虚偽・悪文の表現効果  レトリックの観点から

こんにちは。夜ゼミ3年の奥村です。
寒さも一段と厳しくなり、インフルエンザ等も流行しているとのことですが、体調に気を付けてこの冬を乗り切りましょう!

私は、今年度の後期授業で「レトリック」を個人課題として研究しました。そして、レトリックとかかわる新しい研究として、今回下記の論文の要約をしました。

柳澤浩哉(2009)「映画の中の虚偽・悪文」『表現研究』(90), pp.1-8

以下、要約です。

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1.はじめに
 この論文で扱うテーマは、タイトルにもある通り≪虚偽≫と≪悪文≫である。本来これらは誤った表現方法である。筆者の柳澤浩哉(2009)も論文の冒頭で、一言でいえばルール違反の表現であり、これらの表現を積極的に取り上げる発想は伝統的なレトリックにはないと述べている。しかし、同時にこれらの表現は我々の目を引く表現方法でもあるため、印象的な表現を作るときはあえてこの二つを利用していると主張する。特に作家やシナリオライターがこの表現を演出の重要な道具として認識していると分析し、主に映画の中で使用されている例を挙げ、この現象の生まれる原因を考察している。

2.虚偽・悪文による表現効果
 まず柳澤は、虚偽・悪文のもたらす表現効果について、それに気付いた(小説であれば)読者、(映画であれば)鑑賞者に、【知的優越感を与える特殊な修辞的効果】があると指摘する。例えば小説で、決して動揺を表に出さないと思われていた登場人物Aの台詞に、突然文法のおかしい悪文が使用されたとする。すると読者は「今、Aは動揺したのでは?」と説明がなくとも読み取ることができるのである。

3.映画の中での虚偽・悪文
 柳澤は、映画の場合でも虚偽と悪文の使用方法は基本的に変わらないとしているが、映画の方が表現の出現頻度は多く、使い方が計算されているとしている。それは主に、「言語から得られる情報が不足している」といった映画という媒体の特殊性が関係していると主張する。柳澤は、5つの映画で使用されている虚偽・悪文の台詞を引用し、その効果について考察している。

 5作品の引用例全てに当てはまる、虚偽・悪文表現の特徴・効果は
(a) 作品の冒頭、または、発話者の初登場場面において使用
という点が挙げられる。この点については4.まとめにて、柳澤の考察を述べる。

 また、虚偽表現の特徴・効果は
(b) 対話場面において使用
(c) 虚偽を使用した台詞の発話者における個性を印象的に表現
(d) (b)に関連して、対話している登場人物同士の人間関係を印象的に表現

の3点が挙げられる。柳澤の挙げる3作品の例を見ると、『オーシャンズ11』では、主人公である男性詐欺師の虚偽表現による聴聞官からの質問のかわし方により、主人公の男性が詐欺師として高い能力を持っていることを印象的に表現している。『家族ゲーム』では、息子の虚偽表現による母と息子の会話のずれにより親子関係の歪みを、『12人の優しい日本人』では、一人の陪審員の虚偽表現による陪審員同士の意見の食い違いにより今後の裁判の多難さを、巧みに表現している。

 そして、悪文表現の特徴・効果は
  (e)(邦画の場合)内容が不明、空疎である
  (f) 悪文を使用した台詞の発話者における心情を端的に表現

という点が挙げられる。柳澤は、邦画の台詞では文法的な悪文は稀であり、文法的には乱
れていないが内容が不明な文が、多くみられる使用方法としている。これについては、以
下の引用を参考にする。

(2)『リンダ リンダ リンダ』の悪文
   僕たちが子供じゃなくなる時、①それは大人への転進だなんて、誰にも言わせ
   ない。僕たちが大人になる時、それは子供をやめる時じゃない。②本当の僕た
   ちはどこにいるのか。本当の僕たちはここにいていいのか。本当の僕たちのま
   までいられる間、あと、少しだけ。2004、芝高ひいらぎ祭。

 この映画は、自分が分からなく何をすべきか分かっていない4人の女子高生が、迷いながらも学園祭でバンドを成功させるという単純な物語である。作品冒頭で、女学生が上記の引用文を読み上げる。この台詞は、①のように否定してもそれに代わる答えはなく、②のように問いかけてもその答えは見当たらないといった、空疎で思春期の迷いを感じさせる内容である。柳澤は、このように登場人物たちの特徴を端的に伝えることによって、映画全体を象徴する台詞になっているのだと分析している。この他『花とアリス』では、主人公の一人であるアリスが、幼い時以来久しぶりに父と再会した場面で、父の台詞に悪文が使用されている。父の初めての台詞は、内容が空疎で、意味のない話題ばかりを繰り返すといったものである。これにより、二人の気まずい関係性、また作品全体に漂う不安定さを象徴している。

4.まとめ
 柳澤は、このように、虚偽と悪文が担う効果は多彩であり、事例ごとに違うのに対し、現れる場所は(a)のように共通している理由として、映画の中ではどちらも第一印象の決め手として使用されているためであると分析している。虚偽も悪文も強い印象を作る形式であるために、第一印象を鮮やかにする目的でこの場所に使われるのである。
 さいごに、柳澤は、修辞技法を使用場所という点から分類すると、これまでの分類とは全く違う分類が生まれだろうと推測している。そしてその分類がわずかでも確立されれば、それは表現分析の強力な道具となるに違いないと主張している。

【参考文献・参考作品】
柳澤浩哉(2009)「映画の中の虚偽・悪文」『表現研究』(90), pp.1-8

『家族ゲーム』(1983)
『12人の優しい日本人』(1991)
『オーシャンズ11』(2001)
『花とアリス』(2004)
『リンダ リンダ リンダ』(2005)

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以上です。