「若者言葉と男性語・女性語」

 こんにちは。昼ゼミ2年の西村です。早いもので、新年になり早1週間がたちました。来週には成人式もありますね。私は去年成人式に参加したのですが、大雪が降り、ある意味記憶に残る成人式でした。今年は天候に恵まれるといいですね。
 さて、本題に入ります。私は谷光忠彦さんの『若者言葉と男性語・女性語』について要約しました。
 この論文では、「若者言葉」と「男性語・女性語」を例に言葉と文化の関わりについて書かれています。1999年に若者が使う言葉について著者が行った調査では、「超・・・」「・・・っちゅうか・・」「まじ(で)」という表現は男女の差がなく、多く用いられていることが指摘されています。一方で、「むかつく」「・・・って感じ」「へこむ」は男性のよりも女性のほうが多く使っているそうです。言葉によって男女間で使用頻度に差が出るのは、男性と女性とでは社会生活あるいは人間関係の対応の仕方に美妙な相違があり、それが言葉に反映しているからだとしています。つまり、一般的に若者は婉曲表現よりも力強い直接表現で素直な感情を吐露する反面、慎重かつ懐疑的な表現も表しています。男女差で見ると、男性は忍耐力の乏しさを思わせ、女性は感情を抑制する傾向にあるとしています。著者は5年後の2004年に1999年と同様の調査を行っています。それによると、「やばい」の使用頻度が男性と女性で逆転し、女性のほうが強く関心を持っているとしている。「やばい」は危機感の表れであり、不安定な世相を反映しているのではないかと著者は主張しています。5年前は使用頻度が1番目だった「超」は3番目に落ち、逆に3番目だった「まじ」がトップになっています。著者はここから男性には懐疑的発想傾向が伺えるとし、「ありえない」が女性の使用頻度のトップであることは女性の信念の強固さを表していると指摘しています。
 また、1999年に男性語、女性語にはどのようなものがあるかを調査したものでは、男女共に「おれ」や「ぼく」などの一人称の代名詞が男性語としてトップにしています。一方、女性語としては男女共に「・・・だわ」「・・・よ」などの終助詞が女性語としてのトップになっています。著者は男性が自己の社会的存立を意識することに対し、女性は人間生活の中で情緒的雰囲気を大切にする心情の表れだとしています。つまり、男女によって生活感情の中で若干異なった価値観(文化)を有していることに起因すると主張しています。ところが、2004年に同様の調査をしたところ、男性は男性語、女性語のトップは「おれ」「ぼく」「わたし」「あたし」などの代名詞としています。女性は男性語・女性語共に終助詞をトップにしています。ここにも男女での価値観の相違が見られると著者は指摘します。しかし、男性は社会的存立を意識した人生観を重視する傾向のあることが想像できるのに対して、女性は情緒性に重きを置いた人生観に価値を置いていることがそうできるという点では5年前の調査と同様の傾向にあると著者は主張しています。
 また、女性は接頭語の「お」をよく用いることについては男性、女性共に指摘しています。室町時代の女房詞に潜む文化の一端の残存を感じることができます。「おれ」という表現も万葉集にみる「おのれ」の「の」が脱落したもので、本来は相手を罵倒する言葉だったものが後に自称に用いられるようになりました。女性語についても、男性の最も多い回答は代名詞を指摘していることであり、これは日本社会における女性の社会進出の急速な向上を反映した側面(文化)が見えると言っている。
 日本語に男性語と女性語という区別があることは明白だが、時代が移り変わるにつれて、その差は縮まってきており、それは近年の女性の社会的活躍に起因しています。とはいっても、性差による若干の価値観の差は否定できず、それが言語表現に表れているとしています。
 著者である谷光氏は、若者言葉を題材に男性語と女性語を比較し、言語活動と社会の関わりをこの論文で指摘している。たしかに、女性の社会進出というのが近年注目されている。言葉遣いに関しても、普段の生活の中であまり男女の差を感じない。しかし、性別が違う以上、詞の佐賀なくなることはないであろう。その点に関しては共感である。だが、調査をする際の人数が少ないように感じた。また「・・・だわ」という表現を使うという理由で、女性が情緒的雰囲気を大切にする傾向があるという結論を出すには理由が少ないようにも感じた。

参考文献
 谷光忠彦 「若者言葉と男性語・女性語」 『武蔵野学院大学に本総合研究所研究紀要』 3.pp50~57.2006.

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