関西若年層の「クナイ」

こんにちは。夜ゼミ2年の広瀬です。深夜に友人へLINEの返信をしたら、「なんで起きてんの?」とすぐに返信が来ました。私も友人に全く同じことを思いました。

今回要約する論文はこちらです。

高木千恵(2009)「関西若年層の用いる同意要求の文末形式クナイについて」『日本語の研究』第5巻4号 pp.1-15(武蔵野書院)

〇要旨

 関西若年層が使用する文末形式クナイについて、韻律的・形態的・構文的特徴および文法的意味を中心に考察する。

〇若年層の「クナイ」

 近年、関西方言を話す若年層のあいだで、「動詞基本形+クナイ」という形式が使用されている。以下は例である。

(1)色画用紙とかも、ヒャッキン行けばあるクナイ?

 聞き手への問いかけのかたちを取りながら自分の考えを主張している点に特徴がある。元々クナイはイ形容詞否定疑問文形式の一部分であるが、ここでのクナイは、ひとまとまりの文末形式として使用されていることを示すものである。

〇資料について

 関西の複数の大学でアンケートを行う。調査の目的は以下の二点である。

(A)新形式クナイが関西方言話者にどの程度浸透しているのか

(B)クナイがどのような用法を担う形式として使用されているのか

〇韻律的特徴

 基本的に述語の語アクセントは保たれたままで、文末に疑問上昇調のイントネーションがかぶさっている。

〇形態的特徴

 基本形・タ形・丁寧形の三つの形態を持っているが、タ形および丁寧形についての使用は不安定である。

  (2)今日ミーティングあるクナイ?(基本形)

  (3)??昨日ミーティングあるクナカッタ?(タ形)

  (4)今日ミーティングあるクナイデスカ?(丁寧形)

<基本形>

通常疑問を表す文末詞カを付加することはなく、イントネーションによって問いかけであることが示される。

<タ形>

 過去のことがらについて述べる場合には、前接する語のタ形にクナイを後接させる方が自然なようであり、クナカッタを使用すると回答したのは一名だけであった。

〇用法

 文末形式のクナイは、事態成立の見込みがあるという話し手の判断を表す。使用されるのは以下の条件をともに満たす場合である。

(a)判断の妥当性が追認できるような眼前の事象、一般的知識、経験的に共有されている知識、普遍的真理などを問題にしている。

(b)情報量の点で話し手と聞き手とが対等の立場にあると話し手が考えている

〇私見

 文末形式のクナイは、関西に限らず関東の若年層もよく使っているのではないかと思う。実際にSNSで検索してみても、同時期に既に使用している若者は多くみられた。論文中に「文末形式のクナイは実際には東京でほとんど使用されてないという」と記載があったが、当時のSNS等を見る限りではそうとも言い切れないのではないだろうか。

 また、アクセントやイントネーションについての視点から考えているのは非常に興味深いと感じた。

「ほとんど」の副詞用法

 おはようございます。夜ゼミ2年の米光です。先日2年ぶりにディズニーランドに行ってきました。そして、今日は10数年ぶりにディズニーシーに行きます。ディズニーにあまり行かないので、2週連続はとても貴重だなと思いました。久しぶりのシー思いっきり楽しんできたいと思います。

さて、今回は以下の論文を要約しました。

大倉美和子(1985)「「ほとんど」の副詞用法」『大阪外国語大学学報』70巻1号、pp.55-70

 この論文は、基準値を示すと見なし得る語が文中に存在する場合でも文の意味の多義性が避けられないようなときに、文の意味解釈をめぐってどのような条件下で一つの意味が選択されるのか、その際に「ほとんど」は文中のどの要素と結び付いてその機能を発揮するのか、そして、それぞれの意味の「ほとんど」が表れる文にはどのような構文的特徴があるのかを探っている。

