こんにちは。夜ゼミ3年の田端です。試験が終わって一息ついているところです。
今回は以下の論文を要約しました。
佐藤雄亮(2010)「[のではないか]における[質問]と[疑い]の差異――BCCWJの用法分析から――」 『日本語文法』日本語文法学会10巻2号pp93‐108 くろしお出版
筆者は〈のではないか〉に認められる機能の内、[質問]と[疑い]という語用論的機能の対立について論じています。また、「んじゃないか」「んじゃない?」など、各形式の変異形も〈のではないか〉に含んで考えています。
(1)君の靴、高いんじゃない?
(2)もう寝たほうがいいんじゃないか
1.先行研究と筆者の指摘
安達(2002:175)は疑問文が担う機能の内、[質問]機能は「a.話し手には何らかの情報が欠けているために、判断が成立していない」「b.話し手は聞き手に問いかけることによってその情報を埋めようとする」という2つの条件を満たすが、[疑い]においてはbの側面が希薄化もしくは欠落しているとしています。
また森山(1989)の「聞き手情報配慮/非配慮」の区別は[質問][疑い]の区別と同様のものとなると述べています。しかし筆者は、このような形式にそって[質問]と[疑い]が明確に分かれるのではなく、[疑い]を表す〈(か)な〉〈(か)しら〉〈だろう(か)〉などは、聞き手への [質問]になる場合もあるとし、[質問]と[疑い]の区別は発話状況に応じて解釈される語用論的機能があることを指摘しました。
ここで筆者は[質問=聞き手情報配慮]、[疑い=聞き手情報非配慮]と定義し、まずは語用論的解釈によってのみ[質問][疑い]が区別される〈のではないか〉について用例を確認し、判別方法を説明したのち、[質問]と[疑い]の区別に関係する、明示的表示手段を明らかにしました。
2.語用論的機能の〈のではないか〉の[質問]と[疑い]の区別
筆者が〈のではないか〉の語用論的機能が[質問]と[疑い]のいずれであるか判断するために用いた判断基準は、「『そうです(/そうでした)』という形での返答が自然なものか否か」です。
(3)(遊園地に行ってきた人物に対して)
「今日は天気も良かったし、遊園地は混雑してたんじゃないか?」
「はい、そうでした。」
(4)「明日は天気も良いって言うし、遊園地は混雑するんじゃないか?」
「*はい、そうです。」
[質問]は話し手が「聞き手は関連する情報を提供できる」と想定の元で発話する際の機能であるため、質問を投げかけられた相手は何らかの情報を提供することが期待されます。従って(3)では質問内容の正否を返答するのが自然な流れとなります。一方、[疑い]は、話し手にとって、話し手が知っている以上の情報を聞き手が知っているとは考えられない状況における機能であり、(4)では明確な情報を聞き手から得るために〈のではないか〉を用いているのではないことになります。そのため、「そうです」によって内容の正否を返答するのが不自然としています。
3.〈のではないか〉における[質問]と[疑い]の明示的表示
筆者は〈のではないか〉の[質問]と[疑い]の明示的表示手段と、[質問]が現れ得ない環境としての「地の文」について以下のようにまとめています。
3-1 形態論的手段―「(か)い」と「(か)しら」「(か)な」「だろう(か)」
〈のではないか〉に何らかの非自由(=拘束)形式が接続することを「形態論的」とよぶ。「(か)い」との共起であれば[質問]。[疑い]の諸形式との共起であれば[疑い]の例として判断される。
3-2統語論的手段―「質問」述部と「思考」述部
〈のではないか〉を用いた節を、「と」や「って」などの助詞を用いて述部の補部に埋め込む「〈のではないか〉とVスル」という形。
Vが「尋ねる」「質問する」など、質問を表す動詞なら〈のではないか〉は[質問]であり、「思う」「考える」「疑う」など、思考を表す動詞なら[疑い]である。「言う」などの発話を表す動詞の場合は〈のではないか〉を補部に含んでいても[質問]と[疑い]のどちらにもとることができるため(7)、この場合のみは統語論的手段が用いられていても、語用論的解釈に任される。
(5)「文江に言わせれば、いつからか何かが狂ってしまって、樹海は自殺者の多い、死の森と呼ばれるようになってしまった、人間が、 森や宇宙に、畏怖の念を持たなくなったから、そうなったんではないかと文江はいうんだ。(略)」 (早野梓『幸福の遺伝子』)
3-3「地の文」と[疑い]
地の文では書き手が読み手に何らかの情報を求めることは考えにくく、地の文における〈のではないか〉は積極的に[疑い]を表示するわけではないものの、[質問]の解釈が排除されるという意味で[疑い]の表示に準ずるものと考えられる。
4.[質問]と[疑い]の用例数の分布における特徴的偏り
筆者は1884の用例を分析したところ、
・[質問]の用例数に対して[疑い]の用例数が圧倒的に多い
・[質問]は86.4%の用例が形態論的/統語論的標示が無い環境のものである
・[疑い]が語用論的効果として表される用例の割合は、[疑い]全体の17.4%に過ぎず、[疑い]の機能は発話状況にのみ依拠するよりも他に何らかの手段を伴って明示される割合が高い
以上を指摘し、〈のではないか〉を単独で用いた場合に[質問][疑い]間に生じる語用論的解釈の揺れを避ける方策がとられており、それを実現するためには、[質問] を標示する言葉より明確に標示できる、[疑い]であることを明示するという方策が取られることが多いと述べました。
5.まとめ
このように、筆者は〈のではないか〉について、単独で使用される際には発話状況に依存した語用論的解釈の結果としてとらえられる[質問][疑い]の各機能が、実際には多くの例で形態論的、あるいは統語論的手段に支えられており、特に[疑い]に対してその手段が多用されることを指摘しました。
6.参考文献
安達太郎(2002)「第5章 質問と疑い」『新日本語文法選書4 モダリティ』くろしお出版pp174-202
森山卓郎(1989)「コミュニケーションにおける聞き手情報―聞き手情報配慮非配慮の理論―」『日本語のモダリティ』くろしお出版 pp95-120