日本語の取り立て助詞

こんにちは。尾谷昼ゼミの大内です。寒い日が続きますが、みなさん体調を崩さぬようきちんと健康管理しましょう。今回、私は以下の論文の要約をしました。

  中村ちどり(2008)『日本の取り立て助詞と限定詞・名詞句フォーカス』岩手大学人文社会科学部 言語と文化・文学の諸相, pp.263-274 

 この論文では、日本語の取り立て助詞を中心に数量詞・名詞句を取り立てる場合についてフォーカスの観点から論じています。

 1.日本語の取り立て助詞の「は(対比)」「だけ」「しか」は、

(1)  学生が5人は来た。

(2)  学生も、5人来た。

のように、数量詞や名詞を取り立てる。ここでは、主語名詞句の量化にかかわる取り立て助詞が(1)のように数量詞を取り立てる場合と、(2)のように名詞句を取り立てる場合について、フォーカスの観点から分析する。

 まずフォーカスだが、取り立て助詞は、文中の特定の要素を他の要素と対立させるために使用される。この文中の要素を「フォーカス」された要素と考えると、取り立て助詞はある範囲内でフォーカスによって示された要素の入れ替えを行う役割を持つといえる。「学生が5人は来る。(→学生が5人以上来る)」のように、取り立て助詞が限定詞(数量詞)を取り立てた場合は、「以上」「ちょうど」「未満」等数量についての習慣的含意が付け加えられる。取り立てられた限定詞は、保守性を満たす、単調増加・減少の意味が付加される、否定によって単調性の反転が起きる、数量詞否定の用法を持つ、等の典型的な限定詞の性質を持つ。したがって「数量詞+取り立て助詞」の全体が新たな限定詞を作っていると考えることができる。「~は」の場合、肯定では「学生が5人は来る」の「5人は」は「5人以上」を含意する。したがって「少なくとも」と共起可能であるが、「多くとも」とは共起できない。

2.動詞句否定の場合、「学生が5人は来ない」という文が「来ない人が少なくとも5人いる」という解釈を持つ時肯定文と同じく「5人は」は「5人以上」を示す。

  数量詞否定の場合、「学生は5人は来ない」が副詞「多くとも」と共起可能である時「来る人が5人未満である」という含意を持つ。しかし「~」が1の場合は、「学生は(多くとも)ひとりは来ない」のように数量詞否定だけが共起できず、数量詞が全量の場合は「学生はすべては来る」のように肯定と動詞句否定が共起できない。「~は」以外に例を挙げると、「~しか」は肯定も動詞句否定の用法も持たず、「~だけ」は肯定と動詞句否定の用法のみを持つ非単調的・保守的な限定詞である。

 「限定詞+取り立て助詞」はAの個数についての情報を持ち、「名詞句+取り立て助詞」はBの個数についての情報を持つ。したがって限定詞と名詞句の両方にフォーカスがある場合は、2つの解釈の合計が文の意味解釈になる。たとえば、(3)における量子は「学生も来る」と「5人は来る」の解釈により来る学生の数は5人以上、学生以外で来るものの数は1以上であると判断できる。

3.まとめとして、取り立て助詞が限定詞を取り立てた場合は、新たに否定限定詞を含む典型的な限定詞をつくっている。また、名詞句を取り立てた場合には典型的な一般量化詞をつくることはないが、一般に特有の保守的な演算を行う。さらに、限定詞と名詞句の両方を取り立てた場合はその両方の解釈を持つ。したがって、取り立て助詞そのものは限定詞や一般量化詞ではないが、フォーカスに応じて限定詞の一部を構成したり、疑似的な一般量化詞解釈を導くと考えることができる。

 考察.

 取り立て助詞の基本的な用法、用いられ方に着目しつつも名詞句や動詞句に焦点をあてたところが新しいと思った。要約では便宜上載せていないが、数式のようなものがあり、これについての説明が不足だと感じた。また、書いてあることの意味が不明な箇所もあった(例:↓mon↓)のでこれまた説明不足に感じた。多様な捉え方の一つを学べた点においては非常に良かった。

 <参考文献>

中村ちどり(2008)『日本の取り立て助詞と限定詞・名詞句フォーカス』岩手大学人文社会科学部 言語と文化・文学の諸相, pp.263-274