近畿周辺圏の打消し表現について

こんにちは。夜ゼミ二年の矢内明莉です。

先日バイトとバイトの間に、当日予約をして美容院に行ってきました!個人的に髪の毛が短い方が好きなのでルンルンで家に帰ったのですが、親に「あんた成人式その髪の長さじゃなんにもできないよ!」と言われてしまいました…。

今回私が紹介する論文は
岸江信介(2005)「近畿周辺圏にみられる方言の打消表現」『日本語学』(明治書院)24巻12号,p.32-43
です。

この論文では打消表現で使用されていた「ン」が「ヘン」へ変化していることを指摘しており、筆者はグロットグラム調査が行われた地域の結果を引用し、考察を行っている。

① 徳島県吉野川流域
東の徳島市から西の池田町:「イカン」
→「イケヘン」が西へと勢力を広げている
「イケヘン」は京都方言の「イカヘン」に対応した大阪方言と同形
=大阪方言の影響を大きく受けている

② 奈良県南部
大塔以南:「イカン」	西吉野周辺:「イケヘン」
大塔が紀伊山地にあり、孤立しているため「イカン」よりも新しい「イケヘン」の伝播がスムーズに進まない→「イカン」「イケヘン」の対立

③ 愛知県名古屋市から三重県伊勢市
「イカン」と「イカヘン」の分布の境界が曖昧
→既に「イカヘン」が定着しているが、「イカン」も衰退していない

この二つに意味上の棲み分けはないが、以下のような場合は何らかの基準で使い分けられていると考えられる。

a. どこにもイカント家におる。(〇)
b. どこにもイカヘント家におる。(×)

「ン」「ヘン」が下接する動詞では、a.bのような使い分けがなされている。
また、このような使い分けは「ヘン」を使用するほとんどの地域で見られることも分かった。
(例)①③の地域:言い切りの場合「イカン」
    京阪方言:言いきりの場合「イカヘン」

また、筆者は打消の過去の形式についても考察している。
「行かなかった」の「なかった」に相当する「ナンダ」が「ンカッタ」「ヘンカッタ」に変化する現象が西日本で見られる。

地域①:「イカナンダ」のほか、「イカザッタ」「イケヘナンダ」
「ザッタ」は「ナンダ」よりも先に生まれた表現であるため、打消の過去の形式は以下のような変化をしている。




「へナンダ」「ヘンカッタ」:エ段に接続=大阪方言から取り込まれたもの
                 ↓
これら以外の形式全てが大阪からの伝播によるものだとは言い切れない 

【理由】「イケヘンダ」「イカンダ」は「イケヘン」「イカン」+過去を表す「ダ」
この場合、伝播によるものではなく当地域で発生したものだと考えるのが自然

 このような変化は②③の地域でもみられる。以下がそれをまとめたものである。





「ヘン」が伝播して「イカナンダ」と接触することで、①で見られた「イケヘナンダ」が生まれた可能性も否めない。

 筆者は本文中で「イカンカッタ」が若年層を中心に勢力を広げていることを指摘しているが、「イカン」よりも新しい「イカヘン」に「カッタ」が接続した「イカヘンカッタ」ではなく、「イカンカッタ」が若い世代で広まった経緯についても触れるべきではないかと感じた。

敬語の地域差について

 こんにちは。夜ゼミ2年の矢内明莉です。
最近は寒くなってきたので、毎日ショッピングサイトで冬服を眺めています
冬は着膨れしやすいので洋服選びが大変です…

 今回私が紹介するのは、
中井精一(2005)「日本語敬語の地域性」『日本語学』(明治書院)24巻9号p110‐123 です。
この論文は、筆者が育った近畿地方と東北地方では祖父母の呼称が異なることから、言葉遣いと地域社会について研究したものです。
 
 筆者は特に尊敬表現について以下のように考察しています。
①西日本の尊敬表現は基本的に動詞+助動詞の形
②東日本にも近畿地方にも無敬語地域が見られる
③東京では尊敬表現が見られる(無敬語地域のなかの言語島)

 特に②については、中央日本語が伝わりやすいとされる近畿地方でも無敬語地域が見られるため、近畿から遠いゆえに中央語が伝播しなかったことで無敬語地域が生まれたとは考えられません。この点から、「頻繁にもたらされた敬語情報を各地域であえて受容しなかった」と考えることが出来ます。

