尾道方言の「ちゃった」について

こんばんは。夜ゼミ二年の松蔭です。実家の近くの小学校でコロナにかかってしまった人が出たようです。知り合いにかかってしまった人は今までいなかったので一気に身近に感じました。これからもより気を付けて行こうと思います。

 さて、今回は次の論文を要約しました。

藤本 真理子(2020)「敬語は距離? ―尾道の方言「ちゃった」を考える―」『尾道文学談話会会報』10巻 p93-99

 この論文は「三成地区の歴史と備後地方の自然探訪教室」にて2019年6月16日に行われた、広島県尾道市方言の「~ちゃった」に関する講演にもとづいたものであり、尾道方言と東京方言(標準語)の「~ちゃった」の違いに着目して考察している。

尾道方言には以下のような例が見られる。

 「先生、どこから来ちゃったん?」

 これは言われてしまった方は「来てはいけなかったのだろうか」と、感じてしまう表現である。しかし、これは『これが広島弁じゃ!』(灰谷2016)にある通り、広島弁の方言の敬語として広く確認できる。ここにおける「ちゃった」は助詞の「て」にこぴゅらの「じゃ」が加わった「てじゃ」を過去形にして用いられている。(「て」+「じゃ」+「た」→「て(じ)ゃった」→「てやった」→「ちゃった」)

 これに対し東京方言では以下のような例が見られる。

 「え!? 苦手な先生がきちゃった」

 この「ちゃった」は苦手な先生が来たことが歓迎されておらずその期待外れの状況を表す役割を持っている。また、東京方言としてのちゃったは「てしまった」がもともとの形であり、変化の過程には「っちまった」というような形も現れる。(「て」+「しまう」+「た」→「て(し)ぃ(ま)ぁった」→「てぃぁった」→「ちゃった」)

 以上のことからそれぞれの「ちゃった」は別々の過程を経て成立していることがわかる。

 ここで講談にて目上の人に向かって非常に丁寧に尋ねるかと質問したところ、「あなたは、今、何と言いましたか」という文において同一の回答者からa「あなたは、今、なんとゆーてくれちゃった」b「あなたは、今、何といわれましたか」の二つの言い方があるとの回答をもらった。このことから、aとbをそれぞれ使い分けていることがわかる。

 ここで関西地方の「はる」敬語について考える。関西地方では「いてはる」と「おられる」を使う。この「はる」について滝浦(2008)は「「ハル」の機能が、対象をソト待遇することによる遠隔化ではなく対象をウチ的にとらえる近接化にあることは明らかになるだろう」と述べている。

 この「はる」と同様尾道方言の「ちゃった」も〈近づけ〉としての機能を帯びていると考えられる。

 自分の意見

 この「ちゃった」はお年寄りに多く見られる表現であり、この論文のもととなった講談も高齢者を対象に行われたものであるため、我々の世代にはあまり使われている表現ではないですが、関西地方の「はる」と比較して考えるのは非常に面白いと感じました。

レッテル貼り文

こんにちは。夜ゼミ2年の広瀬です。この間、雨が降っている日にサンダルを履いて出かけてかなり後悔しました。もうやらないぞと心に誓いましたが、来月には忘れていると思います。

今回要約するのは以下の論文です。

笹井香(2017)「レッテル貼り文という文」『日本語の研究』第13巻4号 pp.18-34(武蔵野書院)

〇要旨

 レッテル貼り文を呼び掛け文、感動文にならぶ文の類型として考える。

〇「レッテル貼り文」

  (1)仕事のふりして遊ぶな ばか者!

  (2)どうかしているのはあなたですわ!恥知らず!

 呼びかけ文として運用される名詞は、「話し手から見た関係性において特定の個人を指示することができるという特徴」をもつ。しかし、これらの「ばか者」は「ばか」という属性の人全般を指し、特定の個人を指定しているわけではない。つまり、呼びかけ文として機能していない。

 一般的にレッテルを貼るという行為は、レッテル貼り文で「ばか者!」と発する以外にも、「お前はばか者だ!」と発言する事でも行える。しかしレッテル貼り文「ばか者!」はそのような叙述をしておらず、叙述文の省略ではない。つまり、レッテルの内容を聞き手に伝えるのではなく、「ばか者!」と発話することによって、レッテルを貼りつける対象とレッテル「ばか者」とを結びつけている。

