びで笑いを取る。

・なお、このような「役を演じる」スタイルは減少傾向。因みに相羽(2001)は舞台に出てきた時点から役柄を演じているタイプのものを「コント」として漫才と区別した。

いとし:今言うぞ

こいし:だから早よ言わんかいな、もう

いとし:今言うぞ

こいし:名前を聞いとるから、早よ言えっちゅうのや!

いとし:今井雄三!名前が今井雄三…

合いの手

・合いの手や繰り返しをすることで話をリズミカルに進行させるという効果がある。

・オール阪神・巨人にも見られる伝統的な「漫才らしい漫才」のスタイル。

巨人:目を殴られた

阪神:あー、これはね(合いの手)

(中略)

巨人:僕はしっかりしてました

阪神:あ、しっかりしとった(繰り返し)

フリートーク

・ダウンタウンが始めたとされる比較的新しいスタイル。

・日常の会話のようなうなずきによるあいずちが多く見られる。

・「合いの手」よりもリズムの悪さがあるが、より自然な会話に近いという魅力がある。

松本:ほいで、あ、あ、ブギーボードもやりましたですね。で、スキューバを…

浜田:あ、やってきた?

松本:あのねェ…

浜田:うん

【漫才が日常の言葉に与えた影響】

流行語

 松本(1999)では「キレル」は楽屋用語の「線切れ」に由来すると述べた。

 それに加え筆者は自身の感覚を根拠に「いたい(性格が奇妙な人や、勘違いしている人に対する形容)」や「寒い(ギャグがつまらない、しらける)」や「いたい」「かぶる」「かむ」「きれる」「さむい」「ひく」「へこむ」などが芸人が広めた言葉なのではないかと指摘。

 データより「きれる」「ひく」「寒い」が単なる「流行語」にしては寿命が長いことが分かる。

ノリツッコミ

 芸人によるお笑いの文化が、語彙にとどまらず談話的要素まで浸透していることを示している

参考文献

相羽秋夫(2001)『漫才入門百科』弘文出版

松本修(1999)「キレる・ムカつく考-大阪の芸人がテレビで広めた言葉」『地域方言と社会方言(『日本語学』臨時増刊号)18-13

感想

 ダウンタウンは漫才の新しいスタイルを確立し流行語も作ったということで、日本語の文化にも大きく影響を与えたのだと分かり面白かった。楽屋用語が生き延びやすいのは、一般人にとっても日常の言葉として落とし込みやすいからだろうかと考察した。

 流行語の部分は「筆者の感覚として」芸人が発端となり広まったと考えられるものだということだったので、実際の発端は不確実な点が気になった。どうして芸人が発端だと考えたのかという根拠だけでも載せたほうがよいのではないかと感じた。

文末で使われる「ケド」について

こんにちは。夜ゼミ二年の松蔭です。先日ワクチン二回目を摂取し終わってなんとか一安心しました。副作用でかなり体調を崩すとのことでしたが、熱は出たもののそこまでひどい症状は出ず良かったです。

 今回は次の論文について要約しました。

成田 麻衣子(2004)「現代語における文末表現の分析 : 「ケド」で終わる文を中心に」『昭和女子大学大学院日本語教育研究紀要』2巻p83-89

 この論文では「ケド」という文末表現の機能を分析し、話し手のどのような思いで「ケド」で終わる発話がなされているのか、また「ケド」で対談を終わらせることが聞き手にどのような影響を与えるのかを考察している。

 調査方法としてはい2002年2月から8月までの間に放送された41種のトーク番組において見られた「ケド」で終わる表現の機能、またその時の話し手の気持ちと聞き手の反応について分析した。

