メタファーとメトニミーの区別について―認知言語学的視点から―

お疲れ様です。夜ゼミ2年の鈴木貴美です。先程湯島天神から帰って参りました。いよいよ2月、受験シーズンですね。毎年この時期になる度に、受験生の頃の自分を思い出します。また私事ではありますが、教え子のなかにもインフルエンザに罹る生徒が増えてきているように思います。皆様もご自愛くださいませ。

ところで、私は前回までの発表で共感覚形容詞について調べていました。そのとき、谷口(2003)で述べられていたメタファーかメトニミーかの区別が難しいものや、そこから示唆される両者の連続性というものに興味を持ちました。今回は、その区別について認知言語学の基礎的な知識を見直すことも兼ねてこの論文を選びました。以下、簡単にではありますが、この論文について紹介いたします。

松井真人(2009)「メタファーとメトニミーの区別について―認知言語学的視点から―」『山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所報告』,第36号,pp.1-8

この論文は、メタファーとメトニミーは「理解」か「指示」かという機能の上でしか分類出来ないということを述べています。このことを説明するために、松井は伝統的な類似性や近接性という分類や、関わる百科事典的知識構造に纏わる用語を理想認知モデル(以下ICM)と纏め、その数による分類の不十分さを具体例を挙げながら指摘しています。以下、その順に即して要約をしていきます。

まず、理解することがメタファーの最も重要な機能として挙げられていることをLakoff and Johnson(1980)の説から示し、更にある概念(起点領域)と他の概念(目標領域)を対応付けるものであると纏めています。そして、この対応付けは「経験的類似性」と「経験的共起性」という二つの経験的基盤から動機付けられていると述べ、前者はLIFE IS A GAMBLINGGAME、後者はMORE IS UPという具体例を挙げています。また、Grady(1997)が提案したSTRONG DESIRE IS HUNGERなどの直接的な経験基盤を持つプライマリー・メタファーについても紹介していました。松井はプライマリー・メタファーも、共起性に基づくものであり、発達初期段階の子どもたちが言語を習得するときに生ずるということを述べています。(確かにプライマリー・メタファーの中にMORE IS UPは含まれていますし、直接的な経験基盤という概念も曖昧だと思いますが、ここに対しての指摘が薄いのが気になりました。)

次に、Langacker(2000)の参照点能力に基づくメトニミーの説明を認知的な際立ちが高いもの(参照点)から低いもの(ターゲット)へとアクセスするという認知作用であると紹介しています。例文としては”That car doesn’t know where he’s going.”を挙げ、that carを参照点、運転手をターゲットとしたうえで、目に見えるものの方が際立ちが高いと述べています。更に、Radden and Kövecses(1999)らが先述のICM内の心的アクセスとしてメトニミーを捉えており、古くから言われてきた近接性はICM内での概念同士の近接性であると紹介しています。また、松井はメトニミーにもメタファーと同じような概念メトニミーと、そこから生ずるメトニミー表現とを区別する必要性を提唱しています。それらを踏まえたうえで 松井は、心的アクセスには(ⅰ)ICM全体からそのICMへの部分へ、(ⅱ)ICMからそのICM全体へ、(ⅲ)ICM全体からそのICMの別の部分へ、という三つのパターンがあるとしています。それぞれ具体例としては(ⅰ)WHOLE THING FOR A PART OF THE THING(America for ‘United States’)、(ⅱ)PART OF A THING FOR THE WHOLE THING(England for ‘Great Britain’)、(ⅲ)AGENT FOR ACTION(to author a new book)が挙げられていました。

以上のように、メタファーは二つのICM間の対応付け、メトニミーは一つのICM内にある概念の心的アクセスと捉えられていることを確認したうえで、松井はMORE IS UPのような「経験的共起性」という基盤を持つメタファーが問題になると述べています。MORE IS UPは容器に水を入れればその量が増えるといった経験によって生ずるプライマリー・メタファーであるものの、「蓄積」という経験に関するICMを構成する要素として、「量の増加」と「嵩の上昇」が存在するという解釈も可能であると指摘しています。すなわち、この表現におけるICMはメトニミーと同様に「蓄積」一つであると分析しているということです。他にもKövecses(2002)やTaylor(2003)も同様のことを述べているということや、上下のスキーマが抽象的に用いられる時にのみメタファーになるということ、Radden(2003)がプライマリー・メタファーを”metonymy-based metaphors”と呼んでいることを紹介しています。

これらを踏まえ松井はICMの数ではメタファーとメトニミーの区別をすることができないとし、また伝統的な類似性や近接性に基づく分類も、共起性に基づくプライマリー・メタファーの解釈のゆれがあるため、十分な基準にはなりえないと分析しています。そこで挙げられたのが機能という基準です。松井は、メタファーはある概念を他の概念と対応付けることによって他の概念を理解すること、メトニミーはある概念から他の概念へ心的なアクセスを行うことで他の概念を指示すること、という独自の機能が存在していると述べ、そこに注目することが有効な基準であると主張していました。(これについては、どのようにそれを判断するのかが示されていなかったので、これから考えてみる必要があるように感じました。また、日本語についてはあまり触れられていなかったので、それについても引き続き考えたいと思います。)

参考文献

鍋島弘治朗(2011)『日本語のメタファー』くろしお出版

谷口一美(2003) 『認知意味論の新展開 メタファーとメトニミー』研究社