 →レッテル貼り文とは、聞き手に対する働きかけではなく、対象に対する価値評価に伴う上述の情意の表出のこと

〇レッテル貼り文の形式

<一語に収斂しようとするレッテルの形式>

 「役立たず」など、二語以上に分かれていないもの。

<「NPのNP」の形式をとるレッテル>

 「男の敵!」など、NPだけでは示すことができないもの。

<二つ以上のレッテルが羅列されているレッテル貼り文>

「この・あの」が含まれるものや、対象を表す呼称が含まれるもの。「その」の用例は観察されない。

<対象を明示する形式を含むレッテル貼り文>

 レッテルを貼りつける対象である人を直示的に示す形式であるもの。

〇言語場

 レッテル貼り文が観察される言語場は、レッテルを貼りつける対象が言語場にいる場合と、いない場合とに整理できる。

〇私見

 レッテル貼り文を形式ごとに取り扱っており、大変わかりやすい論文であると感じた。

そもそもの用例がかなり多く、定義を決めるのが難しい議題なのではないかと感じる。例えば、「月とすっぽん」という言葉があるが、これを相手がすっぽんだと見立てて「月とすっぽんね」と言った場合、これはレッテル貼り文に入るのだろうか。例文を作ろうと思えばどこまでも作れる分、明確な基準を作りにくいのではないかと感じた。

個人名の型と機能

 こんばんは、夜ゼミ2年の鈴木です!

 やっと最後の論文レビューです!もちろん論文を読んで要約することも難しかったのですが、家とバイトの往復ばかりで代わり映えのない日常を送っているため、近況報告の内容を考えることもなかなか難しかったです(笑)後期は課題を計画的に進めることと、時間を有意義に使えるようになりたいです。

 さて、今回は以下の論文を要約しました。

清海節子(2005)「個人名の型と機能」『駿河台大学論叢』第30号,pp.95-120

 この論文では、日本語における名づけの型と個人名の持つ機能について他国の文化と比較したうえで論じている。ここでは主に日本語の個人名について取り上げ、要約する。

1.命名の動機と意図

 日本における命名法の動機と意図は次の5つの型に当てはまる。

1)誕生記念 2)音声・文字 3)意味 4)他の人名 5)兄弟の順序

 上記の動機は、日本に限らずほとんどが他国でも当てはまる。一般的に、不吉な印象を与える名前はつけられず、あえて縁起の悪い名前を付ける文化であっても、不幸から身を守るという目的がある。また、4)の他の人名から受け継ぐ場合は、祖父母から取られる傾向があるというのも共通の傾向であった。

 しかし日本の場合、名前の音よりも文字に重きを置いているといえる。日本語の音韻構造や音節構造は世界の中でも単純な方であるが、表記の種類は漢字や平仮名、片仮名、ローマ字のように、非常に多い。日本人は同音の名前であっても感じが異なると全くの同じ名であるとは認識しない。よって文字による差別化が行われるのは、日本語における名づけの大きな特徴であるといえる。

2.男女差

 名づけは性別によって名の型に差をつける傾向がみられた。『名前ベスト100』(2004)に掲載されている名前のうち、「太」や「大」、「斗」などは男の子の名前だけにみられ、「美」や「愛」、「菜」などは女の子の名前にのみにみられた。

 音韻面については男女ともに3モーラの名前が1番多かったが、男の子の場合は2モーラから5モーラまで存在していたのに対し、女の子は2モーラと3モーラのみであった。しかし文字数においては、漢字1文字の名前の割合は男の子が女の子の2倍であったため、女の子の方が文字数の多い傾向にあることが判明した。

3.個人名の機能について

  日本は公の場において個人名よりも苗字を使用することが多く、個人名は身内など親しい間柄の人にだけ使用される傾向があるため、個人名が多く使用されるアメリカと比べると使用の制限度が高いといえる。

 この論文を読んで、あだ名においても2モーラ以上が必要であったため、この長さは日本人の名前において不可欠な要素であることが分かった。また論文内では男のみ、女のみとされていた漢字も現在は男女どちらの名前にも使用されているように感じたため、名づけにおいてもジェンダーによる区別が無くなってきているという傾向を感じた。

