会話の中のいわゆる〈女性語〉

 

  こんにちは。昼ゼミ2年の狐塚です。1月は成人式やテストやらで、大忙しの月でした。成人式では、式典の司会進行を努め、だいぶ緊張しました。ですが、司会終了後の企画ではバンドでボーカルをして暴れさせていただきました(笑) 成人として、真面目さと自分らしさを兼ね備えた大人になろうと決意した次第です。

 さて今回わたしは、以下の論文を紹介します。

松本善子(2007)「会話の中のいわゆる〈女性語〉」『言語』 第36巻3号, pp62-69,大修館書店

 この論文では、女性語というものがジェンダーの差のみによって使用されている訳ではなく、同一人物が一連の会話内でもさまざまな言語スタイルを巧みに使い分け、各自の人物像を創出しているという考えがなされています。

◎考察と結論

 

 まず本論にて扱われている、この〈女性語〉と呼ばれる言語形態は、実際の使用例を考察すると、単に女性が使う(または使うべき)形式であるという抽象的、規範的なルールとしての理解とは明らかに異なった法則が見られるとあります。〈女性語〉という観念は(〈役割語〉のようなものとして)一般には根強くあり、その意味で日本語話者の言語使用意識を反映しているとはいえ、言語形態の分析をする上でのカテゴリーとしては確立したものではないと言えるのです。分類には、社会的規範や判断する者の主観が加わってくるので、ここでは〈いわゆる〉〈女性語〉と呼ばれるものが実際の会話においてどのような使用をされているのかを題材に考察されています。

 〈女性語〉を分析する際に中心となって考えなければいけない文末表現に、典型的なものとして「行くわ」「行くよ」等の特に終助詞を伴った文があります。これらが、なぜ男性と女性の表現として各々結びつけられるかには指標性の概念が関係しているといいます。Ochs (1993)は、日本語の終助詞「わ」と「ぜ」の例を挙げ、「わ」は話者の感情を表す度合いの繊細さを、「ぜ」はその粗さを直接指示していますが、その一方を女性に相応しく他方を男性らしいと捉える価値観が仲介することにより、「わ」は女性を、「ぜ」は男性を間接的に指示することになると述べています。直接的に示される話者の姿勢がここでいう語用論的意味であり、ジェンダー化されたスタイルとは別のレベルの特徴を持つと考えます。また、「~だ」と「~だわ」について語用論的な意味について考えてみると、「だ」はもともと文の内容に対する話者の確信の強さを示す表現であるので(寺村1984、Konomi1994)、その使用は話者の断定的ではっきりとした姿勢を直接指示します。これとは対照的に、終助詞「わ」は、話者の控えめで繊細な姿勢を表すと考えられています。「わ」は、発話が話者自身に向けられていることを示唆するので「わ」の使われていない発話や、「よ」「ぜ」「ぞ」のようなより強い主張の助詞が使用されている発話に比べると、聞き手に訴える力は弱くなります。「だ」及び「わ」の使用不使用は、話者が用いる断定的なスタイル(文体)、または控えた姿勢のスタイル(文体)を示す手段となるのです。

 以上のことを踏まえて、本論では実際の会話の例に従って考察を展開します。ここに登場するのは、規範的な〈女性語〉を使用していると思われがちな、中流家庭の中年女性グループです。例のひとつである車内での会話シーンをあげてみます。

 (1)A:あ、やべえ、これ右しか行けないわ

  (2)B:あ、ほんと

 (3)A:あららら

 (4)B:みんな一方通行になっちゃって

 (5)A:こっち入りたくないんだよな

 (6)B:あら、ずっとだわ。

 (7)C:ここんとこずっとそうなんですよ、道が

 (8)B:あそうなんだよね

 (9)A:裏行きたいのよね、裏を

 この例を見ると、違ったスタイルの混沌が目につきます。Bさんの発話を見ると、(2)と(8)では「だ」の使用により主張が断定的にかつ相手に同意していることが明確に提示されています。これとは対照的に(6)では、「わ」で終わる控えめな表現であたかも独り言のように叙述し、自分の見解をはっきりと主張することを避けています。また、Aさんは自分の置かれた好ましくない事態に対する気持ちを表すのに(1)の「やべえ」や(7)などのはっきりとした主張を示す表現を使用していますが、(1)の「行けないわ」や(9)では控えめな表現を用いています。

 上記の例を見ると、個人の発話で同じ相手と同じ話題をしている時にもかかわらず複数の文体が使われています。これによって、個々の話者が言語表現に伴った様々な意味を組み合わせ、個々の人物像(またはペルソナ)を創り出していると言えるのです。それには、どの言語表現が女性、男性等のアイデンティティーと関係しているかということだけではなく、その関係の語用論的意味、つまりどんな意図や態度がその言語形式によって表わされているかについて注意する必要があります。Bさんは相手の言うことには力強く同意し、自分の意見は相手に押し付けない傾向があります。この二つから、Bさんが自分が相手を思いやる友好的な人物であるというペルソナを提示することに成功していると言えます。これは、Bさんが女性的な態度と男性的な態度を交互に取っていると解釈するのとは異なります。Aさんは、明確な区分は見られませんが、直接的ながらも控えめな姿勢を見せ、また中流の成人女性に期待される伝統的な言語行動を認識している反面、時代錯誤的な規範的ジェンダー観念に対する社会的非難も意識しているというパターンを見せ、単純には決められない多角的な人物像を醸し出しています。この他にも本論では、いろいろな会話のパターンから発話者が創り出す人物像について分析されています。

 このように、これまで規範的な女性の言語スタイルを使用すると思われがちであった中流家庭の中年の女性らが、実際の会話ではさまざまな表現が多岐にわたって使用されていることが理解できます。またそれによってそれぞれの話者が色々な社会的、語用論的意味を蓄えた表現を縦横に駆使し、話者によっては混沌したスタイルを生み出すことにより、それぞれの人物像、ペルソナを創り出していると言えます。

◎感想

 以前から私はわざと「~わ」や「~よ」という表現を使っていました。最近はさまになってきて、自分のひとつのキャラクターのように普通に話せます。周囲からも自分の性格的な特徴として受け入れられています。今回は、このことから、少し女性語についての論文を見てみることにしました。私は、その「女性語」はユーモア的な面を含めて使用していますが、それがこの論文にて語られているペルソナを創り出すための要素であると理解し、確かにと納得しました。これに関連して役割語の話題があり、キャラクターとしての「女性語」にも興味がわきましたので、今後の研究の参考にできたらなと考えています。

参考文献

KonomiEmiko.1994.The Structure of the Nominal Predication in Japanese.Unpublished Ph.D.dissertation.Cornell University.

OchsElinor.1993.Indexing gender.In Sex and gender hierarchies,(ed.)Barbara Diane Miller.Camblidge University Press.149-169

TeramuraHideo.1984.Nihongo no Sintakusuto Imi (Jpanese Syntax andMeaning )Vol.II.Tokyo:Kurosio Syuppan.