近世後期上方語における“ちやつた”について

こんにちは、夜ゼミ二年の内藤です。

2月4日から免許合宿に行きます。一人で。相部屋です。山形の県南です。寂しさ、寒さ、孤独感に耐えるために行くのでしょうか。免許取得と何か他にも取得してしまいそうです。みなさんも、免許合宿に行くときは消費税など気にせず、友人と行く、または一人であれば部屋をシングルにしましょう。

 さて、今回レポートする論文は増井典夫「近世後期上方語における“ちゃった”について」『国語学研究』45巻 P26-34, 国語学研究刊行会です。

 増井は以下の(1)や(2)のような京都板洒落本の『興斗月』で使用される「ちやつた」という表現について、この表現は京都語として認められるかについて述べています。ここでいう京都語は京都市内に限定される方言のことを指します。

 (1)  おまへとだれといちやつた

(2)  梅尾はんあいにやちやつた

 「ちやつた」に関する先行研究としては、辻(2003)が挙げられています。しかし、近世後期の京都語において「ちやつた」が用いられているということを検証なしに認めた点で不十分であり、「ちやつた」については京都語として認められる記述はどこの資料にも存在しないと著者は断言しています。理由としては、「ちやつた」の表現のある作品の少なさと「ちやつた」使用地域を挙げています。前者では、辻(2003)は京都板洒落本の資料として「風流裸人形」「風俗三石士」「うかれ草紙」「當世嘘之川」「竊潜妻」「河東方言箱枕」「興斗月」「千歳松の色」の計八作品を挙げています。このうち「ちやつた」が現れるのは「興斗月」という作品のみであるためです。後者では、楳垣実編『近畿方言の総合的研究』と中井幸比古編『京都府方言辞典』にある記述を参考に述べています。この二冊からわかることは以下です。

 「ちやつた」は丹波及び丹後地域の一部で使用される敬語用法で、京都の中心部(京都市)では使用されない、またはされてこなかったが、その北の地域や南の地域ではかなり広く使用されている言葉である。

 『京都府方言辞典』には「ちゃつた」の使用が京都市左京区静原で確認されたとありますが、この場所は旧愛宕郡であるため、元々は京都市でないため著者は京都語と認めていません。

では、何故『興斗月』には「ちやつた」表現があるのでしょうか。著者は二つの解釈を挙げています。

(3)「ぢやつた」とみる。

(4)作者は丹波・丹後あたり、あるいは京都南端あたりの人間であり、そこの方言がまぎれこんだ、とみる。

(3)においては濁点の脱落として考えています。上方語として「ぢゃ」「ぢゃった」は一般的です。「風流裸人形」「うかれ草紙」に見られる芝居(しはい)、有かたい(ありかたい)のように明らかに濁点が落ちたものと思われるものがあります。(4)においては『興斗月』の作者が不明であるため論証が難しいとしています。

以上のことから、京都中心部(旧京都市内)で「ちやつた」が使われたと認められることはなく、今もないとわかります。終わりに、「ちやつた」のような、一作品のみで見られる事象をどう扱うべきか、作者不明の作品であれば扱いも変える必要があるか、ということも考えなければならないと著者は述べています。

 この論文において特に面白いと感じたのは京都府方言を調査する際、市内とそれ以外の地域では意外な違いがあること、現在は市内でも元は市内でなかったことも考慮した上で方言研究は進められるのだということです。方言研究ではテーマを絞る際、その調査を行う地域も限定しなければならないと知りました。また、著者が述べている文献上例外的な方言の扱いには注意が必要であると思いました。確実に論証していくには、挙げる例についてもその使用頻度、地域、作者に関しても注目していきたいです。

引用文献一覧

辻加代子2003「京都板洒落本にみる待遇表現形式の消長と運用―女性話者の発話とナサル・ナハル・ヤハルに注目して―」『国語学』54巻pp.116~117

楳垣実編 1962『近畿方言の総合的研究』三省堂

中井幸比古編 2003『京都府方言辞典』和泉書院

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