 また③については、江戸語が上方語の影響を受けて成立したため、周辺地域とは異なり、西日本なみに発達した敬語使用地域となったのではないかと考察しています。

中央語の敬語には、話し手の評価・感情が待遇表現形式を決定する場合に優先されることも分かりました。


評価・感情がプラス→「ハル」あるいはアル系動詞
評価・感情がマイナス→「ヨル」「トル」

 敬語行動に関与する要因は様々ありますが、中央語においては社会的ファクターよりも心理的ファクター(その人物に対する心情・評価)を優先していると考えられます。上の表で注目したいのは、京都がどちらも「ハル」形だという点です。
京都では、身分の上下に関係なく市民間でも丁寧な言葉遣い(身内尊敬用法)をする傾向があり、何事も婉曲に表現しなければならないのが原因であると考えられています。

 今回取り上げた論文では、各地の敬語表現になぜ差が生まれるのかについて深い考察がされていました。特に、京都独自の婉曲表現は東日本に住む私にとって嫌味のように感じられることもあるのですが、京都では敬意を含んだ言い回しであるという点がとても興味深いと感じました。しかし、京都で身内尊敬用法が採用されるようになった要因が本文中で示されていないため、どうして敬語表現に地域差が生まれたのかという点についても考察する必要があると考えます。

日常会話における「トイウカ」

 こんにちは。夜ゼミ2年の広瀬です。最近はなかなか忙しい毎日を過ごしているのですが、そんな中カマンベールチーズにハマっています。作業中ちょっとお腹がすいた時とかにちょうど良いので、皆さんもぜひ。

 今回要約するのは以下の論文です。

原田幸一(2015)「若年層の日常会話における「トイウカ」の使用―縮約形「てか・つか」に注目して―」『日本語の研究』第11巻3号、pp.16-31、武蔵野書院

〇要旨

 若年層による日常会話をデータとし、「トイウカ」の使用を分析する。分析結果にもとづき、「トイウカ」の縮約形「てか・つか」の使用に注目し、考察する。

〇データ

 首都圏在住の大学生に協力を仰ぎ、親しい友人同士での自由な会話を収録する。

〇「トイウカ」の用法と置換

<発言改正用法>

・暫定提示…「と言ったらいいか」

・言い換え…「と言うより」

・譲歩補足…「と言っても」

<話題調整用法>

・話題導入…「ところで」

・話題維持…置換不可能で、単に話題を維持するために使用したとみなす場合

 このうち、各用法の「言う」がその語彙的意味を示しているのは<発言改正用法>であり、<話題調整用法>は示さないと言える。

〇分析

 データから「トイウカ」は1443例得られた。得られた「トイウカ」は、引用「と」の形式により、大きく「ト系・テ系・チュ系・ツ系」の4系列に分けることができる。

・ト系…「とゆーか」「とゆか」

・テ系…「てゆーか」「てゆか」「てか」

・チュ系…「ちゅーか」

・ツ系…「つーか」「つか」

 「トイウカ」1443例を系列ごとに、「出現数」と「使用者数」をそれぞれ百分率で示した。結果、出現数はテ系が1296例で約9割を占める。テ系の中でも「てか」が最多であり、全体の5割占める結果となった。使用者数を見ると、テ系3形式の使用者数の割合は全て6割以上である。また、ツ系では「つか」、ト系では「とゆーか」が最多である。

〇縮約形「てか・つか」の考察

 「トイウカ」の構成要素は「と+言う+か」と還元できる。「てか」は「と」が「て」に変化し、「言う」が脱落した形式であり、「つか」は「と+言う」が「つう」に縮約し「う」が脱落した形式である。また、「てか・つか」は「てゆーか・つーか」に比べてより合理的で効率的な形式とみなすことができ、話題調整用法で「てか・つか」の割合が高いことは「単純化」傾向の現れと考えられる。

〇私見

 例の数が1443例と非常に多く、説得力を感じる論文だと思う。この論文では調査対象が大学生のみだったため、大学生以外の幅広い世代で検証した世代ごとのデータも見てみたいと感じた。

