日本語動詞述語の構造

おはようございます。朝っぱらからバイト先から失礼致します。夜ゼミ3年鈴木貴美です。2012年度の前期は2グループにおりました。
クリスマスには課題を確認したはずなのに、もう1ケ月が経とうとしています……時が経つのは早いものですね。今年は就職活動やら卒論やらに忙殺される予定なので覚悟したいと思います。寒い日が続きますので、皆様もお身体には気を付けてお過ごしください。

去年の投稿を見ていただくと解るかと思うのですが、私は2年次にメタファーとメトニミーについての研究をしておりました。しかし、早々に壁にぶち当たり(笑)3年次からテーマを変えて「でした」と「だったです」についての研究に取り組んでおります。2年生の皆さま、テーマ選びは視野を広く、そして慎重に。
というわけで、些か前置きが長くなりましたが今回は以下の本について紹介をしたいと思います。

丹羽一彌(2005)『日本語動詞述語の構造』笠間書院

2012年度の後期の発表でも論文を紹介した方の著書です。論文も幾つか読んだのですが、私自身が文法に関心があったのもあり、とても興味深い話が多くあったので此方を選びました。方言なども踏まえ、命題の名詞化などにも触れていますが、今回はタイトルにも掲げられている動詞述語の構造と、私の研究テーマでもある丁寧語の文成立形式化を中心に紹介致します。

一点目の動詞述語には必須要素とオプション要素の二つがあると丹羽は述べています。それについて順に纏めていきます。

まず、前者の必須要素は動詞の活用形と文成立形式の二つに分けられます。活用形というのは語幹形、未然形、連用形、連体形、音便形のことで、それに付随する叙述、希求、禁止、意志、否定意志、推量の六つを文成立形式と呼んでいます。丹羽はこれらが組み合わさることによって動詞述語が成立するとしています。 例えば、書くという動詞は連体形kakuに禁止の-naが接続することで書くな(kaku-na)という述語を構成するということです。所謂学校文法では活用にさまざまな問題があるため、このような分け方は非常に画期的であるように思います。但し、私が研究している丁寧表現の一種であるマス(-mas-u)は連用形に接続しますが、新しい派生動詞であるとされていました。

続いて、後者のオプション要素というのは先述の「動詞活用形+文成立形式」に意味を付け加えるものです。これらは動詞活用形に続いて、使役、受動、授受、アスペクト、客観否定、目撃、尊敬、丁寧、主観否定、確認の順に接続すると丹羽は述べています。
例を挙げるならば、書かせる(kak-ase-ru)は動詞活用形(語幹形:kak)+オプション形式(使役:ase)+文成立形式(叙述:ru)ということになります。このあたりが私が今テーマにしている配列に密接に関わってきます。

二点目の丁寧語の文成立形式化というのは、本書では動詞述語には現れないためあまり触れられていなかったデスについてです。

まず、丹羽はデショーを文成立形式のダローと関連付けて述べています。現代語のダローには体言に接続するものと動詞述語に接続するものの二種類があることを指摘しており、それがデショーにも対応していると言うのです。即ち、デショーは「丁寧+推量」といった二つの意味の形式ではなく、推量を表す単独の形式であると述べているのです。これは実に興味深い指摘だと思います。なぜなら、ダローとデショーを推量という観点から括り、その後非丁寧か丁寧かという篩にかけているからです。丁寧かどうかという形式に捉われていた私からすると、まず意味で分けてみるというのは新たな切り口であるように感じました。

そして、最後にデスの文成立形式化についてです。デス・マスは述語を構成する要素ですが、丁寧な表現というのは伝達内容から独立した要素です。すると、分節的形式でありながら超分節的意味を表すという矛盾が起きてしまいます。デスについては後期の発表でも紹介した井上(1998)の表でゴザイマス→デス、マス→デスへの拡張が指摘されていましたが、丹羽はこれを先述のような言語体系の矛盾を減らすための変化によるものだと考えています。実際に、古い形式である「高うございました」と新しい形式である「高いです」を例に挙げて説明致します。なお、今回は触れませんでしたが、本書では動詞述語の構造を[[[命題]判断]態度][働きかけ]と表しており、以下はそれに則った表記を致します。

高うございました   [[[ござる]丁寧+確認]φ ]
高かったです   [[[高い ]     確認]丁寧]

以上のように、丁寧が[判断]の位置から[態度]の方へと移動しています。これは先に述べた矛盾を解決するために文末に丁寧を配置したのではないかというのが丹羽の主張です。その結果、形容詞述語を丁寧にする文成立形式としてデスが生まれたのであり、ゴザイマスとの単純な交替ではないと言うのです。また、丹羽はこの観点から動詞述語に移行する際は「行く+です」よりも「行った+です」が最初に現れるということも述べていました。

勿論、これは形容詞述語の話ですし、動詞述語にはマスという形式があるので容易には変わらないと思います。しかし、以前は誤用であるとされていた形容詞+デスが容認されつつある今、全くないとは言い切れないと私は感じています。それらを考えると、この観点は欠かせないものです。今後はこれらも踏まえたうえで、文法的な観点と通時的な観点の両方から研究をしていきたいと思う次第です。

参考文献

井上史雄(1998)『日本語ウォッチング』岩波書店