「ほとんど」の二つの用法

・「程度」を表すとみなされている用法

・数量を表す用法

副詞用法の「ほとんど」

肯定文中の「ほとんど」と否定文中の「ほとんど」に分けてそれぞれの場合の基準値を整理しつつ、その基準値がどの構文レベルに関わっているかを見ていく。

・肯定文に現れる「ほとんど」

肯定文中に「ほとんど」が表れる場合の構文的特微…基準値指示語すなわち極限状況を示す語(以下極限状況設定語とする)と同一文中に表れること、さらにそれが「ほとんど」に下接していること。

基準値になりうる極限状況設定語をその意味により分類してみると、数量(時間量を含む)、頻度、位置を表す語、ある状態の上鰻・下限を表す語であることが分かる。

基準値が明示的ではない場合

「ほとんど」に下接する述部に表れる語の特徴…「似かよい」の対象が基準値になる場合は主体の状態を、事柄実現の完遂状態の場合には主体の状態変化や動きをその語彙的意味として持つ。

「極限状況に極めて接近した程度を表す」という「ほとんど」の用法では説明できない例…「ほとんど」に下接する語の中に基準値となりうる極限状況設定語としての性格を持つ語が表れていない。「ほとんど」は、基準値となる総量の枠組みを示す語を先行詞とし、その中の部分量をとりたてる機能を果たしているわけである。

多義性の場合の構文上の特徴

「ほとんど」が表れる文に述語動詞と格関係にある主体や対象などの文成分が複数性を暗示して存在するとき、そして、その総量の枠組みが明確に設定されている場合には「ほとんど」は数量を表す。しかし、総量を基準値として設定することも可能で、しかも「ほとんど」の後続語の中に基準値がある場合には文の多義性は避けられない。

・否定文に表れる「ほとんど」

否定辞「ない」は肯定度ゼロとして基準値になりうる。

「ない」に「なる」が結合した「なくなる」の形に「ほとんど」が結び付いて用いられることも多いが、非存在というゼロ値を基準値にしている点では変わりがない。

その総量の枠組みを設定する先行詞として機能しうる語がないために、「ほとんど」は同一文中のもう一つの基準値たる「ない」に結び付くことになる。

否定文中の「ほとんど」は、述語動詞の格関係に関わるレベルで働く場合には肯定文中の「ほとんど」と同じように数量を表すが、動詞との格関係を持つ文成分の中に総量枠組みを特定する語がない場合には時間量や頻度に関わるレベルで作用する。

しかし、一部の文は「ほとんど」は「ない」を示す事態成立の肯定度ゼロという基準値に極めて近い程度であることを表しているのみである。時間量に関わるゼロ値なのか、頻度に闘わるゼロ値なのかは「ない」が文中で何を否定するかによって決定されるものである。

 「ほとんど」は文中で結びつく相手の語の性質によってさまざまな働きをしていた。私は「ほぼほぼ」をテーマにしたいと思っているが、その中でも多義性の部分には興味があったので参考にしていきたい。

「~っス」という表現について

こんにちは。夜ゼミ二年の松蔭です。最近外に出られないので筋トレを始めました。めんどくさがりの自分は三日坊主になってしまうかもしれないと危惧していたのですが、意外にも2週間ほど続けられています。これからも継続していきたいです。

 さて、今回は次の論文を要約しました

守田 美子(2021)「日本語における2タイプの「ス」体とその語用論的機能」『人間生活文化研究 Int J Hum Cult Stud.』 No.31 p14-23

 この論文では敬語を崩したような形の「ス」という表現を「親しみのこもった敬意」と「ノリのいい若手男子といったある特定の印象や自分の印象を相手に伝える」機能を持った二つのタイプに分け、その語用論的機能について考えることで、「ス」体がある時は敬 語として解釈され,ある時は礼儀に欠けた言い方 としても解釈されうるという問題について説明している。

 先行研究では後者の「ス」は前者から変化する連続体として扱っているが、ここでは敬語タイプのものを「です」の短縮形として、後者をキャラ語尾の一種である談話標識であることを主張している。

