(論文要約サンプル2) 「言語使用者における動機のあり方について」

※以下のようやくレポートは、あくまでもサンプルとして掲載しているものです。
※要約は、本文の切り貼りではありません。他者に報告する文体を意識して下さい。
※この論文を選んだ動機や、自分の研究テーマにどう関係するかも書いて下さい。
※自分の意見も少し書いてみましょう。(2年生にはちょっと難しいかもしれませんが)
※抽象的な批判、論文の目的から逸れる批判は書かないで下さい。

—————————–以下、要約レポートのサンプル————————

こんにちは、夜ゼミ4年の○○です。昨日は夜ゼミの忘年会でした。明日は昼ゼミの忘年会ですね。肝臓と財布が危機的状況に陥る年末年始ですが、どうぞ皆さん健康には気をつけましょう。ところで、今日は以下の論文について簡単に報告したいと思います。

加藤重広(2002) 「言語使用者における動機のあり方について」 『富山大学人文学部紀要』第36号、pp.43-49.

この論文では、言語使用者が特定の表現を用いる動機にには色々あるのだけれども、大別するとそれらは主に「正の動機」と「負の動機」という2種類に分類できるということを指摘しています。前者は新たな表現形式を積極的に用いたいという動機であり、後者は旧来の表現形式を用いたくない(回避したい)という消極的な動機のことです。このことを確かめるため、加藤は表記、統語論、語用論の3つの側面から具体例を挙げ、この順で議論をしています。以下、この順に沿って簡単にまとめます。

まず表記の選択に関わる動機について、加藤は外来語を例にとって説明しています。外来語は「コーヒー」や「メロン」のようにカタカナで表記するのが一般的ですが、ひらがなで表記する場合もあります。この時、加藤はおおむね以下のような動機が存在しており、それらは「正の動機」か「負の動機」のいずれかであるとしています。

1) 通常の表記から逸脱したいという動機 (負の動機)
2) カタカナの持つ特殊な効果を避けたいという動機 (負の動機)
3) ひらがなの持つ効果を利用したいという動機 (正の動機)

ひらがなとカタカナのような二項対立の場合は、負の動機だけでも表記選択が一義的に決定されますが、さらに漢字も含めて三項対立として考えれば、「負の動機」が1つだけではどの表記を選択するか決定できず、さらに複雑になります。

次に、統語面における2つの動機についてですが、論文では「有名」と「無名」の例が挙げられています。「有名」は「有名な作家」ということからわかるように連体ナ形が用いられ、「*有名の作家」という用法は許容されません。しかし「無名」の場合は「無名の兵士たち」や「無名なタレント」のように、連体ナ形も連体ノ形も用いることができます。加藤は、ここでどちらの形式を選択するかは正と負の動機が関係していると考えています。ある種の評価軸を導入し、段階的な属性として見た場合が前者であり、不連続な評価で非段階的な属性として見ている場合は後者が選択されると一般に言われています。そのため、この二者はごく緩い二項対立が想定され、連続的に評価したいという「正の動機」と、非連続的に評価したくないという「負の動機」が表裏一体の関係になっていると加藤は述べています。(確かに、ナとノの選択ということになれば統語論の問題ですが、その選択は極めて意味論的な判断に基づいているため、この問題は同時に意味論の問題でもあると思います。)

最後は、語用論の領域における正負の動機について、「Xになります」という表現を取り上げて考察しています。本来、「Xです」や「Xでございます」という表現が選択されるべきところで、「Xになります」という表現が選択されるのは、正の動機の発動結果ではなく、負の動機がいくつか重なって一般化したものと見るべきだと指摘されています。例えば、「スパゲッティーです」は「そっけない感じがあり、やや丁寧さに欠ける」という負の動機が発動し、「スパゲッティーでございます」は「古めかしく、やや過剰な品位がある」ということで負の動機が発動するため、「Xになります」という表現が生き残ったのだろうと述べています。勿論、負の動機だけが働いている訳ではありません。「スパゲッティーになります」には「私が決めたのではなく、もうそういうことになっている」という責任を回避するニュアンスを伴うことから、これが正の動機としても機能しているとも指摘されています。

以上のように、加藤は様々な場面における表現選択の動機に正と負の2側面が関与していると指摘していますが、これは私の研究テーマである若者言葉についても非常に有用な考え方です。常に新しい表現が求められる若者言葉においては、新しいものを追い求める若者心理もあるのでしょうが、逆に、古いものはかっこ悪い(だから使いたくない)という心理も働いているはずです。これらは正と負の動機と密接に関係していることは間違いないと思いますので、この点に注意したいと思っています。

この論文の面白いところは、積極的な「正の動機」と消極的な「負の動機」という2分法だと思います。このような2分類は、Brown and Levinson (1987) の提唱したポライトネス理論でいうポジティブ・ポライトネスとネガティブ・ポライトネスの2分法と似ていて、興味深いものがあります。ポライトネス理論は、いわゆる語用論の分野に属するものですから、ここで論じられている2種類の動機も極めて語用論的な概念ものかもしれません。

そうすると、最初に挙げられていた表記の問題も、実は(最後に述べられていた)語用論的な問題と同じなのではないかと考えられます。「ひらがな/カタカナの持つ効果」とありましたが、その効果というのは語用論的な意味情報なのではないでしょうか。後半の「Xになります」の場合も、「「Xでございます」という表現が持つ効果を避けたい」や「「Xになります」という表現が持つ効果を利用したい」と言い換えても問題はないように思います。とすれば、中盤に挙がっていたナとノの選択も含め、意味論もしくは語用論的な要因としてまとめて考えることもできそうです。

引用文献