こんばんは。夜ゼミ二年の松蔭です。実家の近くの小学校でコロナにかかってしまった人が出たようです。知り合いにかかってしまった人は今までいなかったので一気に身近に感じました。これからもより気を付けて行こうと思います。
さて、今回は次の論文を要約しました。
藤本 真理子(2020)「敬語は距離? ―尾道の方言「ちゃった」を考える―」『尾道文学談話会会報』10巻 p93-99
この論文は「三成地区の歴史と備後地方の自然探訪教室」にて2019年6月16日に行われた、広島県尾道市方言の「~ちゃった」に関する講演にもとづいたものであり、尾道方言と東京方言(標準語)の「~ちゃった」の違いに着目して考察している。
尾道方言には以下のような例が見られる。
「先生、どこから来ちゃったん?」
これは言われてしまった方は「来てはいけなかったのだろうか」と、感じてしまう表現である。しかし、これは『これが広島弁じゃ!』(灰谷2016)にある通り、広島弁の方言の敬語として広く確認できる。ここにおける「ちゃった」は助詞の「て」にこぴゅらの「じゃ」が加わった「てじゃ」を過去形にして用いられている。(「て」+「じゃ」+「た」→「て(じ)ゃった」→「てやった」→「ちゃった」)
これに対し東京方言では以下のような例が見られる。
「え!? 苦手な先生がきちゃった」
この「ちゃった」は苦手な先生が来たことが歓迎されておらずその期待外れの状況を表す役割を持っている。また、東京方言としてのちゃったは「てしまった」がもともとの形であり、変化の過程には「っちまった」というような形も現れる。(「て」+「しまう」+「た」→「て(し)ぃ(ま)ぁった」→「てぃぁった」→「ちゃった」)
以上のことからそれぞれの「ちゃった」は別々の過程を経て成立していることがわかる。
ここで講談にて目上の人に向かって非常に丁寧に尋ねるかと質問したところ、「あなたは、今、何と言いましたか」という文において同一の回答者からa「あなたは、今、なんとゆーてくれちゃった」b「あなたは、今、何といわれましたか」の二つの言い方があるとの回答をもらった。このことから、aとbをそれぞれ使い分けていることがわかる。
ここで関西地方の「はる」敬語について考える。関西地方では「いてはる」と「おられる」を使う。この「はる」について滝浦(2008)は「「ハル」の機能が、対象をソト待遇することによる遠隔化ではなく対象をウチ的にとらえる近接化にあることは明らかになるだろう」と述べている。
この「はる」と同様尾道方言の「ちゃった」も〈近づけ〉としての機能を帯びていると考えられる。
自分の意見
この「ちゃった」はお年寄りに多く見られる表現であり、この論文のもととなった講談も高齢者を対象に行われたものであるため、我々の世代にはあまり使われている表現ではないですが、関西地方の「はる」と比較して考えるのは非常に面白いと感じました。