広告表現における外来語

こんにちは。夜ゼミの田中です。

今回紹介するのはPerfumeの『マカロニ』です。秋一番()が吹いたときに聞いて欲しい曲です。MVもセピアで暖かくてとてもいいです。聞いて。

以下の論文を要約しました。

清水啓一郎(2007)「みんなシルクロードにいるみたい-広告表現と外来語」『月間言語』6月号pp.46-51

要点

広告表現の外来語はその①「アイコン効果」②「トーチ効果」③「アゴラ効果」④「ハイド・アンド・シーク効果」によって使われている。

少し詳しく

①アイコン効果

西欧風のアルファベットは極めて単純な線による構成をしていて、デザインに馴染みやすい。漢字のような文字自体の意味を感じさせないアルファベットの記号性が具体的な意図を受け手に汲み取られず、創造させる。

②トーチ効果

平易な英語で書かれたスローガン(HITACHI Inspire the Nextなど)は企業やブランドの宣言である。可能性のある未来という日本語では表現できない余地を表現しようとして外来語が選ばれる。

③アゴラ効果

企業の出す社会的な提案が深刻さを帯びているときに、外国語をカタカナで表現する。カタカナの軽さが深刻さを和らげる。

④ハイド・アンド・シーク効果

外来語の装いはしているが、外来語でもなさそうな表現。PASMOやSuicaなど。

感想

筆者の考えていることをただ書いたようで、主張を裏付ける文章が弱いと感じた

感覚表現と感情

 こんばんは、昼ゼミ2年の山下です。秋学期の授業開始が目前に迫っていますが、どの講義もしばらくはオンライン形式ということで、ますます引きこもり運動不足が加速しそうです。明日から、筋トレを始めようと思っています。

 今回は、松浦照子(2003)「感覚表現と感情」『日本語学』22(1)、46-54(明治書院)を要約しました。

 この論文では、五感を表す表現の中でも語彙数の少ない味覚、嗅覚表現に着目し、雁屋哲作『美味しんぼ』の酒、ワインを味わう場面の表現を例に挙げて分析している。筆者は、少ない語彙数を補うために、別の感覚を表す語彙を用いる、比喩を使う、語を重ねるといった工夫がされていると分析している。また、一連の言語表現には、味わうという動作の中で、感覚への刺激から感情に至るまでの過程をみることができるとしている。

●分析

①嗅覚表現

〈~の香り〉例:木の香り…似ている別のものの香りに例える比喩

〈形容語〉例:甘い…味覚語彙による表現

       すがすがしい…冷感による表現

       きめが細かい…触覚に基づく表現

       豊かだ、濃厚だ…程度を表す語による表現(二字漢語が多い)

〈動詞句〉例:洗練されている…香りの性質について述べる表現

       忽然とする…香りを嗅いでいる人間の描写を用いた表現

〈比喩〉例:香りが綾なして体を包む…表現を重ねている

                   香りを擬人化、または香りの強さを表す比喩

②味覚表現

〈擬態語〉例:すっきり、べたべた…感覚的な表現

            飲み口の評価軸に関わり、軽さや鋭さはプラスに評価される傾向にある

〈形容詞〉例:美味しい、うまい…純粋な味覚の表現

       軽い、荒々しい…味の性質の表現

       懐かしい…味を経験した人の気分を表す、感情形容詞を用いた表現

〈形容動詞〉例:見事、貧弱…評価的な要素が含まれている

〈比喩〉例:しなやかでたおやかで、細やかで、まさに貴婦人といった味わいだ

●考察

・味覚、嗅覚表現に本来ある語彙では対応できず、それ以外の語彙を工夫して用いている

・上記の味と香りの言語表現は、一連の味わう動作を段階ごとに切り取っている

一連の味わう動作:感覚器官で香りや味といった刺激を受け、感情に至る

ことばによる表現:感覚を捉え、感情を解釈し、より分析的に表現する

         低い ――――― 客観化の程度 ――――- 高い

         ①擬態語  ②形容詞  ③形容動詞(二字漢語) ④比喩 

 この論文で比喩に分類されていない表現でも、実際は何らかの比喩の一種であるものが多いように思います。

 漫画『美味しんぼ』で使われる表現は、料理の味や香りが文字だけで読者に伝わるように、より具体的かつ修辞的な言い回しが多用されています。この論文の分析は、様々な食レポ、また、芸術作品を評価する際の表現などにも共通する部分があるのではないかと感じました。

程度副詞「ちょっと」の派生-語用論の視点から-

こんばんは、昼ゼミ2年の河野です。夜分にすみません。これが最後のレビュー投稿です。
春から引越しのバイトをしているのですが、この時期は暑くて本当にしんどいんです。エレベーター無し4階建てアパートの4階なんて最悪です(汗汗)。重い荷物を持って階段上っては降りて、もう干からびちゃいます。
最近は少し涼しくなってきましたが、まだまだ皆さんも熱中症には気を付けてください!

