副詞「なんか」の意味と生起環境について

こんにちは。夜ゼミ2年の秋山です。先日風邪を引いて喉がやられてしまい、殆ど喋れなくなってしまいました。今年の風邪はしつこいので、みなさん体調管理には気を付けてください。

今回は、以下の論文を要約しました。大工原勇人(2009)「副詞「なんか」の意味と韻律」『日本語文法』9巻1号pp.37-52.

この論文では、副詞「なんか」の用法において、先行研究は「ぼかす」や「やわらげる」といった談話標識としての表現効果についての記述が多いと大工原は指摘している。これを受けて、「なんか」に構文・文法レベルで注目し、次の4つの問題点が未解決だとし、列挙している。

① 「なんか雨降ってきたよ」の「なんか」は何を意味するか。
② 「なんか明日は雨が降るだろう」は不自然だが、なぜか。
③ 「なんかー、窓を開けてください」は不自然だが、なぜか。
④ 特殊な韻律の「なーんかうさんくさいな」はどのような環境で生起し、何を意味するか。

上の①~③を解決する仮説として、大工原は「エビデンシャル仮説」を提唱する。エビデンシャルとは、「話し手がいかにして命題情報を得たかを特定する言語形式」だと述べている。例として「彼は結婚したそうだ」という文を挙げ、文末の「そうだ」は〈彼が結婚した〉という命題情報を、伝聞によって得たと特定しているのだと説明している。そして、情報の認知過程を、環境とその認知者の関係を取り上げてモデル化して、示している。まず、環境から認知者への情報の流れを「刺激」、認知者の思考による情報の作成を「考察」、そして認知者が環境の様子を調べる様子を「探索」とした。「なんか」は「今語られる命題情報は、探索によって得られたもの」であるということを表すエビデンシャルだと大工原は述べる。よって①は、認知者が、空模様がどうなっているのかを調べ、「雨が降ってきた」という情報を得たと説明している。さらに②について、命題の真実性が問題にならず、エビデンシャルが不要な文と「なんか」は相性が悪く、使用できないと述べる。③も、真偽が問題にならない文であるため、②と同様の理由で「なんか」は使えないとしている。④については、「認知体験が複数回反復されたこと」であるという仮説(すなわち、大工原が提唱する「反復認知仮説」)を立てて、説明している。これは、いぶかしさや知覚の微妙さを示すのではなく、複数回にわたって探索を行ってもなお、同様の情報が得られることを示すものだとしている。例として「(この薬を塗ると)なーんかすごいヒリヒリする」という文を挙げている。これは、薬を塗った後に何度皮膚の感覚を探索しても、〈すごいヒリヒリする〉という情報が得られることを表すと述べる。さらに、いぶかしさや知覚の微妙さ、あるいは不審感に結び付きやすい理由として、これらの感覚が認知行為をやり直す強い動機になるからだ、としている。このことから、何度も認知をやり直すという想定が不自然になる場面では「なーんか」は使用できないと述べる。

 この論文では、これまで「なんか」がもつとされる役割についての研究が多い中、「なんか」それ自体の意味と、どういう場面で使われるのかに注目しており、その点が興味深いと感じました。しかし、文脈、場面によって「なんか」の自然さが増減したり、どういった理由でそうなるのかについては疑問が残ります。自然さは、分析レベルが文なのか、文章の一部なのかによっても変わってくるのではないかと考えられます。また、大工原が言うように、日常会話で「なんか」が頻出する一方、改まった場面では使われにくい理由も考えた場合、一つの説で説明しきれるとは限らないのではないか、と思われます。今後研究を続け他の論文を読む際、これらの点に留意していきたいと考えています。

引用文献
大工原勇人(2009)「副詞「なんか」の意味と韻律」『日本語文法』9巻1号pp.37-52.