日本語の「乱れ」

こんにちは。夜ゼミ2年の澤井です。この前の論文要約は要約と呼ぶには長すぎたので、できるだけコンパクトにまとめようと思います。

さて、今回要約した論文は以下のものになります。

増田 祥子(2012)「言葉の「乱れ」をめぐる新聞記事の分析 :「ことばに関する新聞記事見出しデータベース」から」『言語文化学研究 言語情報編』第7号、119―133

本論文では、国立国語研究所の「ことばに関する新聞記事データベース」を用い,言葉の「乱れ」を論じる新聞記事を分析し,新聞の紙面において,言葉の「乱れ」と呼ばれるものが何であるのか,時代によって「乱れ」の内容に変化が見られるのかについて論じている。

筆者が「乱れ」として言及しているのは以下の項目である。

(1)敬語・流行語・外来語

敬語・流行語・外来語の使用は「乱れ」として批判の対象となる。また,「乱れた言葉」の使用者も学生,女性,小中学生など多岐に渡る。

(2)「ら抜き言葉」

「ら抜き言葉」は,1987 年9月2日から1987 年の9月12日の読売新聞に特集記事「東京ことばら抜き「れる言葉」」として取り上げられるなど,1980 年代に議論を呼び,1980 年代に「乱れ」の代表となったといえる。

(3)「慣用表現」「漢字・仮名遣い」

仮名遣いや漢字の表記が「乱れ」として問題となる場合,国語政策の批判と結び付けられる。漢字の字体,音訓,送り仮名の「使用の制限」ではなく「使用の目安」を示し,弾力性を持たせた使用としたのである。文字表記の混乱に対する意識も低下したのではないだろうか。

「乱れ」の主体

  • 子ども・学生

「言葉の乱れている」人物として「子ども」や「学生」を多く取り上げることは,「正しく使うべき」であると見なされる対象であるといえる。また,「子ども」や「学生」の「言葉の乱れ」は教育の問題として,国語教育や学力の問題として,重ねあわせられ論じられる。

  • 女性

女性の言葉の「乱れ」の指摘も年代を問わず多く見られる。女性の場合,「言葉の荒れ」や「男性化」が問題となる。また、女性の言葉遣いは「乱れ」として常に批判の対象となっているのである。

考察

「乱れ」の内容は,「敬語」「外来語」「流行語」など,年代によって変わらないもの,「ら抜き言葉」「漢字・文字表記」など年代によって多く取り上げられるものがあった。 一方,「乱れ」の原因として,国語政策や国語教育と結び付ける言説も見られた。「漢字」「仮名遣い」はその例であり,国の漢字政策などと「乱れ」を結び付け,政策の批判を行う記事が見られた。

自分の意見

日本語を使っている身として、言葉の「乱れ」や「揺れ」は本来の正しい日本語からは逸脱しているものだと思う。しかし、流行語や若者言葉を調査する上では「揺れ」や「乱れ」によって生まれたものもあると考えるので参考にしたい。

「あーね」考

こんにちは!夜ゼミ2年の山本です。緊急事態宣言ということもあり、せっかくの夏休みなのにどこにも出かけられていません😢そのおかげと言ってはなんですが、課題が少しずつ進んでいます(多分)。大学生らしく旅行とか行って遊びたかったですが、、、!さて、気を取り直して…今回は以下の論文についてのレポートです。

二階堂整(2015)「あーね考」

『山口国文』第38巻、pp.108-101

この論文は、福岡県の方言である「あーね」が若者言葉として使用されるようになった要因について考察している。

 まず、「あーね」が実際に福岡の方言として使用されているのかを明らかにするため、高橋顕志氏が2000年と2004年の二回に行った、全国の大学生を対象とした方言アンケートを提示している。この調査によると、2000年では福岡県(一部、佐賀県も含む)でしか使われていなかった「あーね」が、2004年の調査では福岡県を中心として、筑後地方から佐賀・熊本県への拡大や、福岡市から北九州市への広がりが見受けられた。また、筆者が新幹線開通に合わせ2010年に実施した、福岡・熊本・鹿児島3県の方言調査では、表2、3のような結果になっている。