さて。今回は以下の論文のレビューです。

劉 亜髄(1999)「『ちょっと』についての一考察」文学史研究 40号 32-38 『文学史研究』

【本論文の概要】
本論文は、「ちょっと」、「ちょっとした」の程度副詞としての基本的な用法を踏まえた上で、それが派生した語用論的な用法について分析している。分析のポイントは以下の通りである。

(1)程度副詞から派生した意味の「ちょっと」
(2)否定とともに使われる「ちょっと」
(3)程度がそれほど低くない「ちょっと」

【詳細】
(1)程度副詞から派生した意味の「ちょっと」
「ちょっと」は一般的に程度が低いことを表す程度副詞であるが、それが派生して生まれた用法を分析するにあたり、筆者は以下の例文を挙げている。

「ちょっと伺います。ここはもともと古本屋さんじゃなかったですか?」

ここでの「ちょっと」は、具体的な数量や程度の大きさを指しておらず、この「ちょっと」を使うことにより話し手が聞き手に働きかける何らかの配慮が含まれていると分析しており、語用論の気配り原則に当てはめることができると分析している。

(2) 否定とともに使われる「ちょっと」

「あのう、ちょっとよく分からないんですけど、、、。」

A「今晩一緒に飲みに行きませんか。」
B「今日はちょっと、、、。」

上記の内容は、否定とともに使われる「ちょっと」の例として本論文で挙げられているものだ。ここでの「ちょっと」を筆者は、語用論の「是認の原則」に当てはめて分析している。話し手は聞き手の非難をできるだけ最小にするために、「ちょっと」を用い、相手にとって望ましくないことのマイナスの程度を控えめにしている。

(3) 程度がそれほど低くない「ちょっと」

「彼はちょっとした有名人になった。」
「新しく始めた事業が成功し、M氏はこの一年でちょっとした財を築いた。」
「ちょっといい男前ね、いくつくらいかしら。」

これらの例文での「ちょっと」、「ちょっとした」は、『現代副詞用法辞典』によると「かなり」の意味である。しかしこれらの「ちょっと」、「ちょっとした」を「かなり」で置き換えることは、やや無理があると筆者は述べている。そのため「ちょっと」、「ちょっとした」は、程度がそれほど低くはないが、決して高くもない表現にも使用されると筆者は分析している。

【結論】
「ちょっと」は、程度が低いことを表現する本来の用法から派生し、相手にとって望ましくないことを言う時や相手の非難をできるだけ最小にする時の配慮や気配りの手段として使用される用法も存在すると筆者はまとめている。中には「ちょっとした」のように程度が低くもなければ高くもないことを表すことも可能であると筆者は結論づけている。

【感想】
本稿は「ちょっと」について語用論の観点から本格的に分析した論文であり、ポライトネス理論の観点などから程度副詞の派生を自分の中で整理することが出来ました。個人的にこの派生した語用論的な用法に興味がかなり出てきているため、これからどんどん語用論から程度副詞を分析した論文を読んでいこうと思います。

「ときたら」の提題表現について

こんにちは。夜ゼミの田中です。

今回紹介するのは香坂みゆきの『ニュアンスしましょ』です。この曲はシンガーソングライターの町あかりさんのカバーで知りました。資生堂のCMもとてもいいので見てください。

以下の論文を要約しました。

岩男孝哲「最近の若者ときたら…ー話者の思考と属性叙述」『月刊言語』10月号pp.52-59

要点

「ときたら」の意味は引用→連想→提題の順に拡張してきた。

元々条件表現であった「ときたら」が提題表現へと変化したのは、①提題文の観念性と②仮定性が要因である。

少し詳しく

引用→連想

出来事間の依存関係ではなく、話者の思考が前件と後件をつなぐ意味合いが引用以上に強くなっており、前件と後件の関係がより主体的な関係へと変化している。

連想→提題

前件と後件の関係が同格から属性所有者(主題)と属性といった関係へと変化している。

  • 提題文の観念性

属性を述べる提題文とは話者が思考した主題と属性の関係を述べる表現であり、その特徴(観念性)が条件表現→提題表現への意味拡張につながる。

  • 提題文の仮定性

条件文の仮定性は話者が知覚したことではなく、思考した・構築した関係を述べている。それは「ときたら」にも一致している。この仮定性は引用・連想よりも強まった形で提題に表れている。