 前者の「ス」は「です」の省略形であるため、動詞の後に生起せず、もし生起する場合は「のです」の省略形になっている。しかし、「僕が行くっス」における「ス」は「僕が行くのです」ではなく「僕が行きます」の省略形であると考えた方が自然である。前者に対し、後者の談話標識としての「ス」は「です」だけでなく「ます」の代替としても機能しているため、動詞の後に自由に生起することが出来る。このようにこれら二つの生起が異なっていると考えることが出来る。

 語用論的機能について

前者の「ス」には「親しみのこもった敬意」が含まれている。「です」は丁寧体であり、相手に対する敬意を表すと考えられ、それを「ス」と省略することは相手に対する「親しみ」を示す手段として行った明示的な意図伝達行為である。聞き手がこれを解釈することで「親しみのこもった敬意」という関連性に到達できる。

 後者の「ス」は関連性理論における発話の高次表意を明示していると仮定することで、文脈によって相手への親しみとして解釈することもできるし、堅苦しい礼儀作法に捕らわれない自由なキャラであることを表現する手段と受け取ることもできる。

 以上のことから「ス」をカジュアルな敬語として、または文脈によって変化する談話標識としてとらえることで「ス」体がある時は敬 語として解釈され,ある時は礼儀に欠けた言い方 としても解釈されうるという疑問を自然に説明できる。

自分の意見

 よく耳にする表現である「ス」は、この表現だけを聞くと「失礼だ」と感じるのですが使う場面によって不快感がほとんどない、ということにとても納得できるものでした。

「三角関係」の成立と定着

こんにちは。夜ゼミ2年の広瀬です。定期的に投稿しようと思ってはいても、なんだかんだ別の作業に追われて結局まとめての投稿になってしまいました。秋学期からは計画的に物事を進められるよう頑張りたいところです…。

今回要約する文はこちらです。

清地ゆき子(2010)「恋愛用語「三角関係」と”三角恋愛”の成立と定着―1920年代の日中語彙交流の視点から―」『日本語の研究』第6巻2号pp.46-61(武蔵野書院)

〇要旨

 日本の大正期及び中国の民国初期において、異形同義語として定着した「三角関係」と“三角恋愛”に着目し、成立と定着過程を明らかにする。

〇「三角関係」の成立

 所謂三角関係を表す言葉として、1907年に日本語訳されたイブセンの戯曲Hedda Gabler第二幕では「三角同盟」という語が見られる。ところが1918年に出版された、坪内士行訳『イブセン傑作集 ヘッダ・ガブラー』の「緒言」に「三角関係」が使われている。「緒言」は島村民蔵によって書かれたものである。実はこの第二幕の台詞は、原書やドイツ語訳の役本には、「三角(の)・関係」と表す語が使用されている。島村はドイツ語に秀でていたため、「緒言」を書くにあたってドイツ語訳のHedda Gablerを目にし、「三角関係」と訳した可能性が考えられる。またこの2年前には森鴎外の史伝「椙原品」で「三角関係」が確認できる。これは、鴎外もドイツ語訳のHedda Gablerを目にしたからではないかと推察できる。

〇定着

 1920年以降、小説や評論に使用されるようになる。「三角関係」の意味が完全に定着していなかったころには、「三角関係」の前に「男女の」といった説明がつけられている例が見受けられる。

〇「三角恋愛」の使用

 1920年代前半の新聞記事などの見出しでは、「三角恋愛」という言葉の使用も見られた。23年、24年には本文で「三角関係」を使用し、見出しには「三角恋愛」と表記する記事などが散見された。これは、見出しとしては「三角関係」に比べ、「三角恋愛」の方が意味を理解しやすく、「三角関係」が定着するまでの過渡的な使用だと思われる。

 また、同時期に評論や小説でも見られるようになった。

〇私見

 「三角恋愛」はどこから成立したのかが非常に気になった。私は今まで「三角恋愛」という言葉を聞いた覚えがあまりないのだが、「三角関係」だけではわかりにくいから作られた造語、ということなのだろうか。「三角関係」はドイツ語訳から誕生したもの考えるとして、「三角恋愛」は誰が初めに言い始め、どのように成立したのだろうか。しかし全体として、「三角関係」の言葉の成立や定着がわかりやすくまとまっている論文であると感じた。

