文末に用いられる「みたいな」

こんにちは、夜ゼミ3年の小川です。さすがにネトゲをする時間もなくなってました。なので、これからはコンシューマゲーに切り替えていきます。辛い就活を生き抜くためには息抜きが大事ですからね、ということにしておきます。

さて、今回私が紹介するのは、大場(2009)「文末に用いられる「みたいな」」です。これは、昨年後期に私が個人研究を進めていくのに使用した論文です。非常に分かりやすく、かつ面白いので紹介したいと思います。
まずはじめに、大場は文末の「みたいな」の特徴について、「(Ⅰ)発話相当を受ける、(Ⅱ)文末に置かれる」の2点を挙げています。そして文末の「みたいな」には2つの用法があることと、それらの用法は「αみたいなβ。」という名詞一語文相当の構造を仮定することによって説明できることを主張したい、と述べています
次に大場は先行研究について触れています。Suzuki(1995)と加藤(2005)を取り上げて、文末の「みたいな」には先行文脈の言い換え・解説の機能があると述べています。さらに、Suzuki(1995)では上記の1種の用法を述べるのみでしたが、加藤(2005)では「亜種」と呼ばれる用法が挙げられていることに触れています。その「亜種」というのは、自分の考えを明確に述べることを避けるために使用されているといいます。これらをまとめて、大場は次の2種類の用法が文末の「みたいな」には指摘されてきたとし、この2つを文末の「みたいな」の用法として認めることにしました。
用法1:先行の文脈を受けて、そこで述べられている状況を別の言葉(その状況に置かれた場合に発せられそうな発言の一例)で言い換えたことを表示する。
用法2:自分の意見を述べる際、断定を避けていることを表示する。
続いて大場は「みたいな」の通常用法(「αみたいなβ」)について触れています。「みたいな」の通常用法とは、文末に用いられない場合の「みたいな」で助動詞「みたいだ」の連用形だとされています。「みたいな」の後ろには、通常は名詞が接続されます。この「みたいな」の通常用法には<比況><例示><推量>の3つの用法があり、これらは「βはαと類似している」ということが述べられている点で共通していると言えます。この「みたいな」の通常用法は「ような」ととても似た用法を持っていますが、「みたいな」が独自に獲得した機能として発話を直接受けることが出来るということが挙げられると大場は言っています。以下の例を見てください。

(1)S君が、犯人は絶対あの人だよ、というようなことを言っていたよ。

(2)S君が、犯人は絶対あの人だよ、みたいなことを言っていたよ。

「ような」は発話を直接受けることが出来ず、引用の助詞「と」が必要になります。この特徴を泉子・メイナード(2004)は「類似引用」の形式と呼んでいます。そしてこの引用句を受ける「みたいな」が、文末の「みたいな」へと変化していったのだと大場は主張します。
大場は文末の「みたいな」は、「αみたいなβ」という名詞句からβが脱落したものであると言っています。何故、βが脱落するのか。それはαが発話相当の場合、名詞βは「こと」「考え」「感じ」といった漠然とした語が圧倒的で、さらに「みたいな」はα≒βということを示しているので、βが脱落しても文の情報に不足が生じることはないからだとしています。
最後に、大場は文末の「みたいな」が何故2つの用法を持つようになったかについて述べています。それは名詞一語文というものを想定すると説明が出来ると冒頭でも述べていました。名詞一語文とはその名の通り名詞が一語で文になっているものです。例えば、

(3)「あそこに誰かいない?」「え?幽霊?」
(4)「あ、ちょうちょ!」

などです。(3)の例文では先行文脈で「誰かがいる」と示されたのに対して、「それは幽霊なのか」と述べています。これを「(先行文脈)XはYだ」型といいます。一方で(4)では、先行文脈Xは存在せず、ただ「ちょうちょがいる」と述べているにすぎません。これを「Yがある」型といいます。さらに「αみたいな。」という文も名詞一語文であると考えられ、この2つの形式にあてはめることが出来ます。つまり、用法1(言い換え)は「先行文脈Xは、αみたいなβだ」と述べていて、用法2(やわらげ)は「αみたいなβがある」と述べているのだとしています。このように考えることによって、用法2を「亜種」として捉えることなく、独立した用法だと考えたほうが妥当だと大場は締めくくっています。

長くなりましたが以上です。初めてこの論文を読んだ時は、とてもじゃないが文句のつけようがないんじゃないかと思ったほど論の運び方が綺麗で、理路整然としているなと感じたほどです。しかしながら、実際に研究を進めていき、先生やみんなの意見なども取り入れていくと、この論文でも足りない部分もあるのかなと感じる点が出てきました。特にそれを感じるのが用法の部分で、この2つだけで十分なのか、そもそもこの2つの用法は当たっているのか、などまだまだ検討する部分は多いと思います。それらを突き詰めていって良い卒論が書けたらなぁと思いますが、それよりも何よりも、兎にも角にも、就活が終わらないと話が進まないので、就活を頑張りたいかなーって思います、まる。

参考文献
大場美穂子 2009. 「文末に用いられる「みたいな」」、『日本語と日本語教育』Vol.37, pp.43-59.

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