昼ゼミ三年の菅野です。提出期限に気が付かずに提出が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。近況としましては、就職活動を見よう見まねで行っている最中でして、先日、試しに面接を受けた会社からまさかの内定を頂き驚いております。ですが、まだまだ幅広い視野を持ち妥協することなく頑張っていきたいです(笑)
さて、本日紹介する論文は、寺尾 康(2008) 『言い間違い資料による言語産出モデルの検証』音声研究 12(3), 17-27, 2008-12-30 日本音声学会です。この論文は基本的な言い間違いの種類を定義し、言語産出モデルの検証をしている論文です。今日はこの論文を要約することで改めて言い間違いについて再確認していきたいと思います。 まず、寺尾は言い間違いを「成人の健常な言語能力を持つ日本語を母語とする話者が故意にではなく行った、発話の意図からの逸脱をさす。これに読み誤りやごく打ち解けた場での不正解な発音は含めない」と定義し、「故意にではない」ことが最も重要だと指摘している。そして、いくつかの先行研究モデルを例にこれらの言語産出モデルが持つ普遍性と個別性について言及する。寺尾の言い間違いの分類は以下の通りである。
代用 ジャカン カップ (ジャパンカップ)音韻単位の間違いであり後の音韻の 予測 時間で言うと、深夜に時間するのは(電話)語彙単位の間違いで前の語彙の保続 付加 草野均さん司会の司会で(草野均さんの司会で)語彙単位の間違い 欠落 青木となかじ の組(なかじま)音韻単位の間違い 交換 ながせばはない (話せば長い)形態素単位の間違い 混成 しょったい (招待+接待) (下線部は誤り、( )内は話者の意図)
次にこれらの種類の言い間違いを通じて普遍性と個別性について以下のように述べている。
意図の構築→文法的符号化→音韻的符号化→調音という流れは普遍的といってよい特徴であろう。そして個別性というのはそうしたモデルのほとんどがいわゆるゲルマン語派の言語からの証拠に基づくものであることを考慮に入れて、類型論的に異なる言語である日本語の特徴を反映しているようにみえる観察結果を証明するために、従来のモデルのどこを修正するのか、あるいは修正の必要はないのか、という現実的な観点に立つという意味である。具体的には、音韻・音声的符号化の単位としてのモーラと音節について検討してみたい。
以上の発言を踏まえて寺尾は日本語の特徴の一つとしてモーラの役割の多様性を指摘し、ゲルマン語派ではモーラの必要性は皆無だが、日本語における音韻的な日本語産出を考えるときモーラは重要な働きをすると述べる。また英語などの言い間違いでは音節全体が動くことがほとんどないが、日本語の場合では頻度に観察されることにも触れている。 この論文を読んで、今後の自分の言い間違いの研究をする際にモーラについても考えていく必要性があると感じた。表面的には理解することのできない言い間違いでも様々な視点から考えていき、卒業論文を納得いく形で完成させたい。