 また、私の技量不足で「中国語での成立について」をここに投稿する短い文章でまとめることができなかったので、精進したい。

「鬼」と「姫」の接頭語用法

こんばんは。2年昼ゼミの伊藤です。

先日春学期の成績が発表され、春学期の自分頑張ったと褒めて、秋学期も頑張れと自分に活を入れながら履修を組みました。

この論文の、出版年と出版社が見つからないため記載できずすみません。

佐々木 翔太郎「「鬼」と「姫」の接頭語用法について」

【概要】

 この論文では、佐々木(2010)が実施したアンケート調査とその分析を部分的にピックアップして再考し、「鬼」の強意的用法発生について考え方の一つを提案するとともに、佐々木(2010)のとった手法について検討している。

【考察】

 

 調査対象後に対する既有知識(スキーマ)がなくても、「鬼」が付くと相対的に大きいもので、「姫」が付くと相対的に小さいものであるという類推作用が人々の間で働いていることの表れであると言える。

 佐々木(2010)は、接頭語「鬼」の強意的用法の発生は、接頭語「鬼」の異形・巨大義が元となっていることは間違いないと指摘している。しかし、上記のような「鬼」のイメージの変貌、言葉としての在り方の」変化を遂げて、若者の自由な発想によって今日のような用法が成立していることを報告している。

 

 「鬼」は古くから人々のイメージを託されてきた語であるが、今日においては、特に若者の間で、彼らの自由な発想によってその大きく強いイメージが強意的用法に使用されるようになったのである。ただし、「姫」は「鬼」のようにはいかないため、「鬼」と同様、マインドマッピング調査や文章完成法調査を実施し、その実態を分析すると明らかになる事項があるかもしれない。

【感想】

 「鬼」を接頭語として用いているのは見たことや聴いたことがあるのですが、「姫」は聞いたことがなかったのであまり共感のできない部分もありました。論文にもあるように、「鬼」は人々の持つイメージから想像ができるのですが、「姫」はあまり人々へのイメージの定着がないように感じました。著者も述べているように、「姫」についても分析する必要があるのではないかと思います。

目的と態様の「ように」

こんばんは。2年昼ゼミの伊藤です。

ここ数日、夜が過ごしやすい気候となり夏の終わりを感じます。夏休みに予定していた旅行に行かれなくなり大学生の特権が満喫できず残念ですが、もう少し我慢をし早く安心して外出できるようになって欲しいです。

宝島 格、今仁 生美(2020)「目的と態様の「ように」について」『名古屋大学院大学論集 言語・文化篇』第31巻2号、pp.49-58

【概要】

 「ように」を含む次の文は、2つの明確に異なる意味でとらえることができるといわれる。

  (1)肉が焦げないように弱火で炒めてください。

   (1a)「目的」肉が焦げないことが目的で、弱火で炒めればそれが達成される。

   (1b)「態様」弱火で炒めたからと言って肉が焦げないわけではないので、焦げてしまう炒め方  ではなく焦げない炒め方をすることに注意する。

 この論文では、「ように」の基本的性質から導かれるものとして両用法を扱うことを提案している。

 日本語の「よう」の意味は、一般的に基本となるのは、「模様・様子・状態」であり、これが「比況・例示」の意味へと発展していき、さらに内容を指示する「一致・帰着」世言った関係を表すに至る。また、文脈により「推定。不確実な断定」「目標・目的」「願い・希望・軽い命令」などの機能を持つ意味になる。

 この論文では、副詞接を導くもののうち、前節で述べた2つの用法「態様」「目的」に絞って問題にしている。

【考察】

 次の文における用法の違いを、下記の(2a)と(2b)が示すようなスコープの違いとしてとらえる方法がありうる。

  (2)馬が逃げないように手綱を(木に)括りつけてください。

   (2a)[馬が逃げないように][手綱を括り付ける]