「ケド」で終わることによる機能発話数
①自分の意見・情報、または相手と違う意見を柔らげて表現する機能48
②その後の判断を相手に任せ、話者の交代を促す機能24
③先行の文で話し手自身が言ったことを補正する機能23
④話し手の謙虚さを示す機能19
⑤不確かな情報を表現・確認する機能12
⑥許可を求める機能4
「ケド」に含まれる話し手の気持ち発話数
①聞き手に対する話し手の遠慮41
②話し手の発言により聞き手が誤った判断をしないようにという気持ち26
③言葉には表れていない話し手の隠れた気持ち23
④自分の発言に対して自身のない気持ち17
⑤質問に対する答えとしてこれでよいのかという気持ち13
⑥相手に同意してもらいたいという気持ち10
「ケド」が表れた後の聞き手の反応発話数
①相手の意見や説明を理解したことを示す52
②相手の発言に同意する26
③相手の発言を理解し、気遣いをみせる21
④相手の意見に同意できないという態度を示す13
⑤相手の発言を理解した上で、次の話題にうつる11
⑥相手の発言に同意した上で、次の話題にうつる2
⑦相手の発言を理解していないことを示す2

 「ケド」の機能とそこに含まれる気持ち、また聞き手の反応には大きな関係があると言える。同時に、一つの機能に必ずしも気持ちが一つしかないわけではなく、この表現が使われることにより聞き手が話し手の気持ちを気遣いながら発話するように「ケド」という表現にあ聞き手の理解の過程で大きな役割を果たしていることが分かった。

 自分の意見

 「ケド」という言葉を自分はほとんど無意識に使用しているため、気持ちという点で考えるとなかなか分析が難しいのではないかと感じました。また、調査対象を増やすとより正確なデータが取れたのではないかと考えました。

日本語の人名における表記の冗長性

 こんばんは。昼ゼミ2年・名原です。この投稿をしようとしても、毎回「正しいJSONレスポンスではありません」というエラーが出てしまって大変でした。「JSON」が何かは存じ上げませんが、私は脳内で厚切りジェイソンを毎回暴れさせていました。

以下、

秋田喜美(2021)「日本語の人名における表記の冗長性 : 関係形態論 の観点から」『国立国語研究所論集』21号pp,1-13(国立国語研究所)

の論文レポートです。

概要

冗長な日本人名の音韻を分析する。

「冗長」とは?

「水月」の/zu/、「咲希」の /ki/ 、「花奏」の /ka/ のようにそれぞれ2つの漢字の読みとして重複していること。

三種のパターン

・「水月」型(一字目と二文字目の一部の読みが重複)

・「咲希」型(一字目の漢字のみで全体の読みになり、二字目が冗長的に付加)

・「花奏」型(「咲希」型とは反対に,2つ目の漢字が全体の読みになる)

関係形態論(Jackendoff, Audring(2020))で解析

・「水月」型

 「水月」型は非包括型の混成である。なぜ非包括型であるかというと、「Phonology」(=音韻)が「zu」が「水」と「月」、それぞれの読みの始まりと終わりの役割を持つため。

(1)

・「咲希」型・「花奏」型

これらは包含型の混成と同様の音韻的重なりがある。

(2)

(3)

 しかし、「*/sakiki/」と読めてしまうのに「咲希(/saki/)」、「*/kakanade/」と読めてしまうのに「花奏(/kanade/)」という表記を変えていないので完全な「混成」ではない。(漢字は表意文字と表音文字両方としての働きがあるのでこのような現象が生じた。)

なぜ冗長な命名にするのか?→プラスイメージの漢字(例;月)を取り入れられるからでは?

冗長性を考えない考察

・冗長性を排除した場合

 例えば「歩夢」のような名前。漢字が送り仮名を含むときは「歩む(/ajjum-u)」。漢字と形態素境界に不一致が生じている。

 よって「歩む」を「aju-mu」と異分析したことによる送り仮名的な漢字の用法なのではないか?

↓反論

・冗長性を認めると規範的ではない表記を統一的に三分類できる

・混成を含むという性質がある

・人気の名前と同じ音韻で個性を出した命名ができる

・追加的要素の音韻がゼロの場合

「咲希」型と「花奏」型について,男性名「大空 /sora/」の「大」のように追加的要素である「希」や「花」が音韻的にゼロである可能性は?

↓反論

・これらの漢字の読みが「咲」や「奏」の読みと重なっている

参考

Jackendoff, Ray and Jenny Audring (2020) The texture of the lexicon: Relational morphology and the parallel architecture. Oxford: Oxford University Press.

