「ようだ」と「らしい」―「そうだ」「だろう」との比較も含めて―

初めましての方は初めまして、そうじゃない方はお疲れ様です。尾谷夜ゼミ3年の倉田陽平です。寒いですね。3年生は就活がんばりましょう。2年生の皆さんは3年生になる準備をしつつ春休みを楽しんでください。
 
どうでもいい話はさておき、今回要約したのは以下の論文です。要約なので、以下より「ですます」調の文体やめます。ご了承ください。

菊池康人(2000)「「ようだ」と「らしい」―「そうだ」「だろう」との比較も含めて―」『国語学』第51巻1号pp46~58

この論文は、日本語の「ようだ」と「らしい」を中心にして、タイトルに書かれた互いに類似する4つの言葉の使い分けについて〈観察対象と判断内容の距離〉という観点から、それぞれの使い方を区別している。筆者はまず「ヨウダ」と「ラシイ」の意味について、

・ヨウダ:直接観察(体験)したところ、はっきりとはわからないが~という様子だ
・ラシイ:観察したものに推論を加えると、はっきりとは分からないが~という様子だ

と定義している。そのうえで両者の使い分けについて3つに分類している。

1.「ヨウダ」を使い、「ラシイ」を使わない

(1) 昨日彼と話しましたが、時々関西弁が混じる(よう/:*らしい)ですね。

(1)のような文は彼が関西弁を話すことは聞けば分かることであり、そこに推論は必要ないことから、筆者は「ヨウダ」のみを用い、「ラシイ」は使用することができないとしている。

2.「ラシイ」を使い、「ヨウダ」を使わない

(2) 人間の体は60兆個もの細胞でできている(*よう/らしい)ですね。

(2)は内容的に話者自身が経験したり、真偽を確かめたりできないが、〈しかるべき人が言うなら信じていいだろう〉という判断をしている為「ラシイ」を使うとしている。一見「ソウダ」も使えそうであるが、「ラシイ」が〈信じていいだろうと判断して使用する〉プロセスを含むが、「ソウダ」は〈そのまま伝える〉表現であり、判断や推論はそこには含まれないとも述べている。

3.「ヨウダ」「ラシイ」両方とも使える

(3) 誰か来た(ようだ/らしい)

(3)は例えば直感的に人が来たことをそばの人に伝える場合は「ヨウダ」が適切であり、玄関などから離れたところでノックの音が聞こえた時に推論する場合では「ラシイ」が適切であるとしている。このように直感的な見方も、推論的な見方も両方できる場合は「ヨウダ」「ラシイ」双方ともに使用できるものであると筆者は述べている。

以上の3つの分類に分けたうえで筆者は、「ヨウダ」と「ラシイ」の使い分けについて以下のように定義している。

 観察対象に密着して判断内容(=様子)が述べられる(と捉えられる)場合は「ヨウダ」、観察から距離を置いて(推論を介在させ、あるいはそもそも観察〈情報の入手〉が伝聞に基づいて行われ、)判断内容を述べる場合は「ラシイ」を使う。

つまり、観察対象との距離が近いほど「ヨウダ」を使用することが適切であり、反対に観察対象との距離が遠いほど「ラシイ」を使うことがふさわしいと筆者は主張している。

以上で要約を終了します。あまり参考にはならないかもしれませんが、少しでも皆さんのお役にたてれば幸いです。では、失礼します。

参考文献

菊池康人(2000)「「ようだ」と「らしい」―「そうだ」「だろう」との比較も含めて」『国語学』第51巻1号pp46~58