会話に不可欠な「言い淀み」機能の一考察

こんばんは。昼ゼミ2年の相川です。
初春とは名ばかりで、まだまだ寒い日が続いていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。体調など崩さぬよう、ご自愛ください。

ちなみに、私は天気のいい日に成人式を迎えることができました。
14日の方は大変だったのではないかと思います。実家は千葉県ですが、私のところは雪が降っていなかったので、東京に残る雪を見て、不謹慎かもしれませんが、「雪だるま作りたかったなー・・・」なんて思ってたりしてます。

では、本題に参ります。私は前回の課題同様、言い淀みに興味があるので、以下の論文を要約しました。

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池田佳子(2008) 「会話に不可欠な「言い淀み」機能の一考察」 『言語文化研究叢書 v.7、2008、p.1-13

 言い淀みとは、「アノー」「エー」「ソノー」などのことであり、広辞苑によると「ことばがすらすらと出ず、とどこおること」と解説されている。言い淀みは「無意味で排除されるべきもの」と考えられるのが一般的であるが、池田はインターアクションの言語学という分野から、言い淀みの「魅力」を再考している。

・言い淀みの機能

 池田は、実際の自然談話データの分析を通して、「言い淀み」がどのようにコミュニケーションの一端をなしているのか分析している。

①デリケートな発言内容を和らげるために発される「言い淀み」
 「徹子の部屋」で黒柳徹子と内田有紀が対話をしている場面である。

 例1、
 内田:アノーマー、うちの母は、・・・色々ありましたね。
 黒柳:ねぇ。でもお小さい時は、ソノ、お、ソノ、お別れになったお父様とお母様とが、六本木で。

 ここでは、私生活に関わるデリケートなトピック(母親の離婚)であるため、言い淀み「ソノ」を何度か挿入し、さらに言い始めで自己修正「お、(ソノ)、お別れになった」をしながらやっと発話を産出するという形を取っている。
話者がこのように言い淀むことで、聞き手にその気遣い・配慮の意図が伝わる。

②類似対話臨場感を作り出す「ですね」
 言い淀み語の中には終助詞と共起してある一種の固まり表現が成立しているものがあり、「ですね」や「そうですね」がそれにあたる。
 例文は、政治家の経験のある都議会議員立候補者の演説である。

 例2、
 西:町会委員会、あるいは、
   様々なボランティアの人たちがですね
   自分たちの町は自分たちで守るんだ。
   そう言うことで献身的な
   活動をしてきた成果がですね
   大きな地域の安全安心が広がる原因を作ってきているわけです。

 3行目の引用的発話の直前に「ですね」が挿入されている。5行目にも「ですね」があり、その直後に、5行目までに提示された名詞句を受けての述部が続いている。つまり、主語部と述部で区切る役目として「ですね」が使われている。

 「ですね」に組み込まれている終助詞「ね」は、聞き手との相互行為(インターアクション)を強く意識し、会話の参与者の参加を促す相互行為助詞である。「ですね」を使うことで、演説者は聴衆に対し「私はあなた方を強く意識していて積極的にアピールしていますよ」と暗に伝えることができるのではないか、と池田は見ている。

③発話行為を執行する上で不可欠な「言い淀み」
 言い淀みは、依頼、褒め、謝罪などさまざまな発話行為と共によく観察される。

 例3、
 A:それ、ちょっと、協力してもらえない?
 B:エートネ、おれ、ちょっとねー、明日ぐらいからしばらくいないんだわ。

 Aの依頼が既に行われているので、Bの返答が産出されるべきである。すぐにその依頼を受ける回答が来る場合は言い淀みと共起することは少ない。聞き手が望む行為以外の返答を行う際に、これらの言い淀みを先に行い、相手に返答の方向(断り)を指標している。つまり、非嗜好的返答の示唆をする談話標識として、言い淀みが機能している。

 例4、
 A:それで、アノ、時間がね、15分くらいで。
 B:はいはい。
 A:アノネソノー、謝礼、アノ、お礼がもらえるらしくて。
 B:うん。
 A:で、それが、500円の図書券なんだって。

 1行目では、情報提示の前置きとして言い淀みが使用されており、受け手は次に来る重要な内容への心の準備が出来る。
 5行目の具体的な内容を言う前に、3行目では一度引っ込め、遅延させて提示している。デリケートな情報を言い淀む形でほのめかし、うまく受け手に伝達したのではないか、と池田は見ている。

④発話の進行過程を修正する言い淀み
 ある大学で日本語教師をしていたRが、担当した授業風景をビデオに撮って、それをEが見ている状況での会話である。

 例5、
 R:だけどドイツ人の子だけいつもボタンダウンのシャツ着て
 K:黒人の子もきっちりしてる。
 R:あ!黒人の子も結構きっちりしてたね、そう言えば。
   あ、アレハネ、アノ、ソレヲ、やんなきゃいけない、ロールプレイの日だったから。

