おはようございます。夜ゼミ二年の嶋です。12月はバイト過去最大の約140時間、1月はそれをさらに更新し145時間、2月、3月もこれを更新しそうで絶望しか感じられません。バイト先ではいつでもおはようございますを使うので、日常でも常におはようございますを使っています。
さて、今回紹介する論文は、おはようございますについての論文ではなく、下谷(2012)「自然談話における二人称代名詞「あなた」についての一考察―認識的優位性(Epistemic Primacy)を踏まえて―」(『関西外国語大学留学生別科 日本語教育論集22号』pp.63-pp.96)です。
この論文は、二人称代名詞「あなた」について、自然談話に現れた例を詳しく分析することでその多様性、特に「あなた」が聞き手を直接表すか否かに注目し、話者間の認識における非対称性や優位性との関わりを踏まえて、「あなた」の果たす談話・語用論的機能を考察しています。
二人称代名詞「あなた」に関する先行研究としては、他にも橋口(1998)や大高(1999)などが挙げられます。しかし、大高らは、友好関係における親愛表現以外で「あなた」は使われないという点が不十分であり、敵対している話者間にも使われることは橋口も挙げています。
そこで著者は、二人称代名詞「あなた」について実際にどのような談話環境でどのように使われるのか、具体例とその使用頻度について考察しています。
「あなた」がどう使われるのかに関して、まず、ある話題に関して、話し手が聞き手より認識的に優位であるというスタンスを持っている際に使われることが挙げられています。たとえば、他社との共同プロジェクトで、前々から小さなミスを繰り返していたが、とうとうプロジェクトの存続の危機に立たされるほどの大きなミスをしてしまった人に対してそのプロジェクトの企画者が、「いったいあなたには何ができるというんだね?」というような使われ方です。「あなた」は、ある話題に対して何らかの判断や評価、決定のできる側がそうでない側に対して使うので、多くの場合、話者同士の年齢や社会的地位、上下関係などが絡んできます。
この認識的優位性を示唆する「あなた」はそのため、日常会話で使用すると、上から目線的で、相手への批判、非難や威圧感のあるイメージ、冷たく相手を突き放すような発話になりやすいため、避けられます。逆に、使用する場面では、たとえば、喧嘩してしまった恋人同士でよく見られ、これは、もともと近い関係にある相手との会話で、特に話者の相手に対する心理的な距離を露骨に感じさせます。よって、通常、日常会話ではあまり使われないと著者は述べています。
しかし、「あなた」は、ドラマやアニメ、映画などの「仮想現実」の世界では頻繁に使用されています。でも著者はこれは、キャラクターの特徴を色づけしたり強調したりする「役割語」として使われているもので、実際の会話で使うと違和感を覚えやすいと述べています。これはたとえば、夫婦間で妻が夫に対して「あなた」は、保守的で控えめな妻という女性的なキャラクターを強調しますが、現代の現実世界では、日常会話ではほとんど使われず、上にも書いたように、喧嘩などをして相手を突き放したい時に使われることが多いように見受けられます。
また、「あなた」は、日常会話の中では、体験談を語る際に、引用発話内で使われることがしばしば見受けられます。しかし、引用発話内で自分自身や第三者を指す「あなた」の使用は、聞き手を直接表す「あなた」より威圧的なイメージを与えづらく、不自然な使用もさけやすいので、自然な形で使われやすい発話環境として示すことが可能だと著者は述べています。 たとえば、「いや~、この前学校で、初めて会った人に、「あなたかっこいいわね」って言われちゃってさ。そんなこと言われたことないからびっくりしちゃったよ。」など、言われて驚いたこと、ショックだったこと、困ったことなどのようなトピックで体験談を話す場合には有効に使用できる可能性が高いと著者は述べています。
最後に、「あなた」と同じ二人称代名詞である「おまえ」とを比較しています。「あなた」と「おまえ」の違いについて著者は、「おまえ」は情動的な動機によって使用され、書き言葉には用いられないのに対し、「あなた」は話者の認識における中立性や客観性という要素を持つため、日常会話では避けられあまり使われず、書き言葉に使われることが多いと述べています。
以上がこの論文の大まかな内容ですが、この論文の面白いところは、やはり何よりも、「日常会話では「あなた」は避けられる傾向にある。」という点です。確かに普段あまり使うことはなく、皮肉を込めたりする際に使うことが多いなと思いました。そして、同じ「あなた」でも、引用発話内で用いられる「あなた」は何故あまり違和感を覚えないのかが不思議に感じました。また、初対面の時に、「あなたのお名前、お聞きしてもよろしいですか?」のように「あなた」を使ってもそう不自然ではないのは、話者の心理的な距離が近くないからなのかと思いました。
しかし、ではなぜ英語の授業では、和訳するときに、「あなた」がよく使われるのでしょうか?日常会話ではあまり見られないし、特に同級生での設定が多いと思うので、「君」とかでも良いと思うのに、ほとんど必ず「あなた」が使われています。これは何故なので省か?また、「君」を使う場合との相違点は何でしょうか?「君」も、日常会話、特に親しい者同士では「あなた」ほどではないが、あまり見受けられないような気がします。第三に、「あなた」は「役割語」のところで女性的なキャラクターを強調するとあったように、男性より女性の方が多く使うように思うのですが、実際はどうなのか?そして私の今後のメインである、歌の世界ではどうなのでしょうか?ドラマやアニメ、映画などのように、歌もある意味では「仮想現実」の世界のように思います。しかし、これらとは違い、役割語としての機能はないように思われます。また、歌詞においての「君」と「あなた」の使われ方の違いについて、今後見ていけたらと思います。
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