感想

 「関係形態論の図」を初めて見たので興味深かった。単語をさらに分解した語単位と単語全体とでそれぞれの意味、統語、音韻、正書法が一目で分かる点が良いと思った。

 冗長な名前にすることで、プラスイメージの漢字を取り入れることができるというメリットが考察されていたので、アンケートを取って本当にプラスイメージのある漢字なのか調査すると説得力が増すと考えた。そしてその回答が、「冗長な名前にする理由」というこの研究においても重要な疑問に対する一つの答えにできるのではないか。

日本語の「~たい」を用いた願望疑問文の使用条件に関する一考察

 こんばんは、昼ゼミ2年の陳です。自炊もウーバーイーツも飽きて、とうとう何を食べればいいかわからなくなってしまいました。自由に外食できる日が懐かしいです。

 今回は以下の論文を要約しました。

島千尋(2021)「日本語の「~たい」を用いた願望疑問文の使用条件に関する一考察」『人間文化研究』14、211-243 桃山学院大学総合研究所

 この論文は、「~たい」を用いた願望疑問文について、「聞き手の私的領域」に着目し、願望疑問文の使用条件を新たに提起した。さらに、それが他の意向表現にも同様に見られるものであるかについて可能性を探った。

 島千尋(2021)は願望疑問文の使用条件:「現場性条件」を、

  ・最も「現場性」が強い場合→目上はもちろん、親しい間柄であっても願望を問うことは許されない。

  ・「現場性」がやや弱まった場合→他者が立ち入りやすくなり、親しい間柄なら願望を問うことが許されるようになる。

  ・「現場性」がさらに弱まった場合→より制限が緩和され、親しい間柄はもちろん、目上に対してでもその願望を問うことができるようになる。

以上のようにまとめた。

 また、「現場性条件」は、一般に目上や親しくない聞き手に使うと失礼になるとされている他の文法にも同様に見られるように思われる。「~つもりですか」を一例に、

  (1)(廊下ですれ違った教師に)

     学生:*あ、先生、どちらにいらっしゃるつもりですか。

  (2)(出かけようとしている姉に)

     妹:*あ、お姉ちゃん、どこに行くつもり?

 このように、聞き手の意志決定を問う「何をするつもりですか。」という文は聞き手の私的領域に踏み込むことになり、丁寧さを欠く発話となる。「~つもり」を使った意志疑問文は、相手が目上であろうと親しい間柄であろうと、「現実の、今、この場」での意志を聞く質問としては成立しない。

 ところが、

  (3)インタビュアー:社長は将来はどのような製品をお作りになるおつもりですか。

 例(3)は(1)(2)に比べると相当に許容度が上がるように感じられる。つまり、「遠い未来の話」であれば、目上に対してでも「~つもり」を使って相手の意志を尋ねることができる。

 この論文は対話の「現場性条件」から許容度の差を説明し、日本語学習者としてとても勉強になりました。こうした使用条件は日本語文法における適用性が広いと思い、日本語学習者が日本語をより適切に使いこなすには非常に役立つだと思います。

青信号はなぜ緑信号ではないのか:「アオ」の持つメタファーから考える

 こんばんは、昼ゼミ2年の陳です。休みはコロナの影響でどこにも行けず、引きこもりのニート生活を送りました。

 今回は以下の論文を要約しました。

小倉慶郎(2012)「青信号はなぜ緑信号ではないのか:「アオ」の持つメタファーから考える」大阪大学日本語日本文化教育センター授業研究. 10 P.13-P.21

 この論文はgreen apple を青リンゴ、green lightを青信号と呼ぶという日本人の言語習慣への諸説を整理し、「青信号」「青いリンゴ」「青い月」という表現に共通する、「アオ」を使うときの日本人の感覚について考察した。

 小倉(2012)によると、『日本国語大辞典』、『字訓』、『広辞苑』『岩波古語辞典』から、青と緑が表す主なニュアンスが以下になる:

  ・接頭辞としての青:色そのものは無視されて、未成熟、未熟というニュアンスが主体になる。

  ・緑:「新芽」、「瑞々し」

1. 五行説

 『色名がわかる辞典』では、古代中国の「万物は木・火・土・金・水の五種類の基本物質からなる」五行説の影響で、日本語の青に緑が含まれているという主張である。「木・火・土・金・水」は色では「青・赤・黄・白・黒」に相当し、季節では「春・夏・土用・秋・冬」にい相当する。