この調査結果から、高校生と活躍層(4、50代と一部60代)には大きな使用率の差があり、「あーね」が若者を中心として使用されていることが分かる。また、3県の高校生の比較から、「あーね」の使用率が福岡、熊本、鹿児島の順に並んでいることが分かる(表2)。このことから、筆者は鉄道沿いに「あーね」が伝わったと考察し、この主張を補填するため、さらに2014年3月にNHKで放映された「方言バラエティ あーね」という番組での高校生が対象のアンケートも引用している。この調査によると、「あーね」の使用率のトップは福岡(96%)であり、次いで福岡から長崎本線沿いに佐賀・長崎と並び、鹿児島本線沿いに熊本・鹿児島、日豊本線沿いに大分、宮崎と並んでいることが分かった(表3)。これを踏まえ、筆者は「あーね」の使用状況が、鉄道に加え、高速道路なども含めた人流の活発化が反映していると考察している。更に、福岡市に大きな商業施設(イムズ・ソラリア、キャナルシティなど)が開業したことから、福岡への若者の人流が増えたことも関係していると述べている。(『若者の消費行動』(1996)より)

次に筆者は、「あーね」が若者の間で広く使用されるようになったきっかけとして、現代の若者の気質と関連付けて考察している。と言うのは、相手に対し必要以上に気を遣った表現や、曖昧でぼかした表現を好んで使う若者の気質が少なからず影響していると推測している。同じ頃の相槌には「うそ」や「まじ(で)」などもあるが、「あーね」と比べると強めの印象がある。

 以上のことから、筆者は福岡県の方言「あーね」が若者言葉として使用の拡大が起きた要因としては、

この言葉の語感などが現代の若者の気質に合っていたこと

福岡県の発展に伴い九州内の移動が頻繁に行われるようになったこと

と相まって「あーね」が福岡から九州各県へ鉄道沿線に沿って広がっていき、若者言葉として普及したと考察している。

 この論文を読んで、同じ頃の相槌として「うそ」や「まじ(で)」などがあり、「あーね」と比較すると強めの印象になってしまうと論述しているが、それだけだと筆者の予想で止まってしまっているように感じたので、それらの相槌が「あーね」と比べてどのようなイメージがあるのかもアンケート調査などで示したらより①の説得力が増すと思った。

最近の歌謡曲のタイトルに見る命名

 こんばんは。昼ゼミ2年・名原です。今日はバイト先の職域接種に行ってきたのですが、

会場が有名なビルの中にある本社でびっくりしました。オフィスに滝がありました!

 

こちらは

伊藤雅光(2012)「最近の歌謡曲のタイトルに見る命名」『日本語学』第31巻第1号、pp.30-42、明治書院

の論文レポートです。

 

研究の目的

歌謡曲タイトルの命名はどのように変遷したのか分析する

 

方法1

 タイトルを語種判定して分類し、1960年以降のデータを10年単位で比較

(年代ごとの統計で比較するのは方法1~3で共通。)

 この研究では「タイトル種」という概念を用いて、

「和語タイトル」「漢語タイトル」「外来語タイトル」「混種語タイトル」「外国語タイトル」に分類する。

 

結果

・1960年から1980年までは和語と混種語のタイトルが大半

・2000年以降は外国語タイトルが大半

・混種語タイトルは1960年を最高にそれ以降は下降

→1960年から1980年までは「和語・混種語タイトルの時代」、

 2000年以降は「外国語タイトルの時代」ということができる。

(この転換が起きた時期は1990年)

 

方法2

外国語と日本語の品詞ごとの変遷で比較

 

結果

・外国語タイトルは時代が進むにつれて名詞以外の品詞の度数が増加

・日本語タイトルは時代が進むにつれて名詞以外の副詞と感動詞の度数が増加

→名詞が減少する点で共通している。名詞レトリックの陳腐化か?

 

方法3

日本語タイトルを品詞ごとの変遷で比較

 

結果

・動詞タイトルは1960年代から2000代にかけて高い数値からほぼ増減がない

→1960年には既に安定していた?

・形容詞タイトルは1960年代に6例あったが減少

・形容動詞タイトルは各年代で常に少ない

形容詞と形容動詞はレトリックとしての魅力に欠けるのではないか?