      ↳「手綱を括り付ける」動作事態は1つのまとまりを成して完結しており、それに「馬が逃げない」が独立して付加されている

   (2b)[馬が逃げないように [手綱を括り付ける]]

     ↳「手綱を括り付ける」動作の内部に「馬が逃げない」が含まれており、「手綱を括り付ける」動作の内容に影響を与えるものとされる

 スコープの違いは、「ように」で導かれる節の内容が、動作「括り付ける」と密接に結合しているか、結合度合いがゆるいか、の違いである。

 しかし実際のところ、こうした「スコープの違い」は構造的にはっきり区別されうるものである。(2)において、「目的」と「態様」はどのように扱われるか。「ように」に2つの用法があって、これがスコープの違いとして明瞭に区別されているのであれば、「目的」用法(2a)は、「手綱を注意して括り付ける」が1つのまとわりとして独立しており、「馬が逃げないように」と無関係に意味が定まるということになるのではないか。なお「態様」用法の(2b)は、括り付ける動作の内部に、馬が逃げないこと(に対する注意)の有無が含まれており、「ように」節の内容が括り付ける動作に影響を与える解釈である。

【感想】

 とても分かりやすく、また著者の主張が伝わってくる論文だと感じました。「目的」と「態様」で区別をつけながら使っている人は少ないのではないかと思います。しかし、2つの用法の間には大きな違いがあるのだということがわかりました。

 

複合助詞「について」「に関して」「に対して」の連帯用法

こんばんは。2年昼ゼミの伊藤です。

趙 海域(2019)「複合助詞「について」「に関して」「に対して」の連帯用法について」『明星大学研究紀要-人文学部』第55号

【概要】

 この論文では、「について」「に関して」「に対して」の連用的用法「についての」「に関しての」「に関する」「に対しての」「に対する」の五形式を対象に、現代日本語のコーパスから抽出した例を基に、量的に分析し、この五形式の違いを考察している。

  (1)学割というのは、学生に対しての(➡に対する)割引のことである。

  (2)朝食でとるべき栄養バランスに関しての(➡に関する)問題点は食品メーカーにとって大事な      

   ことである。

 例(1)、例(2)のように、日本語母語話者の「に対しての」を「に対する」、「に関しての」を「に関する」に置き換えたほうがいいという判断からペアになる両者に違いがあることがわかる。両者には文体差を越えた違いがあるのではないかと推察される。

 

【考察】

 表1には、本研究の分析対象となる五つの形式のサブコーパス別の粗頻度を示している。連体形「に関す」「に対する」が多く使われているのに対し、「に対しての」「に関しての」のテノ系の用例数が少ないのが対照的である。

全体的な傾向としては、「に関する」「に対する」の出現頻度が高く、「についての」が中間で、「に対しての」「に関しての」の出現頻度が非常に低いことがわかる。サブコーパスにおける出現傾向をまとめると、表2になる。「に対して」「に関して」の出現頻度が非常に低く、はっきりして傾向がみられないため、表2には示していない。

「に関する」「に対する」「についての」は法律、白書、国会会議録のような硬い文体、公的な文章で使われやすい。

「に対する」は白書で出現頻度が最も高いのは、白書の内容性質からみて、他との比較、何か問題に対処する内容が多いことによると考えられる。

「に関する」「に対する」「についての」は、ブログ、知恵袋、韻文で出現頻度が低い。

 「について」「に関する」「に関しての」「に対する」「に対しての」の後続名詞の特徴を見るため、各形式のランダムに抽出された500例の後続名詞N2を対象に、相互比較した。以下本稿では、「に関するN」「に関してのN」に着目してこの後続名詞Nを比較し、形式に接続する独自の後続名詞の特徴を分析していく。