 →現代中国語ではgreen lightを「緑灯」と呼ばれているため、日本の色名だけに影響を与えるのが疑問である。

2. 日本語では赤と青がセットになっている説

 小松(2001)では、

  ・アカの反対色はシロ…運動会、吉事

  ・アカの反対色はアオ…色鉛筆、カビ、鬼、紫蘇、蛙

  ・クロも反対色はシロ…凶事、容疑、素人/玄人

 アカーシロ、アカーアオ、シロークロが対義語としてセットになっていることを指摘した。そのため、青信号は日本語として自然な命名であると考えられる。

3. 青の持つメタファーに着目する説

 Stanlaw(1997)は、英語のgreenのメタファーの大半は、日本の青と重なると指摘した。

  ・green recruit→新入社員(→青ニオ)

  ・too green to eat→まだ熟していないから(青くて)食べられない

  ・your face looked pretty green→顔が真っ青

 以上から、日本人が交通信号を青と呼ぶのは「開始」「新鮮さ」という概念に目配りしていたという可能性があると考えられる。

 青、緑、greenの用法を検討したこの論文から、色彩感覚における日本語と他言語との違いと共通性が見えたと思います。幅の関係によって割愛した部分には日中韓では「青」を使用したメタファーの比較に触れた部分も少しあり、各国の異なる色彩感覚にもとても興味深いと感じました。

若者語の使用率に関わる要因

こんにちは!夜ゼミ2年の山本です。いよいよ最後の論文レポートです、、、ここまで来るの長かった~( ;∀;)今となっては達成感です!さて、今回は以下の論文についてです。

フレヤ マン(2017)「若者語の使用率に関わる要因」

『日本語・日本文化研修プログラム研修レポート集』32期pp.31-46

この論文は、若者語の定着化と非定着化の説明原理がどのようなものかを、以下の調査データから考察している。

①米川・重田が1992年と1994年に行った若者語の使用についての調査。90年代の若者語から抽出された50語に対し、自身の個人的な使用を以下の5段階評価させた(対象は大阪在住の大学1~4年生、計300名)。

 A:よく使う

 B:ときどき使う

 C:知っている、または聞いたことがあるが使わない

 D:意味がわからない、または聞いたことがないので使わない

 E:以前に使っていたが今は使わない

②2017年6月から8月にかけて、①と同様の50語に対し5段階評価をさせ、さらに「もしもこの言葉をあまり使わないのなら、同じ意味を表すためにどのような表現を使いますか」という質問と、調査対象者がよく使ったり、聞いたりする若者語を書くように求めた。

①若者のライフスタイルとの関連性や必要性

まず、カーナビゲーションの略語「ナビ」は、94年に使用率が33.9%であったのに対し、2017年には100%まで増加している。これは時代が進んだと同時にテクノロジーが発達し必要性が高まったと考察している。また、卒業アルバムの略語「卒アル」(18.4%~96.4%)も、卒業アルバムを貰う習慣は若者の生活に定着してきたとともに「卒アル」の使用率が増えた。さらに、2017年の調査での「インスタ」(インスタグラムの略語)や「スノる」(『スノー』というアプリで撮影すること)のようなソーシャルメディアに関連する表現からも、若者語使用の影響には若者のライフスタイルとの関連性や社会的な変化があると述べている。

 

②継続的な使いやすさ

次に筆者は、土壇場でキャンセルするの略語である「ドタキャン」(24.6%~98.8%)や、クリスマスパーティーの略語「クリパ」(17.3%~57.8%)、自己中心の俗語「自己中」(76.1%~96.4%)などから、若者のライフスタイルとの関連性だけでなく、縮約語の形成も言葉の使いやすさに影響し、若者語の使用率や定着性を高めていると述べている。

