洋語の現状と将来-言語干渉の視点から-

こんにちわ。夜ゼミ2年1グループの神村賢です。期限ギリギリの提出で申し訳ないです。1月は自分の大好きなクリームパンを毎日のように食べていました。残り11ヶ月間もクリームパンに囲まれて生活をしたいと思います。さて、今日は、以下の論文についての簡単な要約を紹介したいと思います。

鈴木孝夫(1985)「洋語の現状と将来−言語干渉の視点から−」『日本語学-洋語-』第35号、pp212-225 明治書院

この論文では、日本語に入り込んできた外来語について、従来多くされてきた意味変化や音声学音韻論的な側面での研究ではなく、日本語と外国語との間に起こる言語干渉という広い視野の中で取り上げています。また、外国語の範囲を英語だけに絞らず、漢語やフランス語、朝鮮語などにも言及しており、幅広い視野での研究がなされています。また、外国語の氾濫という問題に対し、これまで理由とされてきた「欧米崇拝」や「外国語に対する憧れやコンプレックス」だけでなく、「行き過ぎた戦後の英語教育」にも責任があるとしていて、最終的には日本人が使っている外国語は、その意味や組み立て方を分析し、外国語と日本語(洋語)の間の中間型という主張をしています。上記の点をもっと詳しく書いていきたいと思います。

まず、鈴木は日本語における語彙を本来の日本語である和語、主として漢字で表記される古代中国語系の漢語、カタカナ表記される洋語の3つに大きく分類しています。そして、この三種の異なる表記の使い分けこそが、日本人の意識の中に外来語の観念がいつもはっきりしている理由の一つになっているといっています。なぜこのようなことが起こっているのかというと、日本語に外来語として入ってくる言葉が、言語の系統からいっても文字システムの点でも日本語とは全くかけ離れた言語に属するからであります。例えば、英語だとフランス語系の語彙やラテン語など外来語として入ってくるものも英語にとって養子縁組のようなものであり、その上文字も同じであるため、あまり外来語現象が起きないというようなことです。この点、日本語は表記も由来もすべて違うため、外来語への意識が過敏になっているのです。

外国語による干渉の分類には、追加、併存、置き換え、翻訳、中間系の5つがあるとしていて、この内容は従来の研究で主張されてきたことと重複している部分が多いのですが、1つずつ簡単に説明すると、まず、1つめの『追加』では日本語の中に対応する語が全くない状態でその事物や現象が入ってきたときに使われる手法で、これは許容すべきものであると鈴木も言っています。

次の『併存』では、「御飯」と「ライス」を例に出して、日本人の文脈取り込み型の認識形態を示しています。例えば、「御飯」で私たちが連想するのは、「米を炊いたもの」に加えて<茶碗によそわれている>という言語外の文脈要素を含んでいるのであり、<洋皿に盛られている米の飯>はライス、と無意識のうちにそのもの自体だけではなく、それが出現する文脈をも同時に表現の中に取り込んでいるのです。鈴木は、これには、文化論だけの問題でなく、戦後日本における国民規模での英語教育の普及をあげなければならないと言っています。知識がなければ置き換えもできないという観点から、洋語の氾濫の責任の一端は、義務教育となった中学校で、ほとんどの人が受け、その内の九割強の人が高校でも受ける英語教育にあるといっています。

3つめの『置き換え』では、日本人が「猿股」と「パンツ」「ブリーフ」を例に出し、日本人の、同じことやものを上品に見せたい、豪華な感じを与えたい、不快な連想を避けたいといったことばを飾る心理が描かれています。

4つめの『翻訳』では、それによって社会的な伝達や相互の意思疎通の障害になっているという従来の意見を出し、日本人が日本語における漢字の便利さや効率の高さを指摘し、日本人の日本語への深い理解の必要性を主張しています。

そして、最後の『中間形』では、外来語を先で説明した追加としての洋語として扱うのか言語学で言う一種の“引用”と考えて日本語ではないとするかという意識を問題としています。その例として、ガソリンスタンドやイメージチェンジ、クーラーやナイターなどが挙げられます。これらは、明らかに外来語ではないのだが、個々の言語要素はすべて正しい洋語であり、組み立て方も英語であるのに、ことばの意味するものが英語には存在しなかったり、全く別の言葉で呼ばれていたりする点で中間型なのであります。要するに日本語でも外国語でもない、英語語といったような中間の存在であり、これは英語教育の結末なのだから、受け入れなければならないと鈴木は指摘しています。

鈴木はことばというものは目的と手段、相手と場面を考えて使い分けるものであり、それがなければその言語行為は混乱し自滅する他ないと結んでいます。

以上で要約を終了します。この論文の面白いところは、いろいろな言語を例として出し、日本語の特徴をしっかり掴み、それゆえの外国語問題なのだということをはっきりと主張しているところです。

まとまっていなくて読みにくいと思いますが興味のある方はぜひご参考にしてください。では、これで晴れて春休みを迎えることができます。さようなら。