音声学的アクセントと音韻学的アクセント

こんばんは。昼ゼミ2年の前橋です。ついこの間新年を迎えたと思っていましたが、1月も残すところあと一週間という現実に恐れおののいています。この冬は、自分の注意力や計画力不足で色々と困った事態に直面することが多かったので、3年生になるにあたり、もっと自分に責任をもって常日頃行動するようにしたい、と思っています。

さて、今回は少し前から興味を持っていた発音とアクセントについて、以下の先行研究を要約しました。

城生佰太郎(2012)「音声学的アクセントと音韻学的アクセント」文教大学国文 Vol.41 p.12- 21

城生は、日本語教育の見地から、日本語の「アクセント」について、現在の音韻論的レベルでの解釈が基本になっていて、このことは、日本語母語話者や日本語を熟知している外国人にとっては見落とされがちだが、日本語学習者にとっては解りづらいものとなっていると述べた上で、音声学的観点からのアクセント(教育)の重要性を訴えている。

城生(2008)によると、音声学的アクセントとは、

単語レベルの音節間に相対的に備わっている知的意味(客観的な意味)を反映した、高低・強弱・長短など音の量的変化に関する社会習慣的なパターン

と定義される。「音の量的変化に関する社会習慣的なパターン」となれば、殆どすべての言語に、音声学的アクセントは存在する。

日本のアクセント辞典などは、ほぼ音韻学的アクセントを表記しており、例えば「コーヒー」という単語のアクセントは

コーヒー/LHHL/(Lは低い平音、Hは高い平音)

というふうになっているが、実際の日常生活の場面ではそう発音することはほとんど無く、もしそう発音するなら、一音一音明瞭に発音しなければならない騒がしい場所や、子どもや外国人に丁寧に発音を教えるときなど、極めて限定的な場面に限られる。

ということは、音韻学的アクセントは日本語教育の上で現実的な発音方法ではないと、城生は述べている。ここで、実情に即した「音声学的アクセント」が必要になる。音声学的アクセントで先程の「コーヒー」を表すと

コーヒー/HHHL/

となる。

さらに、「僕の」のアクセントは/HLL/、「うち」のアクセントは/LH/だが、これらが複合して、「僕のうち」となると、単純に二つを合成した/HLLLH/にはならず、新たに/HLLLL/となる傾向が見られる。これはアクセントレベルにおける同化現象と考えられる。日常で、崩れて使われる「ぼくんち」になってしまうと、アクセントは間違いなく/HLLL/となる。しかし、このような音声言語に関する辞典は乏しいと城生は指摘している。

次に城生は、国際音声記号(IPA)によるアクセント表記について記している。従来のアクセント表記は、上記したように音韻学的レベルを基調としてきたが、ここで問題になっているのが、高さの段階に関する問題であると城生は述べている。例えば「こうもり」のアクセントは

コーモリ/HLLL/

と、音韻学的には表記されているが、実際のところは「こうもり」と発音すると、高さはたえず下降している。これを正確に表記しようとすれば、音声学的レベルからIPAなどの表記を用いるほかないとしている。しかしそれは、散々避難した音韻論的レベルからのアクセント表記になってしまう。

―モリ

では、後半部分の「―モリ」の部分がすべて[低低低]として扱われてしまっているところに問題がある。ここで城生は、音声の高さに段階をつけ、従来のHとLの間にMの層を設け、

コーモリ[HmML]

と表記している。最初のHが太字なのは、この音節が途中で下降を伴う長音節であることを示し、その次の小文字のmは第二音節にかけてHからMレベルに向けて下降することを示している。この表記法は、「鼻」と「花」や「端」と「橋」などに見られる第二音節の扱いに関する問題を解決できる。

城生は、今までの音韻論的レベルでのアクセント表記では表しきれないアクセントを、音声学的レベルから、段階をつけて表した。これにより表現の考察の幅が広がったと言えるのではないだろうか。

今回はアクセントの表記についての論文を要約したが、アクセントや発音についての他の論文を読んでいると、固有名詞や地名によって、複合した際に個体差が生まれたり、また「連濁」という現象があることが分かったので、今後はそちらについても調べてみたいと思う。

引用文献

城生佰太郎(2008)「一般音声学講義」勉誠出版