 表3は、「に関する」と「に関しての」の後続名詞Nのそれぞれ特徴的な語を示すものである。

「に関する」は「法律、措置、規定、基準、協定、条例、条約、登記」などの決まりや規定を表すもの、「研究、調査、研究開発、検討会」などの知的行為を表す語が後続される傾向にある。「に関しての」は「お願い、注意、考え方、不安、コメント、講話」などの、特定の相手、少人数に対する働きかけのような私的な要素が強い語が後続されやすい。

【感想】

 私は、「について」「に関して」「に対して」の違いについて今まで着目したことがありませんでした。日本語を知れば知るほど、外国の方が日本語は難しいという理由がわかる気がしてきます。今回扱った言葉に限らず、今度このような言葉に着目しながら日本語を使うと、また違った日本語の面白さを感じられるのではないかと思いました。

現代のリアルな若者の若者言葉の使い方とその心理

こんばんは。2年昼ゼミの伊藤です。

塾講で中学3年生を教えているのですが、夏が終わり本格的に受験が始まるので勉強に励む子供を見て、私も頑張ろうという後押しをしてもらいました。

石原 一輝、金和 達也、舘 一輝(2020)

「現代のリアルな若者の若者言葉と使い方とその心理」『金沢大学人間社会学域経済学類社会言語学演習』第15巻、pp.33-46

【概要】

 この論文では、「普通に」という言葉に関する先行研究井本(2011)を批判的に検討し、その問題点を指摘している。

【先行研究】

A.動作様態副詞的用法

 動作に対して、程度を標準化することを表す。

  (1)演技をせずに、普通に話してください。

B.注釈副詞的用法

 表現される事柄に対する話す人の評価・程度の解釈を表す。

  (2)ひとりカラオケも普通に行くよね。

C.程度副詞的用法

 他の一般的な程度副詞と同様に、程度を限定的に定めることを表す。

  (3)学食のラーメン{すごく/とても/普通に/まあまあ/そこそこ}おいしいよ。

に定めることを表す。

【考察】

井本は、「スケール構造において、程度副詞はスケール上の標準値を更新し、程度副詞が表す値を指し示す。」と述べる。(p.71)。例えば、以下の(4)では、程度値が標準値から有標の「とても」となっている。しかし、(5)では、「普通に」が程度修飾をする際には、程度値の更新は起きない。これは、「普通」が無標の標準値であるからだ(p.71)。

 (4)「とてもかわいい。」

 (5)「普通にかわいい。」

 しかし、次の(6)は、文脈的標準値が(4)の「とても」によって更新された例と似た意味合いを持つようになっている(p.72)。

 (6)学食のラーメン、まずいって聞いたけど普通においしかった。

ここでは、「おいしい」のスケールにおける文脈的標準値は、「まずい」によって負の方向に動いており、文脈的に程度値が低くなっている。そこに「普通に」が程度修飾することで、程度値は「普通」に更新される。このことから、「普通に」が高い程度を表すと解釈される用法は、標準程度否定文脈によって述部の程度値が、無標の標準値よりも低く設定されることで「普通に」の表す程度が、相対的に正の方向に更新されているためであると説明される。つまり、高い程度を表すという解釈は、スケールの上で正の方向に更新することによる、見かけ上の解釈というわけである。

【感想】

 この論文では、最後に他の若者言葉をいくつか取り上げて検証しているため、「普通に」という言葉を考える上で様々な方法での検討が、より深い考察にしているのではないかと感じました。また「普通に」は、若者言葉といえるのか疑問に感じたので調べてみようと思います。

