「女ことば」の成立と国民化-ジェンダーから見えてくる新しい日本語のすがた-

こんばんは。夜ゼミ3年の廣瀬です。もうすぐ2月ですね。最近生活リズムがものすごく乱れているので、2月は早寝早起きを心がけて、朝から元気に就活したいと思います。

さて、今回要約した論文は、中村桃子(2004) 「女ことば」の成立と国民化-ジェンダーから見えてくる新しい日本語のすがた-」です。以下要約です。

ジェンダーは、一般には「女らしさ・男らしさ」と呼ばれるもので、「社会文化的役割」を指すために提案された用語である。まず中村は、「本質主義」と「構築主義」という2つのジェンダー観を示している。

「本質主義」のジェンダー観

 ①ジェンダーには「男」と「女」の二種類しかなく、両者はあらゆる点で対極にある。

 ②ジェンダーはその人に内在している属性である。私たちは、ジェンダーを「持っている」から特定の言語行為を行う。

  つまり、女が男と違う言葉遣いをするのは、「女だから」である。

 ③ジェンダーは言語行為以前に存在する。

  そのため、言語の役割は、あらかじめ決まっている話し手の属性(男か女か)を表示する機能しかないことになる。

しかし、研究が進むにつれて、私たちは本質主義のジェンダー観では説明がつかないほど多様な言語行為をすることが明らかになってきた。女性の場合では、年齢や家族関係、上下関係、世代、学歴、職場の役割などによって異なるし、同一人物が場面のあらたまり度や相手との上下・親疎関係によって言葉を使い分けていることが指摘されている。そこで「本質主義」の行き詰まりを打開したのが、「構築主義」のジェンダー観である。

「構築主義」のジェンダー観

 私たちは、関わり合う中で互いのアイデンティティを構築していくが、そのうちジェンダーに関わるものをジェンダー・アイデンティティと呼ぶ。

 ①「女らしさ」にも様々あり、人種や年齢、職業によって異なるため、「男/女」という二項対立ではなく「男性性/女性性」が使われる。

 ②ジェンダー・アイデンティティは属性ではなく主体が「行う」行為である。つまり、多様な男性性/女性性を表現するのである。

 ③よって、ジェンダーは言語行為の原因ではなく結果である。

次に中村は、「女ことば」を歴史的に見ている。

江戸期 「女訓書」という規範的言説の中で女の話し方の規範が長期間にわたり語られている。

     これにより女と言語の関係がカテゴリー化された。

     「家」の妻・嫁としての規範。女の言葉遣いが支配の対象として語られた。

明治期  天皇の臣民としての「女の国民」としての規範という価値を与えられた。

     しかし江戸期と同様、女の言葉遣いは支配の対象として語られ続けた。

     言文一致論争では女ことばについて言及されず、この論争はあくまで「男」の

     「国語」を作るための論争であった。

戦中期  文法書では、男の言語を標準口語の基準としながら、女の言語にも言及。

      (中でも「教育のある」女学生ことばを採用)

     →標準語における性別の構築を目指したものであった。

      これによって、女の言葉遣いが「婦人語・女性語・女ことば」としてはじめて「国語」の中に位置づけられた。

中村は本論文で、「構築主義」に着目し、女ことばの位置づけを歴史的に見ていくことで、「女ことば」は女たちの実際の言語行為や女の特質から自然に成立したものではない、と結論づけている。

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