 

感想

 この研究では「タイトル種」という概念を用いた分類がされていました。分類方法は研究の説得力に大きく影響すると思うので、その一例として参考になりました。タイトル種を用いたことで、「和語・混種タイトルの時代」がちょうど1990年ごろに「外国語タイトルの時代」に転換したという面白い結果が出たので、これは効果的な分類だったと思います。

 

『談話資料 日常生活のことば』にみる女性のことばの「中性化」

 こんにちは。昼ゼミ2年宮澤です。

 最近、周りで成人式の話が出始めています。みんながどう変わったのか知りたい反面、私自身、小6からずっとこのまんまなので、お前は変わってないねって言われるのが嫌だななんて思ったり…色んな気持ちが混ざっています。

 さて、今回は、

 小林美恵子(2020)「『談話資料 日常生活のことば』にみる女性のことばの「中性化」」『ことば』第41巻、pp.3-20、現代日本語研究会

を要約しました。

 この論文は、自然談話においての女性の言葉遣い、特に文末形式に注目し、女性のことばの中性化を指摘している。更に、高年代女性に見られる文末形式の種類の多さは、「女性語」話者の高齢化と役割語の影響があると主張している。

<文末形式を基に、話者のパターンを3つに分類>

(1)[中性形式+女性形式+男性形式]話者(28名)

 …中性形式が主であり、女性・男性形式を混在して使用

 …20~30代<40代以上→高年代の方が多くの種類の形式を使用

(2)[中性形式+女性形式]話者(17名)

 …中性形式が主であり、女性形式を混在して使用

 …20~40代:「かしら」「わ」は使用なし

 …50代以上:「かしら」「わ」のどちらかは使用

(3)[中性形式+男性形式]話者(3名)

 …中性形式が主であり、男性形式を混在して使用

 …20代、30代の若年層のみ

 筆者は、女性は中性形式を主に使用し、男性・女性形式はバリエーションを豊かにするために用いると考察した。そして、高年代の特徴として、女性形式に「わ」「かしら」が含まれている点と男性形式の「かね」を使用する点を指摘した。

<「わ」「かしら」>

明治:女学生ことばが「女性語」として日本語に定着→「わ」「かしら」の使用

1980年代:若い女性のことばの中性化→「だよ」「かな」の使用増加

(主張)「わ」「かしら」使用世代が高齢化したため、高年代に使用が多い。

<「かね」>

・時代に関係なく「わ」「かしら」を使用しない世代 [先行研究:金水(2014)]

→おばあさん世代であり、その言葉を<おばあさん語>と定義

・「女性語」不使用話者  [先行研究:塹江(2014)]

→「(下流の)老婆」「(既婚の)上流階級の女性」「母から息子」など中年以上の女性

(主張)高年代女性としての役割語認識の影響がある。

<自分の意見>「わ」の使用は20代と50代以上で二極化していた。この論文では指摘がなかったが、50代以上は女性語的な、20代は「いや、高いわ!」のような突込み的な使い方をしているのではないか。

副詞的要素ほぼほぼについて

 こんにちは。夜ゼミ2年米光です。図書館ツアー以来に大学の図書館行ってみたのですが、地下の独特な匂いを思い出しました。この匂いは地下に通い詰めたら慣れるものなのか気になったので、これからが楽しみです。(笑)


さて、今回は以下の論文を要約しました。


近藤優美子(2019)「副詞的要素”ほぼほぼ”について」『待兼山論叢』53巻、pp.63-80、大阪大学文学会

 この論文は、“ほぼほぼ”を“ほぼ”に置き換えることができない用例がある理由を探るため、副詞“ほぼ”を2つ重ねた“ほぼほぼ”を,統語的用法と意味的用法の2つの側面から“ほぼ”と対照している。そして、“ほぼほぼ”と“ほぼ”を対照した結果,統語的にも意味的にも“ほぼほぼ”は“ほぼ”よりも用法の範囲が広いと主張している。

