日本語の人名における表記の冗長性

 こんばんは。昼ゼミ2年・名原です。この投稿をしようとしても、毎回「正しいJSONレスポンスではありません」というエラーが出てしまって大変でした。「JSON」が何かは存じ上げませんが、私は脳内で厚切りジェイソンを毎回暴れさせていました。

以下、

秋田喜美(2021)「日本語の人名における表記の冗長性 : 関係形態論 の観点から」『国立国語研究所論集』21号pp,1-13(国立国語研究所)

の論文レポートです。

概要

冗長な日本人名の音韻を分析する。

「冗長」とは?

「水月」の/zu/、「咲希」の /ki/ 、「花奏」の /ka/ のようにそれぞれ2つの漢字の読みとして重複していること。

三種のパターン

・「水月」型(一字目と二文字目の一部の読みが重複)

・「咲希」型(一字目の漢字のみで全体の読みになり、二字目が冗長的に付加)

・「花奏」型(「咲希」型とは反対に,2つ目の漢字が全体の読みになる)

関係形態論(Jackendoff, Audring(2020))で解析

・「水月」型

 「水月」型は非包括型の混成である。なぜ非包括型であるかというと、「Phonology」(=音韻)が「zu」が「水」と「月」、それぞれの読みの始まりと終わりの役割を持つため。

(1)

・「咲希」型・「花奏」型

これらは包含型の混成と同様の音韻的重なりがある。

(2)

(3)

 しかし、「*/sakiki/」と読めてしまうのに「咲希(/saki/)」、「*/kakanade/」と読めてしまうのに「花奏(/kanade/)」という表記を変えていないので完全な「混成」ではない。(漢字は表意文字と表音文字両方としての働きがあるのでこのような現象が生じた。)

なぜ冗長な命名にするのか?→プラスイメージの漢字(例;月)を取り入れられるからでは?

冗長性を考えない考察

・冗長性を排除した場合

 例えば「歩夢」のような名前。漢字が送り仮名を含むときは「歩む(/ajjum-u)」。漢字と形態素境界に不一致が生じている。

 よって「歩む」を「aju-mu」と異分析したことによる送り仮名的な漢字の用法なのではないか?

↓反論

・冗長性を認めると規範的ではない表記を統一的に三分類できる

・混成を含むという性質がある

・人気の名前と同じ音韻で個性を出した命名ができる

・追加的要素の音韻がゼロの場合

「咲希」型と「花奏」型について,男性名「大空 /sora/」の「大」のように追加的要素である「希」や「花」が音韻的にゼロである可能性は?

↓反論

・これらの漢字の読みが「咲」や「奏」の読みと重なっている

参考

Jackendoff, Ray and Jenny Audring (2020) The texture of the lexicon: Relational morphology and the parallel architecture. Oxford: Oxford University Press.

感想

 「関係形態論の図」を初めて見たので興味深かった。単語をさらに分解した語単位と単語全体とでそれぞれの意味、統語、音韻、正書法が一目で分かる点が良いと思った。

 冗長な名前にすることで、プラスイメージの漢字を取り入れることができるというメリットが考察されていたので、アンケートを取って本当にプラスイメージのある漢字なのか調査すると説得力が増すと考えた。そしてその回答が、「冗長な名前にする理由」というこの研究においても重要な疑問に対する一つの答えにできるのではないか。