感想

意味拡張の順序づけが簡潔にまとまっていて参考になった。

ツンデレ表現の待遇性—接続詞カラによる「言いさし」の表現を中心に—

こんにちは。昼ゼミ2年の田久保です。

先日秋葉原に行く用事があったのですが、そこで本物(?)のメイドさんを見ました。しかも大勢いました。思わず、「日本すげー!」と思ってしまいました。

さて、今回は次の論文を要約しました。

西田隆政(2009)「ツンデレ表現の待遇性—接続詞カラによる「言いさし」の表現を中心に—『甲南女子大学研究紀要, 文学・文化編』第45巻pp.15-23

要点

ツンデレ表現を待遇性の側面から使用上の特徴を検討している。特に、接続詞カラによる「言いさし」と他のツンデレ表現の違いを明らかにしている。

この論文での主張

ツンデレ表現に見られる、本心を隠しつつそれを察するよう要求する接続詞カラによる「言いさし」(典型的なツンデレ表現)は待遇面での制約が見られる。しかし、同じツンデレ表現でも、心の動揺を表すつっかえの表現は待遇による制限を受けない。

この論文では、ツンデレ表現を

ツンデレとされる、強気で不器用なキャラクターが、特定の相手に対して、自分の心が動揺したときに、それをごまかすために使用する表現。

としている。

カラによる「言いさし」の待遇

いくつかの漫画の登場人物の会話とその背景を例に、ツンデレ表現に見られる「言いさし」は話し手と聞き手が対等な関係のときにのみ使用できることを主張している。特に上位者から下位者への接続詞カラの「言いさし」によるツンデレ表現は原則使用できない。その理由は、接続詞カラによる「言いさし」は、自分の本心とは逆のことを言うことで、建前上は隠しておきたい自分の本心を相手に推測するよう要求するものであり、立場が上の者(お嬢様、主人など)がこの表現を使うことは躊躇われるからではないかとしている。(こういった立場の使用者は文末をゾ、やワで言い切ることが多い)

〈自分の意見〉

ツンデレ表現は動揺した時などにのみ使用される常用性のない表現かつ、待遇による制限も受けることがわかった。この制限は上位者から下位者への使用が見られないと言うものであるが、下位者から上位者への使用への言及がもう少しあれば嬉しいと思った。役割語や、これに似た表現のボクっ娘などは待遇による制限を受けないのではないかと疑問が生まれた。

程度副詞「ちょっと」を日本語学習者の視点から

こんにちは。昼ゼミ2年の河野です。最近は小説ばかりでなくビジネス書のようなものも少しですが読んでます。先日は今話題のひろゆきさんの『1%の努力』を読みました。

さて、以下の論文を要約しました。

高野愛子(2016)「程度副詞『ちょっと』をめぐる文体差:日本語学習者作文コーパスから見られる傾向」『語学教育研究論叢』33号、333-355 大東文化大学語学教育研究所

【本論文の概要】
本論文は、日本語学習者の実態を研究する筆者が、「ちょっと」をはじめとする程度副詞の、文体差を意識した使い分けがどのように日本語教育で行われているかを研究したものである。先行研究として挙げられているものに程度副詞全般の研究の先駆けとなった工藤(1983)を挙げており、「すこし」や「ちょっと」は量性の強い程度副詞であることは明記されているものの、文体による差は触れられていないと主張している。筆者は日本語学習者に向けた程度副詞の文体差を視覚化して示す教材の必要性を本稿序盤で訴えている。