 まずは、統語的用法の対照をしている。“ほぼ”の用例は以下の通りである。

(1) a.数量:木星の直径は地球のほぼ十一倍,質量は大略三百倍

b.状態:十四日の月はほぼ完全な円に近い

c.行為の結果:事件のあらましはほぼ了解した

d.行為の進行状況:授業もほぼ終わりに近いころ,突然大きな地震が襲った

ここから、名詞,形容詞, 形容動詞,動詞を修飾することが分かる。

続いて、“ほぼほぼ”の用例は以下の通りである。

(2)お話し合いの中でいい日が見つかることが{ほぼほぼ/?ほぼ}です。

(3)ってもやっぱり{ほぼほぼ/*ほぼ}は宮地のおかげです, ありがとう最高だよ

(4)まずは成長著しい枝を剪定ばさみでカットし,大まかに形を 決め,そのあとバリカンで大まかに刈り込み, {ほぼほぼの/ *ほぼの}形を作らせていただきました。

(5)(筆者注:準備の)ほぼほぼを一人でやったのとちょうど引越し時期で重なったんで冗談抜きで本当に大変でした

(6)胃の調子が復帰しないので今日はほぼほぼにして寝マース

ここから、“ほぼほぼ”には“ほぼ”の全ての統語的用法があること、 “ほぼほぼ”には“の”を伴う連体修飾用法や述語用法,単独で項になる用法など“ほぼ”にはない名詞的な用法があることが分かる。

 次は意味的用法の対照だが、統語的用法との関係も整理するため次の4つから記されている。

 1.“ほぼ”と統語的用法が同じ“ほぼほぼ”には,“ほぼ”の全て の意味的用法があるか

 2.“ほぼ”と統語的用法が異なる“ほぼほぼ”には,“ほぼ”の 全ての意味的用法があるか

 3.“ほぼ”と統語的用法が同じ“ほぼほぼ”には,“ほぼ”にはない意味的用法があるか

 4.“ほぼ”と統語的用法が異なる“ほぼほぼ”には,“ほぼ”に はない意味的用法があるか

ちなみに、対照に用いる“ほぼ”の意味的用法は次のようにしていた。

  1. 数値の近似
  2. 性質・状態の近似
  3. C 十全性の近似     C-1 被修飾語の明示

C-2 被修飾語の非明示

4. 動的な事態の完成への近似

 以下は対照結果である。

 “ほぼ”と統語的用法が同じ“ほぼほぼ”には,“ほぼ”の全ての意味的用法がある。それに加えて独自の意味的用法があり,「被修飾語が表す範囲内にあるが,その被修飾語が表す極限にはない」ことを表している。

 “ほぼ”と統語的用法が異なる“ほぼほぼ” には,“ほぼ”の全ての意味的用法があるわけではない。そして、用例は「十全性の近似」にほとんど限定される。また、それ以外に独自の意味的用法が2つあり、①“ほぼ”の「性質・状態の近似」用法の被修飾語が明示されない用法,②「主体の状態が許容できる程度にある」ことを表す用法である。

 このように、“ほぼほぼ”と“ほぼ”を対照した結果,統語的にも意味的にも“ほぼほぼ”は“ほぼ”よりも用法の範囲が広いことが明らかになっていた。

 要約には論文に載っていた用例をそこまで載せなかったが、この論文では対照において一つ一つ用例を挙げていたので納得することができ分かりやすかった。私も用例を挙げて説得力を高めることができればよいと思った。

若者ことばに見る(間)主観化について-「大丈夫」の新用法に注目して-

 こんにちは。昼ゼミ2年の芝﨑です。

 要約が苦手な私にとっては今回の課題が今までで1番辛い課題かもしれません。

川口良(2017)「若者ことばに見る(間)主観化について-「大丈夫」の新用法に注目して-」『文学部紀要』31-1号,pp37-57,文教大学文学部

 この論文では、「大丈夫」の意味機能はどのような変遷をたどり、断り表現「大丈夫」はどのように位置付けられるか述べられている。

◎「大丈夫」の変遷

◎「断り表現」の「大丈夫」

⑴店員1:こちら袋にお入れいたしますかー。

    (袋に入れないと困るのではないか)

  客1:はい、(袋に入れなくても)大丈夫です。

⑵店員1:はい、ありがとうございまーす。レシートお持ちになりますか。

    (レシートがないと困るのではないか)

  客1:あ、(レシートがなくても)大丈夫です。

⑶店員1:温かいものと袋お分けいたしますかー。

    (温かいものとは袋を分けないと問題が生じるのではないか)

  客2:はい、(袋を分けなくても)大丈夫です。

⑷店員3:Tポイントカードお持ちですか。

    (Tポイントカードにポイントを付与しないと、不利益が生じるのではないか)

  客3:Tポイントカードを持っていないのでポイントを付けなくても)大丈夫です。

(川口2016:p.6)