③新たな代替表現の表出

 一方で、ある若者語と同様の意味を表す他の語が出現することで、その若者語が保持されない可能性もある。例えば、「過去ヤン」は「元ヤン」が使われるようになった結果、2017年には使用率が0%まで減少し、90年代の流行語であった「コンパ」も2017年に使用頻度が90.3%まで上がった「合コン」に移行している。このことから、既に存在する若者語の代替表現も、新たな若者語の使用率に影響していると考察している。

④社会的なトレンドの流れ

 最後に、一時的に注目を浴びなくなった若者語がまた流行ってゆく可能性について言及している。例としては「お茶する」を挙げ、92年から94年の間に使用率が10.9%下がった一方で2017年には28.5%上昇している。これは92年から94年の減少傾向の原因は不明だが、2017年にかけて何らかの理由により人気が復活しているために生じたと述べている。そのほかにも、「ぶっちする」と「バッチグー」を挙げており、どちらも二年間で使用率が大幅に減少したが、2017年までにそれぞれ7.9%、1.4%と増加している。

以上のことから、筆者は若者語の増減・定着化に影響する要因は次のとおりであると考察している。

  1. 若者のライフスタイルとの関連性や必要性
  2. 継続的な使いやすさ
  3. 新たな代替表現の表出
  4. 社会的なトレンドの流れ

 

 この論文を読んで、若者語の増減や定着化への要因として四つ挙げているが、最後の要因について考察しているところは他の要因よりも当てはまる若者語の用例が少なく、根拠が弱いように感じた。「社会的なトレンド」という要因でより一層説得力を増して結論付けるためには、その頃に社会的なニュースや出来事があったのかも関連付けて考察するなどして、筆者も述べているように更に研究する必要性があると思った。

日英語における愛称語形成について

こんにちは! 夜ゼミ2年の鈴木です!

 先日成人式の前撮りをしたのですが、着付けや撮影を長時間したことに加え、1日中ずっと事務的な誉め言葉を浴び、とても疲れました(笑) 成人式が行われる頃は今よりもコロナが収まっていることを願っています。

 さて、今回は以下の論文を要約しました。

太田 正之(2008)「日英語における愛称語形成について」『県立新潟女子短期大学研究紀要』 第45巻, pp.167-173, 県立新潟女子短期大学

この論文では日英語における愛称語形成について考察しているが、今回は日本語の愛称語形成についてのみ取り上げ、要約しました。

愛称語には様々な種類が存在するが、今回は人の名前の一部を取り出して形成されるものの中から、「ちゃん」を付加する愛称語について取り上げる。

まず愛称語「ちゃん」の形成パターンは以下の通りである。

  1. 名前の最初の2文字を取り出して「ちゃん」を付加する。

また音節の母音部分を伸ばしたり、「っ」という促音に変えたりもする。

(例)

a.はるちゃん…はるか   b.なっちゃん…なつみ  c.まーちゃん…まさお 

d.えっちゃん…えつこ

2.漢字の一部や連想される漢字の読みに接辞を付加するもの。

(例)

e.めぐちゃん…けいこ(恵)  f.がんちゃん…いわお(岩)   g.ぶーちゃん…たけし(武)

上記から「ちゃん」という接辞を付与してつくる愛称語は、最低でも4モーラ分の長さが必要であるため、名前から取り出す部分が1文字であっても、促音や撥音を加えたり(b)、切り出した音節の母音部分を伸ばしたりすること(c、f)で調整を行っている。

dの愛称については、2つの分析ができる。

①最初の2モーラ(etu)に接辞が付加されたのちに、母音脱落や子音同化等が起こった結果、促音化した。

… etuko → et(etu)-tyan

②cのように語頭の1モーラが取り出されたのちに「っちゃん」が付与された。

  … etuko → e-ttyan

②の場合、他の愛称語に付加された「ちゃん」と「っちゃん」は別の形となり、共通性がみられない。また親しい間柄では、愛称語の接辞が省略された状態(a.はるちゃん→はる)で呼ばれることがあるが、②の分析では不可能である。… ①etu、②e

したがってdの愛称語については①の分析が正しいと言える。

 以上のことから、「~ちゃん」という日本語の代表的な愛称語パターンは、2モーラ以上の長さをもつ要素にのみ接辞が付加され、接辞を省略する場合でも2モーラという長さの制限が働いている。