【詳細】
JLCTUFS作文コーパスでは、入門〜初級から超級までの8段階の日本語学習者の英作文において、「ちょっと」と「すこし」の出現率を分析している。その結果、「ちょっと」の出現率は初級後半が26パーセントと圧倒的に多く、「すこし」は各段階で目立ったばらつきをもたない結果であるが、上級前半の15パーセントが最も多かった。
この結果から筆者は、「ちょっと」が初級教材で早い段階で学ばれることは、「ちょっと」が持つその文体性が会話表現に近いためであると分析する。その裏付けとして、「ちょっと」の出現率は中級後半から大幅に減少することを挙げている。これはこの段階からレポート、論文らしい文体が導入され、意識化されたためだと筆者は分析する。
対して「すこし」は、上級前半での出現が最も多いことからも考えられるように、その文体性が「ちょっと」に比べ文語に近いためであると分析した。

【結論】
「ちょっと」と「すこし」の間には、日本語学習者の使用頻度からも分析できるよう、口語体と文語体という文体での使用頻度の差の存在が明らかとなった。

【感想】
今回の本論文は、少し視点を変えて日本語学習者の視点から程度副詞を分析したものを選びました。その結果、「すこし」と「ちょっと」の間には私たちが無意識的に使用していても確かに存在する「文体としての差」があることに目を向けられました。今後の研究にも、この「文体差」の観点も交えていければと思います。

程度副詞「ちょっと」、「すこし」の量副詞らしさの差異

こんにちは、昼ゼミ2年河野です。
最近は涼しくなって町一帯が金木犀の香りになってはやいなぁと感じます。秋の感じがして私は好きです。

今回は以下の論文のレビューです。

三宅節子(2003)「程度小を表わす副詞の一研究『すこし/ちょっと』を対象に」『日本語・日本文化』29号,115-136 大阪外国語大学留学生日本語教育センター

【本論文の概要 】
本論文では、筆者が程度副詞「ちょっと」と「すこし」に焦点を当て、両者の程度副詞あるいは量副詞らしさと同時に「ちょっと」においてそこから逸脱する部分について分析している。本論文で行われる分析のポイントは以下の通りである。

(1)「すこし」、「ちょっと」の修飾する程度内容
(2)形容詞、名詞と組み合わさる場合

【詳細】

(1)「すこし」、「ちょっと」の修飾する程度内容
ここでは2つの副詞の量副詞らしさを見るために程度内容の8分類を用意し、当該の副詞が修飾する程度内容のあらわれ方をみている。その8分類は以下である。

①出現程度 ②感情程度 ③状態程度 ④時間程度 ⑤距離程度 ⑥その他の程度(体積、面積など) ⑦動作量程度 ⑧分離量程度 ⑨言語量程度

筆者はこれらの分類基準を元に、コーパスを元に各々の分類における出現数と比率をまとめている。その結果、「すこし」は①から⑨までほぼ偏りなく出現しているが、「ちょっと」は④以外の⑤、⑥、⑧で極端に出現数が少ないことが分析された。

次に、否定形式と組み合わさるものとして、本論文で取り上げられた以下の例文を挙げる。

「今はちょっと説明している暇はないわ。とにかく思いっきり前に走って。」

ここにおける「ちょっと」を「すこし」に置き換えると「少し説明している暇はない」となり、文の事柄的な内容がやや変わってくる。
このような事から、筆者は「すこし」の方が程度副詞、量副詞としての側面が強いとの分析をしている。

(2) 形容詞、名詞と組み合わさる場合
本論文で取り上げられた用例を2つ挙げる。

「しかしですな、私のやっておった研究というのは、これはちょっと比類のないほど重要かつ貴重なものであって、このことだけはどうしても御理解いただきたい。」

「このチームはちょっと凄い。」

これらの例の「ちょっと」を「すこし」に置き換えると、どれもすわりが悪くなる。この場合の「ちょっと」は程度副詞としては機能せず、後続の形容詞の語彙的意味を強めているにすぎず、それに対し「すこし」は程度少の程度副詞であるため程度性に制限のある形容詞とは共起しないと主張する。

【結論】
これらの分析を元に筆者は「ちょっと」について以下の点から程度副詞らしくないと主張する。

・程度副詞が共起しないとされる形容詞と共起する。
・否定形式と共起する。
・数量名詞性が希薄である。
・修飾する程度内容に制約をもつ。

【感想】
程度副詞「ちょっと」を同じく程度副詞「少し」で置き換えるという点が私は非常に斬新かつ面白いと感じ、レビューに取り上げました。置き換えることで初めて見えてくる両者の量副詞性の差異に気づけたことは今後の研究に大きく活かせるように感じました。