こんにちは。昼ゼミの古瀬玲愛です。新しい年になってゆっくりする時間もなく日々忙しくしております。
ところで、本日はこの間読んだ以下の論文をレポートします。モダリティーについて興味がありモダリティーにはどのようなものがあるのかと思い、読んでみました。
高梨信乃(2010年6月12日) 「評価のモダリティー ~現代日本語における記述的研究~」第1刷発行 くろしお出版
評価のモダリティーと実行のモダリティーの交渉について見られています。「評価→実行」の方向を考え、実行のモダリティーは大きく分けて、行為要求と意志があるが評価のモダリティー形式による行為要求を評価のモダリティー形式による意志表明について見ている。逆に「実行→評価」の方向での関連として行為要求の形式が評価のモダリティーに接近する場合について見ている。
行為要求は聞き手が行為を実現することを求めたり、容認したりする機能で行為要求を下位分類する時に重要な観点となってくるのが、その行為の実現がだれにとって有利か。<命令><禁止><依頼>は話し手にとっての有益性を基盤とした行為要求の系列と言われている。一方<許可><進め>は聞き手にとっての有益性を基盤とする行為要求の系列と言われている。
後者の説明は評価のモダリティー形式で、聞き手にとっての有益性を基盤とする行為要求を分析する際重要な観点になってくる。行為の実績に関して話し手の強制力と聞き手の決定権のいずれかという点だと思われる。
これを踏まえて以下を説明、要約していきたいと思う。
・<許可>と<勧め>の違い
許可は聞き手の行為の実現を話し手が容認することを伝える機能で積極的に聞き手に対し行為を促すものでない。一方、勧めは、聞き手にとって有益だと考えられる行為を実現するように話し手が聞き手側に踏み込んで促す機能。このように許可は聞き手の決定権が優勢で、勧めは話し手の強制力が優勢である。
もう帰ってもいいよ。<許可>
もう帰るといいよ。<勧め>
話し手の強制力の強さは様々で異なる形式により、表し分けられる。
もう帰ったほうがいいよ。
もう帰らないといけないよ。
(2)(3)(4)を比較すると話し手の強制力は(2)<(3)<(4)の順に強くなる。逆にいえば行為を実現するかどうかについて聞き手の決定権は(2)>(3)>(4)の順に弱くなっている。(2)は勧めといえるが(4)になると勧めより<忠告>と呼ぶほうがふさわしい。(3)は両者の中間的な意味である。このように許可、勧め、忠告といった機能の位置づけには、話しての強制力の強弱という観点が不可欠である。さらに各機能には、行為の実現でなく非実現を求める<否定の許可><否定の勧め><否定の忠告>というべきものがある。
まだ帰らなくてもいいよ。
「帰る」という行為の非実現を許可する、否定の許可である。
・各形式による行為の要求の典型
評価のモダリティー形式が➀制御可能な➁未実現の➂聞き手の行為について用いられ、行為要求となる時の最も基本的、典型的な機能を確認する。
「てもいい」は、許可として機能する。
(6)「おかあさま、もう寝てもいいです。ぼく何時間ぐらいねむったの」
(三浦綾子 『塩狩峠』p113)
「なくてもいい」は聞き手がその行為を実現しないことを許可する、否定の許可として機能する。
(7)「わざわざ、来てくれなくてもいいよ、遠いから」
(増野綾子 『太郎物語-大学編-』p307)
・<勧め>と<忠告>
勧め、もしくは忠告として機能する評価のモダリティー形式は「といい」「ほうがいい」など複数あり、それぞれ意味が異なる。
「といい」はその行為を単純に望ましいものとして勧める場合に用いられる。話し手の強制力は弱い。
(8)「長浜へ行ったら雑多イに替え玉っていうものをやるといいよ。」
(林真理子 『美食倶楽部』p85)
「ほうがいい」はその行為を実現しないと悪い結果になるというニュアンスを帯びやすいため多くに場合、忠告に近い意味になる。
(10)「でも永沢さん、ハツミさんのことを大事にしたほうがいいですよ。あんな良い人なかなかいないし、あの人見かけより傷つきやすいから」
(村上春樹 『ノルウェイの森』p169)
・評価のモダリティー形式の意思の表明
評価のモダリティー形式による行為要求が多岐にわたっているのに対し、意向への関わりは限られている。
(11)「(略)よかったら、夕食は私のほうで何かこしらえてもいいわ」
(林真理子 「東京の女性」p167)
「てもいい」が制御可能な未実現の話し手の行為に用いられると、話し手のその行為を行う、意志を表し、「しよう」などによる意志の表明に近い意味になる。ただし、「てもいい」による、意向はその行為を行うことが許容できる、もしくはその行為を行う準備があるという、消極的な意向の表明の留まるという点で、「しよう」などによる意志表明とは異なっている。
(12)人間、容姿ではありませんよね。私もまだまだ、がんばらなくちゃ。
(毎日新聞2001.4.4)
「なくてはいけない」は義務や規則ではなく、話し手のその行為を行うことへの強い意欲を表すような場合がある。
