小説に見られる女性語の文末表現

こんにちは。夜ゼミ2年の廣瀬です。成人式で長野の実家に帰り、東京に戻ってきて、東京の暖かさを感じています。成人式では母の振り袖を着ることができ、良い思い出になりました。

今回は以下の論文を要約しました。

川上恭子(2006)「小説に見られる女性語の文末詞」そのだ語文(5),PP.25-38

  川上は、近年あまり使われなくなってきたと言われている、いわゆる「女性語」について川端康成の小説『雪国』の中での女性のことばを用いて検証している。この『雪国』は昭和12年に発表されたものである。

 川上は、『雪国』の主人公「駒子」の会話で用いられる女性専用表現のあり方を観察し、次の3点に注目して具体的に考察している。「島村」というのは中年の男性である。

  ①「駒子」と「島村」との会話では、両者はどのような会話のスタイルで話しているのか。

 ②「駒子」は、男女共用、あるいは男性的な文末表現を使うことがあるのか。あるとすればそれはどんな場合か。また「駒子」の女性語の使い方には、何か特徴が見られるか。

 ③「駒子」は、どのような種類の女性専用の文末表現を多く使用しているのか。

 まず①である。「駒子」と「島村」の会話の例を挙げているが、ここでは「駒子」「島村」どちらの会話であるか明記はされていないが、その文末表現から特定することができるとしている。

  A「どうして帰るんだ。」

 B「帰らない。夜が明けるまでここにいる。」

 A「つまらん、意地悪するなよ。」

 B「意地悪なんかしない。意地悪なんかしやしない。」

                                (会話例一部抜粋)

「駒子」の発言は、女性的な文末表現を多用するBの方であり、二人の言葉遣いにその性差ははっきり現れていると述べている。ここで挙げられている会話例の中で、駒子が用いた文末表現は、「わ」「の」「なさい」の3種類の形式であった。なかでも「わ」「の」は女性専用の文末表現であるとされることを指摘している。よって、ここでの「駒子」の発話は、女性的な文末表現が基調となっていることを確認している。次に「島村」は、終助詞のない言い切り表現を用いたり、「どうしたんだ」のように「のだ」で終止する不定語疑問文を使って強い詰問調の表現をするなど、直接的で男性的な表現をしているとまとめている。

 続いて②である。筆者は、「駒子」が状況によってどのように話し言葉のスタイルを変えているかを観察し、「駒子」の女性専用の話し言葉の二つのスタイルを提示している。その一つは、先に挙げた会話例で使われたような女性専用の文末表現を使うタイプ、もう一つは「ですわ」「ますのよ」のように、「です・ます」という丁寧体に女性専用の文末表現を使うタイプである。この使い分けは、話し手同士の間柄の親密度によると筆者は述べている。単なる話し相手の場合は、丁寧体の後に女性専用の文末表現を用いているが、話し手の間柄が親密になると、やがて丁寧体ではない一般的な女性の文末表現を使うようになるとしている。 また、「駒子」が常に女性語を使っているわけではなく、男性的といえる表現を使っていることもあると言及している。「駒子」が男性的な表現を使うのは主に酒に酔ったときで、酔いが醒めてくると、再び女性的な言葉遣いに戻っていくようである。

  最後に、③では、「駒子」の使う女性専用の文末表現の特徴について観察している。筆者は、尾崎(1999)の女性専用の文末表現の分類をもとに、「駒子」の女性専用の文末形式を整理した。

 (1) 「わ」の有無に関わらず、全体を通して「よね」の形式は使われていない。

 (2) 「だわ」「んだわ」が用いられる際は、「だわ」で言い切る形が用いられ、「よ」「ね」などの助詞を下接した形式は見られない。

 (3) 最も多いのは、「動詞/形容詞」に続く「わ」の形式で、「わよ」・「わね」の使用はかなり少ない。

 (4) 「だわ」「んだわ」のようなダワ形式が用いられることは少なく、ダワを介さずに「よ」「ね」「ゼロ(助詞がつかない)」「のよ」「のね」「の」の形式が使われる傾向にある。

 しかし、「よね」が使われていないことに対しては、小説全体を通して「よね」が使われていないことから、はっきりした結論を出しておらず、今後の課題としている。また「だわ」「んだわ」に終助詞「よ」「ね」がつくものが見られないことに関しても結論は見いだせないと述べている。

 結論として、この小説では「駒子」は基本的に女性語を使用しているとした。しかし、「駒子」が酒に酔った時などは、男女共用・男性的な会話のスタイルを使うこともあった。また「駒子」が使用する女性的な会話スタイルには、丁寧体を含む女性語の使用もあり、これは相手との心的距離によるものだとしていた。小説『雪国』の主人公「駒子」の会話スタイルを観察した上で、昭和初期の女性語の使用について言及している。昭和初期の女性語の使用者においても、生活の中で常に女性語を使っていたわけではなく、相手との距離を測りながら、さまざまに表現し分ける道具として、女性専用の文末表現を使い分けていたのだろう、と結論づけている。