タラ節・レバ節で言いさす文について

この前、顔にニキビができたと騒いでいたら、「20歳超えたらニキビじゃなくて吹出物っていうんだよ」と妹に冷たく言われ、落ち込んでいる昼ゼミ2年の阿部です。何故同じものなのに、呼び方が変わっただけでこんなに気分が害されてしまうのでしょうか。謎です。春休みこそ、お肌に気を付けた生活をしたいと思っております。

ところで、今日は以下の論文から簡単に報告したいと思います。

白川博之(2009)「タラ節・レバ節による言い尽くし」『「言いさし文」の研究』pp.69-90、くろしお出版

この論文では、以下の例文(1)~(4)のようなタラ節・レバ節で言い終わっている「言いさし文」について、接続用法と関連づけて分析されています。一般的には条件を表わすとされるタラ節・レバ節ですが、言いさしの形で使われると(1)(3)は願望を、(2)(4)は勧めを表しているように、条件とは一見関係のないような意味に解釈されます。

(1)     僕はね、二号店は大きなデパートの中に出して、三号店はハワイに出せたらって思ってる。

(2)     シャワー使ったら

(3)     せめて非常勤の口でもあれば……。

(4)     ひらり、竜太先生と付き合えば

先行研究としては、大きく分けて①本来あるべき主節(例えば、「~タラドウカ」の「ドウカ」、「~レバイイ」の「イイ」など)が省略されたものとするか、②接続用法とは別個の終助詞的な用法として登録するかのいずれかが挙げられています。しかし、①は言いさし文の意味的な完全文には目を向けておらず、②も接続用法との連続性の説明が不十分であると著者は指摘しています。

そこで著者は、タラ節・レバ節による言いさし文を、本来的な意味と文脈情報とを手がかりにして算出される派生的な意味だとし、用例をⅠ.聞き手不在発話かⅡ.聞き手存在発話かに分け、考察しています。以下、各条件の下にどのような意味で使われているのかを順にまとめていきます。

Ⅰ.聞き手不在発話(独り言や心内発話などの聞き手を必ずしも前提としない発話)

(1)(3)と同様、願望を表します。ただし、タラ節は以下(5)のように危惧を表す場合があり、レバ節をそのような場合に言い換えて使うとおかしくなります。

(5)     こいつに部屋で長居でも{されたら…/?されれば…}。

欠けているタラ節の帰結が問題になっているのではなく、話し手はタラ節の内容を想定しているだけであり、結果的に、タラ節の内容の実現それ自体に対しての話者の評価的感情(良い(嬉しい)か悪い(困る)か)を表出していると分析しています。

Ⅱ.聞き手存在発話(聞き手の存在を前提とした発話)

(2)(4)と同様、勧めを表します。この条件としては、①タラ節/レバ節の主語が聞き手であり、かつ、②タラ節/レバ節の述語が意志的動作であることが必要だと述べています。また、願望・危惧と同様、タラ節/レバ節の帰結は問題にはならず、内容の実現の成否が問題にされると分析しています。

以上のことから、条件節の内容を想定することにより、節の内容の実現それ自体に対しての話し手の評価的感情を表出し、その評価的態度の「願望」が聞き手に対して持ちかけられた場合に、「勧め」という働きかけの表現に移行すると考えられます。節の内容が聞き手に持ちかけられ、帰結は聞き手の判断に委ねられるために完結性が生じ、聞き手に認識を改めさせたり、何らかの行動をするように促したりするという、話し手の対人的な態度も表しているとまとめています。