・行為要求から評価のモダリティーへ
「実行→評価」の方向での関連として、代表的、典型的な行為要求の形式である命令形、禁止形が評価のモダリティー形式へと接近する様子をみる。
・命令形、禁止形と評価のモダリティー形式の基本的な違いは、命令形、禁止形において、評価のモダリティー形式と異なって、テンスが分化しない。
(13)早く行け。
(14)まだ行くな。
また、行為者は基本的には聞き手に限られ、明示されない。
(15)({私は/君は/彼は})早く行け。
(16)({私は/君は/彼は})まだ行くな。
命令形と禁止形が表す基本的な機能は、それぞれ<命令><禁止>である。命令・禁止は行為の実現、非実現を聞き手に強制するもので、聞き手に対する配慮を含まない点で、評価のモダリティー形式によって表される<勧め><許可><忠告>、<否定の勧め><否定の許可><否定の忠告>と異なる。このようにみると、命令形、禁止形と評価のモダリティー形式は、基本的な文法的特徴の点でも、また行為要求としての意味の点でも異質なものに見えるが、用法を詳細にみれば、両者の間には共通する性格もみえる。
・命令形から評価のモダリティー形式への接近
(17)「おい次郎。ちょっとこいよ。話がある。」
(山村美紗 『凶悪なスペア』p286)
(18)「おーい、誰か」
丸岡は椅子ごと身をよじって、若い男を呼んだ。
「伊東邸と深沢邸をお持ちしなさい」
それは家の模型で、どちらも奇妙な形をしていた。
(林真理子 『美食倶楽部』p65)
このように強制力が強く、聞き手に配慮しない行為要求は命令形独自の用法であるが、このような行為要求が行える場合は、話し手の立場、聞き手との関係で限られる。
典型的な<命令>以外の用法の中には、評価のモダリティー形式に近いものがある。
(19)私はメロンを切って博士に手渡しをし、安楽いすの傍らに腰をおろした。
「君も食べなさい」
「ありがとうございます。どうぞお気遣いなく」
(17)(18)でことなる点は実現するように働きかけている行為が聞き手にとって有益なものとして捉えられている。
(19‘)君も食べるといい。
また、聞き手がその行為の実現を望んでいるという状況で、命令形が用いられる場合。
(20)忘れてもいいのよ、忘れなさい。
(池田満寿夫 「エーゲ海に捧ぐ」p193)
命令形と評価のモダリティー形式との共通性は、別の観点からも見いだせる。
(21)一方的に話を終え、受話器を置いたとき、家の中に気配を感じた乃武夫が台所で水を飲んでいた。
「入る時は玄関から入れよ」
(向田邦子 『阿修羅のごとく』p221)
これらの命令形は、評価のモダリティー形式の用法と近い。
(21‘)入る時は玄関から入るべきじゃないか。
(21)は、非実現に事態する評価を表すもので、聞き手を非難している点で(21‘)と同じである。
・禁止形から評価のモダリティー形式への接近
禁止形「するな」をみる。
(22)カオル「今ときめいたな」
ウシ「……」
カオル「とぼけるなよ、俺にはわかる。そういうきたならしい目つきで俺のソノコ勲を見つめるな!」 虫酸が走る!」
(松岡錠司 「バタ足金魚」p89)
このような典型的な、禁止は禁止形独自の機能である。評価のモダリティー形式に置き換えると、意味が変わる。
一方、典型的な、禁止から離れ評価のモダリティー形式が表す意味に近づく場合。
(22‘)俺のソノコを見つめちゃいけない。
(23)小声で
「姉ちゃん、出るな」
ひとりで玄関の戸をあけた。
実現しないように聞き手に働きかけるものである。
(23‘)「姉ちゃん、出ちゃいけない」
これは<否定の勧め>もしくは<否定の忠告>と考えられ、「てはいけない」の意味に近い。
以上、命令形、禁止形から評価のモダリティー形式への接近といえる現象を見てきて、<命令形><禁止形>だけに限らず、状況、文脈によっては、評価のモダリティー形式と共通する機能を果たす場合がある。命令形、禁止形は話し手の評価を示すものでなく、文脈によって、さまざまな色合いを出すことができる。
今回はテーマを絞って第9章だけを読んでみました。とくに、行為要求としての機能と命令形、禁止形と評価のモダリティー形式との関係のついて、言い方や状況などによって機能も変わっていくことが分かり、モダリティーについて視野が広がった。
引用文献一覧
朝日新聞 2001 『CD朝日新聞2001データ集』 日外アソシエーツ
池田満寿夫 1982 「エーゲ海に捧ぐ」 文藝春秋 p193
曽野綾子 1979 『太郎物語-大学編-』 新潮社 p307
林真理子 1989 『美食倶楽部』 文藝春秋 p65、p85
林真理子 1989 「東京の女性」 文藝社 p167
松岡錠司 1991 「バタアシ金魚」 映人社 p89
三浦綾子 1937 『塩狩峠』 新潮社 p113
向田邦子 1985 『阿修羅のごとく』 新潮社 p221
村上春樹 1991 『ノルウェイの森』 講談社 p169
山村美紗 1983 「凶悪なスペア」 講談社 p286