こんばんは。昼ゼミ3年の安藤です。提出が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。
現在は就職活動もはじまり、説明会・ESの提出・履歴書の記入・SPIなどの勉強を両立することに日々励んでいます。ですが、周りの友達の話を聞いてるともう面接をしている友達もおり、業界によって選考の速さが違うと理解しつつも、大丈夫なのだろうかと心配する毎日を送っています。常に意識を高く持ち、気を抜かずに自分らしく頑張りたいと思います。
さて、今回私は 北原保雄(2005)『続弾!問題な日本語—何が気になる?どうして気になる?』から、「やばい」の意味変化について要約しました。
「やばい」は、もともと盗人の言葉(仲間内だけで通じるように仕立てた言葉)で「捕まるおそれがある、危険だ」などの意味を表す。現在は、少し意味が広がり、「勉強していないから、今度の試験、やばいよ」といったように、「自分に不利な状態が迫っている」という意味で使われている。
ところが、最近、若者の間で、「やばいよ、この味」のような言い方がなされている。別に、腐って食中毒を起こしそうな味だということではない。同じ場面で、「やっべ、これ、うっまー」などとも使われるように、おいしさが際立っていることをあらわしているのだ。
「やばい」のこれらの用法にはいくつか特徴があります。一つは、これは、ほめ言葉にしか使わない人が多いということだ。もちろん、「やばい、遅刻しそうだ」という従来の方法はあるが、「やば、これまずっ!」「やばい、さっむー!」といったマイナスの評価には使いにくいようだ。
ほめ言葉に使う「やばい」は、「(感動して)自分がやばくなるほどだ、自制がきかなくなってしまいそうだ」という意味だろう。「恐ろしく(すごく)うまい」というのも、もともとは、「自分が恐ろしい(すごい)と感じるほどうまい」ということだから、使い方は同じだ。「恐ろしく」や「すごく」は「恐ろしくうまい」「恐ろしくまずい」のように、評価のプラス・マイナスにかかわらず、単純に程度の甚だしさを表すが、「やばい」は、マイナス評価を表す「やばい」をプラス評価の「うまい」と一緒に用いるミスマッチによって、刺激的な表現にしているのだろう。
二つめは、「すごい」が「すげーでかくなった」のように副詞的に用いられるのに対し、「やばい」は、「このカレー、やっべーうまくなった」のように副詞的に用いると不自然だと感じる人が多く、「やっべ、これ、うめー」「うんめ、ちょっと、やベーよ、これ」のように、感動詞的な用法が中心である点である。大学生や高校生にアンケートしたところ、多数が「これ、やっべーうまくなった」という言い方は不自然だと判断しました。
三つめに、食べている最中や食べ終わってすぐに、「やっべ、うっめー」などと言い、「あのカレー、おいしかった?」「うん、うまかった、やっべー」のような、その場を離れた思い起こしや報告の表現ではあまり使わないという点がある。「すごい」ならば、「昨日食べたカレー、すんげうまかったよ」のように自然に使えるところですが、「やばい」は、その場との結びつきがきわめて高い表現のようだ。
こうして見ていくと、最近の若い人たちの「やばい」は、ミスマッチの効果による刺激的な表現として、感動詞のように使われているようだ。この刺激は多用されることによって薄れていく。一部には、「やばい」を「すごい」や「恐ろしく」と同じように、程度を表す副詞のように使っている人もいるが、ほかのもっと刺激的な表現に取って代わられてしまうのではないか。
以上が要約です。要約をして気づいた点は、用法の特徴における一つ目のほめ言葉にしか使わない人が多いという点である。マイナスの評価には使いにくいようだという記述がありましたが、前回の発表においてコーパスの分析結果においてマイナス評価として使っている例文も見かけたことから、ほめ言葉に「しか」使わないと断定はできないように感じた。
次に、二つ目の「やばい」を副詞的に用いると不自然と感じる生徒が多いという点について。確かに「やばい」は感動詞的な用法が中心であるが、これもコーパスの検索結果をもとに分析する必要がある。
また、三つ目のその場を離れた思い起こしや報告の表現ではあまり使わないという点である。私は、前回の発表で「やばい」と「すごい」に焦点をあてて発表したのですが、その明確な違いまでは言及できませんでした。ですが、この要約において「すごい」だと自然に使えて「やばい」だと不自然なのは、このことが要因の一つの可能性もあるので、このことも視野に入れつつ今後の研究に繋げていきたいです。