 Rが言及したドイツ人の学生に加え、黒人の子もフォーマルな格好であることに気付いたKがそれを指摘する。Rは、Kの指摘通りではなく、実は特別な日であったのだという「不同意の意見表示」を行う前に、言い淀みをしている。一度同意した後に軌道修正を行うのはポライトネスの視点から見てもかなりの負担であるが、この言い淀みを行うことで軌道修正がうまくなされている。

⑤発言権を主張する言い淀み政治討論談話
 「サンデープロジェクト」という番組での討論場面である。Kは自民党衆議院議員、Tは田原総一郎で司会である。

 例6、
 K:それはないです[ね、それは]
 T:       [医者や  、] 医者や

   薬屋[や、それらを守るために]
 K:   [負担をきちんと]
 T:ちょっと待って
 K:         はい、はい
 T:あなたがいるから、言ってんの、前で。

 2行目で田原は「医者や」と繰り返している。1行目でKは田原の指摘を受け、まだ発話の途中であるTのターンに強引に割り込んで発話を始めている。発話を妨害されてはならない場所でそれが起こってしまったため、TはKが割り込んできた重なり部分を、再度クリアな状態で同じ発話を繰り返している。
 田原の言い淀みは、Kのターン略奪行為に対する防御策となり、ターン維持に貢献している。

 池田は、以上のような言い淀みの機能を、会話に不可欠と考えている。そこで、その言い淀みに関する理解をどのように日本語教育へ応用していくべきかを考えたい、としている。断りを示唆する談話標識としての言い淀みなどは、そのタイミング、音質、会話構造の理解などすべて理解し処理しなければ駆使出来ないため、学習者には大変なスキルが必要とも述べている。

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 論文の要約は以上です。以下は今後の研究への指針のメモですので、論文要約の字数には含めません。

例3の「ちょっと」も言い淀みの一種に見えるのだが、この論文では言い淀みとされていなかったので、他の論文とも比較して、具体的にどの表現が「言い淀み」として研究されているのか調べたいです。

同じく例3で、非嗜好的返答でなくても、例えば「好きだよ」と言われた時に、答えがイエスでもすぐに返事をしない場合はあるのではないかと思いました。「えっと・・・」と溜めた方が、聞き手の注目を集め、その後に続く言葉により重みが出るとも思います。大事なことは即答出来ないのではないかとも思います。「結婚しよう」と言われて即答で「いいよ」と言ったら、文面だけ見たら冗談にも聞こえるほど軽い会話になってしまいます。ですので、言い淀みの後に非嗜好的返答が来ない「例外」についても調べたいです。手元にあった本で、以下のような会話シーンがあります。

 A:なんというか、私がここに居るとご迷惑かな、と思いまして・・・。
 B:いっ・・・いやっ、そんなことは全くないというか・・・。
   僕の方こそ、ここに居ると邪魔かなと・・・っ。
 A:え・・・そんなことは、全くありません。

 最後の「え」は言い淀みと取れるはずですが、後続の文脈は、聞き手にとって望まない返答ではありません。日本人の会話において、言い淀み同様、「間」はとても重要であると感じました。自分自身も小説の創作をする際、会話シーンの「間」をものすごく大事にしているので、「間」と言い淀みの関係も調べてられるのか、資料を探そうと思います。

③に例4があるが、これは①の「デリケートな内容」と言えると思います。一つの言い淀みが一つの意味合いとも限らないので、複数の意味を持つ言い淀みについても例を集めたいです。

②で、「ですね」や「そうですね」は類似対話臨場感を作り出す役割があると書かれていますが、「そうですね」の例がありませんでした。「そうですね」だと、聞き手との対話臨場感と言うよりは、話者が何を言うか頭の中で一人で勝手に整理しているという印象を受けます。ですので、「そうですね」が臨場感を作り出している例を探したいです。

②は、政治家としての経験の有無よりは、話者のトークスキルの問題と言える気がします。新人でも、公の場で話すことに慣れていれば使いそうです。テレビタレントが「~ですね、・・・」と発言している場面をよく見るので、具体的にどういう人が多く使うのか等、データがあれば使いたいし、なければ集めたいです。

⑤は、「たけしのTVタックル」でもよく見かける光景なので、納得がいきました。今まであれは、他の人の言うことは興味がなくて、自分の話したいことだけを好き勝手に口にしているように見えていたので、そういう分析の仕方があったのかと思いました。でも、「ターン略奪行為に対する防御策で、ターン維持に貢献している」というよりは、「自分の発言にみんなを注目させたい、カメラに映してもらいたい」というエゴの表れという意味合いの方が強く、むしろ他人のターン略奪のための言い淀みとも言えるのではないかと感じます。ターン防衛できる確率と、譲ってもらえずターンを略奪されてしまう確率とどちらが高いのか統計を取ってみても面白いかもしれません。いずれにせよ、「今オレが言ってるんだからみんな聞けよ!」という意味の言い直しに見えて仕方がないので、言い淀みの一種として捉える「言い直し」ではなく、「言い直し」そのものの機能についても興味が沸きました。

整理のためにやたらと今後の指針を上げた気がしますが、とりあえず資料を探してみて、どれに重きを置くか考えていきたいです。

長々と失礼いたしました。