 発話を見ると、「大丈夫です」は、前節の省略部分をもって発せられていると考えることができ、聞き手の発話に十分な注意が向けられている。⑴~⑷の「大丈夫です」が前提とする「聞き手の懸念」とは、それぞれ、例文下にある店員の客に対する懸念や心配を想定することで、それを打ち消す意味で「大丈夫です」が用いられたと考えられる。

 尾崎(2016)は、「コーヒーのお代わりは大丈夫ですか」のような問いかけを「相手の不利益や問題のある状態を想定し、そのままでもよいのかと気遣う言語行動」で、それに対する客の「大丈夫です」という答えは「自分の不利益や問題のある状態を想定した上で応答している」と論じているが、話者は「大丈夫」を選択しているのではなく、聞き手に対する何らかの配慮が働いているのではないか。これは、「大丈夫」の用法がすでに「間主観化」して、「相手の懸念や心配を打ち消す」配慮表現として機能していたことに起因するものと考えているためである。

 以上のことを踏まえ、「大丈夫」の新しい用法は、相手の主観性によりいっそう配慮するようになった、話者の間主観性がより強まったものとして考えられ、「大丈夫」の「間主観化」が新たな段階に進んだことを示すものと言える。

 この論文の前半部分である「大丈夫」の意味変遷にに見る「(間)主観化」では、意味、時代、用法、初出など事細かに情報が書かれている上に、最後には図でまとめられている点がとても分かりやすかったので、私も時代や歴史など、時系列に関する解説では、図を取り入れたいと思いました。

「現代のリアルな若者の若者言葉の使い方とその心理」

 こんにちは。昼ゼミ2年の芝﨑です。

 早めに終わらせようと思っていたはずの課題が残ったまま9月に突入してしまいました。早く終わらせた方が楽なのに、、と思いつつもなかなか難しいですね。

 今回は、以下の論文を要約しました。

石原一輝, 金和達也, 舘一輝(2020)「現代のリアルな若者の若者言葉の使い方とその心理」『金沢大学人間社会学域経済学類社会言語学演習 [編]』第15巻pp.33-46 金沢大学人間社会学域経済学類社会言語学演習

 この論文では、若者の言葉遣いとその心理がインターネットの影響下にあることを「普通に」の用法を通じて論じている。

 先行研究(井本)より、「普通に」という副詞は、3つの修飾関係を構成し、予想と結果の間において使用され、その文脈は以下の4つに分類される。

 ①肯定的予想をしていて、肯定的結果を得る場合

 ②否定的予想をしていて、肯定的結果を得る場合

 ③否定的予想をしていて、否定的結果を得る場合

 ④肯定的予想をしていて、否定的結果を得る場合

 本当に先行研究の主張するような使い方を日常のコミュニケーションの中で若者が使用しているのかアンケートを実施した。

 a)現代の若者のコミュニケーションにおいて「普通に」を、井本のいう副詞的使い方をしているのか。日常会話では、それ以外の心理的側面が強いのではないか。

 b)若者のコミュニケーションは、若者特有なのか。昔と今とで異なる他の周りの社会、時代の影響を受けて形成されていくからこそ、現代では年配者である「昔の若者」との間隔のズレを感じるのか。

 まずa)について、大学生とそれより上の世代に調査した結果、分類された文脈のうち①の使い方は世代に関係なく使われていることがわかった。しかし、②から④になるにつれて「大変違和感がある」と答えた割合が、世代ごとに増えていった。特に、④のようなコミュニケーションの中で、表現を曖昧にするような、婉曲的な使い方は、大学生以外にとって馴染みのない不可解な使い方であるらしい。

 以上のことから、年齢が若くなるにつれて年配の方々が違和感を覚えるような言葉を使っているとし、これは若者のコミュニケーション心理が原因だと考えた。

 次にb)について、「Nishijima(2020)によると、20年前と比較して、若者どうしは付き合いの中で相手を傷つけないように、そして自分が傷つかないように行動するようになっており、それはコミュニケーションの意識にも表れているという(p328-329)。」インターネットを介したコミュニケーションをとる機会が増加し、それに伴って相手の気を損ねないよう、より相手に気を使った表現をとる必要が高まっているからだとその根拠を述べている。

 今回調査した若者言葉以外からも同様のことが言えるのかについて、この論文の今後の課題としても挙げられていましたが、私も卒業論文のテーマの一つとして、候補を探してみたいと思いました。