「だろう」についての近年のモダリティ研究

こんにちは。夜ゼミ2年の高谷です。最近、咳が止まらず苦しんでいます。暖房を付けっぱなしにして寝てしまったせいか、舞浜で叫びすぎたせいか分かりませんが、とりあえず明後日またミッキーに会いに行ってきます。明々後日は富士急です。声が出なくなる日も、そう遠くなさそうです。 

さて、私が紹介する論文は大島資生(2002)「現代日本語における「だろう」について」『東京大学留学生センター紀要第12号』です。「だろう」の用法は、と聞かれてまず思い浮かぶのは「推量」でしょう。しかし、近年「だろう」の「確認」「疑念」という用法が注目されているのをご存知でしょうか?それぞれの用法の例文を挙げておきます。

(1)あしたはたぶん雨が降るだろう。(推量)
(2)田中さんは本当に来るだろうか。(疑念)
(3)この本、おもしろいだろう?(確認)

大島(2002)は「確認」「疑念」の用法と「推量」の用法とが関連付けられるかどうかについて先行研究を基に検討しています。用法の違いから、次のようなことが見られます。

「明日はたぶん雨がふるかもしれないだろう。」というように「推量」用法の「だろう」として「かもしれない」などの認識モダリティと「だろう」は共起しにくいですが、「確認」用法の「だろう」は共起します。「明日はたぶん雨がふるかもしれないだろう?」という文に違和感は覚えません。また、「たしか」との共起関係にもこの2つの用法の間では同じような違いが見られます。これを、大島は意味的な理由によるものからだと考えています。「推量」の用法で「Sだろう」と言うとき、それは話し手自身の判断の一種であるため、「S」は確実な事柄ではありません。したがって、その内部にさらに「不確実」を表すモダリティ形式は入りにくいということになります。「確認」の「だろう」は、話し手の判断を示しはするものの、文の機能の中心は相手にその判断を認めるように要求することです。この、話し手自身か相手かという文の中心の違いから、共起するモダリティに差が見られのではないかと大島は指摘しています。

大島はこれらのことから、「推量」を「直接に確認することができないことがらを、データによる検討や直観などに基づいて記述すること」とし、さらに「だろう」の基本的な機能を「答えを出すべき課題に対し、その時点で持っているデータをもとに出した結論を提示する」とまとめました。このことを基にして、「だろう」が「確認」の用法をもつことを次のように考えています。話し手は「答えを出すべき課題」に対して自分の結論を示し、相手にその結論を認めるように促す、つまり話し手の結論を聞き手が共有するよう要求するので、そこから「確認」の意味が生じたとしました。

さらに「疑念」の用法についても「Sは_だ」という結論の「_」に入る真偽値が決められないということで、結論が不明ということを表します。つまり、「ある課題について結論が「不明瞭である」ということを表す」と大島は述べています。

 この論文でおもしろいと思ったのは、以上のように一見まったく違う3つの用法を機能の面で結び付けようとしたところです。「確認」も「疑念」も、「推量」とのつながりがあると見るのは興味深くこのような見方もあるのだなという発見にもなりました。これは「だろう」に関してのみ言われたことなので、ほかのモダリティ形式との比較によりさらに発見があるのではないかと感じました。

 参考文献

大島資生(2002)「現代日本語における「だろう」について」『東京大学留学生センター紀要第12号』pp21-40

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