みなさんこんにちは。昼ゼミ二年の東森です。先日、妹が我が家に持ち込んだらしいノロウイルスに苦しめられました。詳しい検査はしていないので断定はできませんが、家族中に感染するのではと心配しましたが、幸い父にも母にもうつらずほっとしました。まだ寒い日が続き、ノロウイルスに限らずインフルエンザも流行しているようなので、こまめなうがい手洗いを続けようと思います。
さて、今回私が紹介する論文は、坂本武(1984)「日本語における軟口蓋破裂有声子音[g]と軟口蓋通鼻有声子音[ŋ]再考:濁音/鼻濁音の面から」(駒澤大学文学部英米文学科pp.19-pp.31)です。この論文では、いわゆる「日本語の乱れ」のうち、話し言葉における濁音・鼻濁音の混同について音声学的な見地から稿を進めていくものです。ただし著者は保守的な立場をとり、「美しい日本語」と呼ばれるものとの比較において論じることを断ったうえで論じています。
日本で共通語の「鶯」は、〔ウク゚イス〕([ uŋuisu])と発音され、音楽は〔オンカ゚ク〕([oŋŋaku])であって、〔ウグイス〕([uguisu])、〔オンガク〕(oŋgaku)ではない。もし後者であれば、「鶯」はその美しい鳴き声も〔ゴーゴゲギョ〕となってしまいまさに怒鳴り声であって、鳴き声や囀りとはおよそ縁遠いもので、「音楽」は♯も♭もなかろう。挙げれば際限なく、この濁音と鼻濁音の混同は、最近訳10年間にわたって特に顕著であり、日本語教育における「音」に対する比重が低いためであろうか。
しかしこの問題は、日本において分布圏をもっている。したがって鼻濁音の発音が困難な分布圏に住む人々にまで本論を強制するものではなく、論点はあくまで東京を中心として話される言葉、いわゆる共通語の中にまで、歓迎されざる発音を持ち込むのは考えなければならない。
この論文の分布図によれば、鼻濁音の発音される地方は、北海道・東北・東京・関東の大部分・愛知岐阜を除く中部・兵庫県周辺等である。その他の地域は濁音圏か両方混ざる地域である。少なくとも従来、日本語の規範としては前者と可とし、後者は避けられてきたにもかかわらず、共通語として存在すべき鼻濁音が、非共通語圏の濁音に圧倒されようとしている現状に著者は疑問を抱いているのである。
そこで、軟口蓋有声子音としての[g]と[ŋ]の現れる位置について総括再考してみたい。
(1) 破裂音[g]は語頭(または第一音節)に立つ。/濁音
「外苑」〔[ga]ien〕、「画家」〔[ga]ka〕、「楽屋」〔[ga]kuja〕、「瓦石」〔[ga]seki〕、「学科」〔[ga]kka〕等。
(2) 文節の中に入ると(または第二音節以外は)通鼻音[ŋ]となる。/鼻濁音
「愛玩」〔ai[ŋa]n〕、「鋳型」〔i[ŋa]ta〕、「威厳」〔i[ŋe]n〕、「銭形」〔zeni[ŋa]ta〕等。
(3) 助詞、助動詞等は通鼻音[ŋ]である。/鼻濁音(助詞の〔ガ,が〕、格助詞、接続助詞、終助詞等すべて[ŋ]となるのが原則である。)
〔日〔ガ,が〕[ŋa ]出る〕、〔君〔ガ,が〕[ŋa]代〕 以上格助詞
〔咲く花のにほふ〔ガ,が〕[ŋa]ごとく……〕、〔行ってみた〔ガ,が〕[ŋa]、その通りであった〕 以上接続助詞
〔老いず死なずの薬も〔ガ,が〕[ŋa]〕 終助詞
〔落下雪の〔ゴ,ご〕[ŋo]とし〕、〔おまえの〔ゴ,ご〕[ŋo]とき大馬鹿者〕 以上助動詞
(4) 接続詞は通鼻音[ŋ]である。/鼻濁音
〔その花は白色です〔ガ,が〕[ŋa]、こちらは赤色です〕
(5) 複合語の下接語が、〔カ行〕で始まる語であっても、連濁の場合は通鼻音[ŋ]。/鼻濁音
〔電力+会社〕→〔電[den]力会[ŋai]社〕
(6) 語頭以外にあっても、次のような場合には、通鼻音[ŋ]/鼻濁音ではなく、破裂音[g]/濁音となるのが普通である
㋑複合語の下接語が〔ガ,が行〕ではじまっても、その複合度または音義的熟度は薄いときは、硬化作用は示される。
〔日本+銀行〕→〔日本銀[gin]行〕(このような例では例外なく[gin]が普通)
〔音楽+学校〕→〔音楽学[gaku]校〕(高等学校、外国語学校も例外ではない)
〔前+外務大臣〕→〔前外[gai]務大臣〕等。
㋺数詞の五(5)
十五、二十五、三十五(15、25、35)……等の五(5)。但し十五夜、七五三、七五調など、数詞の意義が失われつつあるものは通鼻音[ŋ]/鼻濁音である。
㋩同音を繰り返す擬音・擬態語の場合。
ガ(が)ヤガ(が)ヤ、ギ(ぎ)ラギ(ぎ)ラ、グ(ぐ)ズグ(ぐ)ズ、ゲ(げ)ラゲ(げ)ラ、ゴ(ご)シゴ(ご)シ
(7) 外国語は原発音通り。但し、〔イギリス〕は例外で[ŋi]である。→〔イキ゚リス〕
このような原則が存在し、戦前教育には厳しく教育され、また戦後二十五年間程は、何とか両音の区別が保たれていた。しかしここ十年程前頃から、として昨今における両音の乱れ、不自然な交替はその奇異な点において「日本語の乱れ」の最もたるものの一つと言えるかもしれない。
これらはなぜ発生したのか、著者の列挙する原因をまとめると、
・近頃の小・中学生に見られる、軟口蓋破裂音[ga,gi,gu,ge,go]一本読みの傾向。
・教育者側に、音の二相、特に破裂音[g]、通鼻音[ŋ]についての充分な理解と注意があるか疑義の残る点。それ以前に鼻濁音圏出身でない教師がかなりいると思われる点。
・NHK・民間放送局を問わずアナウンサーやニュースキャスター、記者にもこの傾向が散見される点。さらにはすべての芸能人にも当てはまる。
以上がこの論文の要約ですが、この論文はあくまで日本語古来の美しい響きを守ろうとしており、変化しつつある日本語を客観的に捉えたものではありません。ですが論文の最後で、言葉が文化の核心である点を考えると、保守論も大いにさかんであってよいと思われると述べ、著者は言葉の変化に対してもっと人々が関心を寄せるべきだという立場にいると考えられます。また、1984年と少し古い時代に書かれたもので、現在はさらに濁音・鼻濁音の混同が激しくなっている点でも、この論文が正確であるとは決して言えないことも考慮しなければなりません。
私自身、日常会話でのガ行音の発音において、濁音と鼻濁音を使い分けができていませし、他人の発音が気になったこともありません。しかしこの論文を読んで、日本人が日本語の音の美しい響きを意識しなくなったことに少し危機感を感じました。