 自分の意見として、aの「はるか」という名前であったら「はるちゃん」、「はーちゃん」、「はっちゃん」のどれでも許容されると感じるが、eの「けいこ」は「けい(めぐ)ちゃん」は良いが、「けっちゃん」はあまり聞かないように思ったため、なぜそのように感じるのか調べたいと思った。

「ちょっと」の意味解釈と音声的特徴

こんにちは、昼ゼミ2年の河野です。

先日友人と大阪へ行く機会があり、車を運転していったのですが、行きは高速道路を使いました。しかし全員行った先のアメリカ村(古着屋街)で散財し、12時間かけ下道帰宅の羽目になってしまいました。(誰も高速代が払えない!)

計画的にお金を使うことの大切さを痛いほど知りました。

今回は以下の論文を要約しました。

呂 妍(2018)「程度副詞の意味解釈に関する音声的特徴について -『ちょっと』を中心に-」『早稲田日本語研究』27号,1-12 『早稲田大学日本語研究会』

【本論文の概略】

 筆者は程度副詞「ちょっと」が、後ろにつく形容詞に対し必ずしも低い程度であるさまを表わすというわけではないことについて、語用論的要因の他に音声的要因が関わっていると考察している。本論文では「ちょっと+形容詞」をめぐり、聴取アンケート調査に基づき程度の意味解釈と音声的要因の関係について論じている。先行研究として、岡本・斉藤(2004)は、「ちょっと」のプロミネンスについて触れている。しかし筆者の管見の限りでは「ちょっと」のピッチや持続時間についての研究は見当たらないため、音声的要因という新たな視点からの研究を開拓するという目的で本論文は執筆に至っている。本論文で論じられる分析のポイントは以下の通りである。

(1)「ピッチ」の観点からの音声的要因

 アクセントの位置別の程度の意味解釈

(2)「持続時間」の観点からの音声的要因

 「ちょっと」とそのあとに続く形容詞の間の「間」の長さ別の程度の意味解釈

【詳細】

(1)「ピッチ」の観点からの音声的要因

 ちょっとおいしいですよ。

聴取アンケートでは上記の例文について3通りの異なるピッチで「ちょっと」が発音された。被験者はそれぞれのピッチにおいて、「おいしい」の程度が「少しだけ」、「最も」、「とても」のどれが最適かつ自然かを選択した。その結果、「ちょっと」が平らかつ低音で発音され、「おいしい」が高く発音された場合、53パーセントの被験者が「とても」、52パーセントが「最も」を選択し、他2通りのピッチに比べ「最も」、「とても」を選択した被験者の割合が圧倒的であった。このような結果から、筆者は「ちょっと」を平たく低く発音し、後ろに続く形容詞を高く発音されることが、「ちょっと」の程度が高く解釈されることの引き金になっていると分析した。

(2)「持続時間」の観点からの音声的要因

わぁ、ちょっと辛いなあ。

 ここでの聴取アンケートについては上記の例文が使用され、「ちょっと」と「辛い」の「間」を短いものから長いものまで3通り発音された。被験者はそれぞれが「最も辛くない」、「最も辛い」、「とても辛い」のうちどれに当てはまるかを選択した。その結果、「間」が最も長く設けられた発音が、「最も辛い」が54パーセント、「とても辛い」が42パーセントと、他2つに比べ圧倒的であった。このことから筆者は、「ちょっと」と形容詞の間の無音期間が延長される時、「ちょっと」が普通以上の程度を表すと分析した。

【結論】

程度副詞「ちょっと」の意味解釈において、ピッチと持続時間が大きく影響していることを結論としている。また、ピッチの実験の結果である「ちょっと」を平たく低く発音し、後ろに続く形容詞を高く発音されることが程度が高く解釈される要因となるとの主張には、自分の見解を相手に押し付けないという感情を音声にして示唆するからであろうとの考察を付加している。

本論文は私が春学期の論文レビュー発表の際に取り上げた呂妍さんの論文の、先行研究にあたる論文です。とにかく端的にまとめることが非常に難しい論文でしたが、分析されている観点などを私なりに「人に紹介するもの」に仕上げられたように思います。