「誤用」による言語変化

こんにちは。夜ゼミ2年の澤井です。ワクチン2回目の副反応から解放されて最強になった気分です。早くもとの生活に戻ってほしいところです。

さて、今回要約した論文は以下のものになります。

中山英晋(2016)「原義とは異なる意味で使われる「誤用」例についての考察」『目白大学 人文学研究』第12号、221―223

本論文では、日本語の「誤用」や「ことばの乱れ」が広範囲や高頻度での使用が認められている現代で、ある程度の定着がみられる「誤用」にはどのような背景や理由があるのかを考察している。考察をするにあたって筆者は「誤用」を次のように定義している。

「誤用」を言語変化の一部としてみなすのであれば、必要に応じて意味が転用した結果である。そして時代に大きな変革があったときには、漢字制限や仮名遣いの新しい原則が導入されたり、一般の支持を受けた敬語の簡略化が行われたりなど、今までとは違った変化がもたらされ、「乱れ」を誘発する要因が作り出されてきたことも「誤用」出現の一つとして挙げられるだろう。このようなことから、「誤用」は求められて出現してきたものであり、出現させないよう抑え込むことは不可能である、といえる。

「誤用」の具体例

(1)役不足の私ではありましたが、みなさまのご協力のお蔭で……。

→話し手が〈与えられた役目が重すぎる〉(「誤用」)という意図で謙遜する意味合いを出そうとしているところ、聞き手によっては〈与えられた役目が軽すぎる〉(「正用」)と解釈し、高慢な感じを与えてしまっている。

(2)「おじさまは気のおけない人ね」とカワイコちゃんから言われたら、私は喜ぶ。ところがどっこい、これは「気が許せない」と言っているのだ。(中略)大ショック……。

→話し手が〈油断できない〉(「誤用」)という意図で警戒感を伝える意味合いを出そうとしているところ、聞き手は〈遠慮がいらない〉(「正用」)と解釈し、心を許せる安心できる人という意味として受け取り、しばし有頂天である。

(3)打った瞬間に鳥肌が立ちました。大事な試合でしたからね。

→話し手が〈感激している〉(「誤用」)ことを伝えようとしているが、聞き手によっては〈驚いて怖がる〉(「正用」)ような出来事があったのか、と誤解してしまう。

「誤用」は時々メディアをにぎわしてはいるものの、通常は大して深刻な問題を引き起こすことはない。例外は、上記のようにコミュニケーション障害が生じる場合である。伝えるときに、自分の意図するところが誤解され、歪められるようなことがあっては、人間関係形成のうえで重大な障害となろう。言葉を選ぶ際、相手に対して失礼にならないかと気をつけるのも基本的なマナーである。

考察

核家族化や単身世帯の増加、地域コミュニティの希薄化やIT技術進展による職場環境でのコミュニケーション低下などにより、異世代での会話の頻度が、以前と比較して、少なくなってきていることも否めない。このように考えると、コミュニケーション障害が起きる前提が少なくなってきているともいえる。勢力を伸ばした「誤用」は、勢いそのままに「正用」を駆逐し、自らもスムーズに「正用」に移行していくようにも思えるが、逆の働きもある。「誤用」使用者に対して、単純に「誤用」を指摘したり修正したりするのは、一概にはできない。そこで使う方法は、誤用意識を芽生えさせることである。これにより社会的抑制力が働くこともある。メディアなどで「誤用」は「間違っている」と示すことで、違和感を前面に押し出す。すると、日本語として不自然であるという認識が徐々に頭上を覆い始める。また話し言葉は、規範を脱したり省略が多用されたりなどの特徴を持つが、話題の連続性により文脈把握はたやすく行うことができる。高コンテクスト言語である日本語であるが、話し言葉はさらに文脈依存を強めている。話し言葉を優先的に高頻度で使用することは、それだけ「誤用」として出現した新しい意味をまとったことばを使用することであり、また「誤用」の普及率を高めて「正用」に近づく貢献をしていることを意味している。

自分の意見

昔からある言葉の意味変化によって若者の間で流行する言葉が生まれるというケースがよくみられるので、「誤用」が「正用」に近づくプロセスはとても為になった。また、話し言葉が主流になっているというのが大きな原因として挙げられていたのは自分の調査テーマにも共通していると思うので参考にしていきたい。