補助動詞化された後項動詞の副詞的用法

こんばんは。2年昼ゼミの伊藤です。

明日で夏休み最終日だと思うと悲しい気持ちです。今年こそはと思っていた花火大会にも行かれず、寂しい夏でした。

論文の出版年や、掲載紙が調べてもわからなかったので載せられずすみません。

石 恩京 補助動詞化された後項動詞の副詞的用法について

【概要】

 副詞もしくは副詞に相当する語について、前項動詞に対する後項動詞の働きを理解し、後項動詞の意味を分類することが必要であると考えられる。

 この論文では、後項動詞の副詞的用法に焦点を当てて考察をしている。

【考察】

 複合動詞の後項動詞として用いられる動詞はとても多い。そのためここでは、比較的生産性の高い動詞を中心に取り上げて後項動詞の副詞的用法について考察をする。

  (1)a.読み終わってから返してください。

    b.全部読んでから返してください。

  (2)a.仕事をしかけた時に客が来た。

    b.仕事をしようとした時に客が来た。

(1a)の後項動詞「終わる」は、意味の上で連用修飾語「全部」と対応している。一方、(2a)の場合は、後項動詞「かける」に対して、連用修飾語ではなく別の表現が用いられている。(1a)で用いられている後項動詞は、前項動詞の表す動作の成立を表すとともにその動作の示す動き・状態・様子などを表す。一方、(2a)の後項動詞は、前項動詞の表す動作が成立するかしないか、ということのみを表す。

 (1a)と(2a)の間で見られる違いは、同じ後項動詞であっても文によって見られたりする。

  (3)a.宿題を出し遅れて先生に叱られた。

    b.宿題を遅く出して先生に叱られた。

  (4)a.答えを言い損なう。

    b.答えを間違って言う。

(3)では、「遅れる」に対して連用修飾語「遅く」が対応しているが、(4)では、同じ後項動詞に対して連用修飾語ではなく他の表現が用いられている。(3a)、(4a)では、それぞれ同じ後項動詞が用いられているが、文によって後項動詞の表す意味には違いがある。この場の後項動詞は前項動詞の動作成立の成否のみを表す。

【感想】

 この論文では、複合動詞の結合形態に限定し、その中でも構造で分類した中の一つに要点を当てて論じていたが、他の構造についても考察を行うことで複合動詞の働きなどまた違う結果が出るのではないかと感じました。

会話における「なんか」の機能に関する一考察

こんばんは。夜ゼミ2年の鈴木です。

 夏休みはあまり外出が出来ず、家で韓国ドラマやK-POPを見て過ごしていたおかげで、ハングルや韓国語が少し分かるようになってきました。第二外国語が中国語なので、華流ドラマにハマれば中国語も楽しく覚えられるかな、、、なんて思っています。

さて今回は以下の論文を要約しました。

鈴木佳奈(2000)「会話における「なんか」の機能に関する一考察」『大阪大学言語文化学』,第9巻,pp.63-78, 大阪大学言語文化学会

 この論文は「なんか」の実際の言語的機能について分析、考察している。また、ここでは初対面の大学生同士(同性)1の15分間の会話18組を使用した。

1.「なんか」の意味論的機能

a. うちの学部の人の、高校の同級生かなんかで、

b. 私なんかまだ卒論のテーマも決まってないんですけど

疑問詞、代名詞として使用される「なんか」は、不確実性、不特定性の標識としての働きをもち、これが「なんか」の最も本質的な機能であると思われる。次に助詞については例示や対比、強調など、先行する名詞句に意味が添加される。このように意味論的機能としての「なんか」は発話の命題内容を構成する要素のひとつとなっている。

2.「なんか」の語用論的機能

c. ①多分、なんかそういう保険がみたいななんか、あったみたいで、

②うんうん

①結構なんか、月に数万入ってきて、

①治療費よりも、多かったから、結構得しちゃった。

語用論的機能は、 productionformatの変化を予告・強調したり、あるいは話し手と聞き手両者に共有されている否定的な意見を暗示したりして、発話内容や発話者の発話に対する態度をあいまいにするというメタメッセージを間き手に伝達する。これは伝達表現が発話の終盤に出現することの多い日本語の特徴において、「なんか」を挿入することにより、話し手の態度を聞き手に予測させているのだといえる。

3.「なんか」の談話調整機能

d. なんか、う一ん、ジャズの、そ、何やろな、日本の、ジャズ?

談話調整機能は、言いたいことがある時にうまく適切な言葉が出てこないような時に、時間的余裕を作り出したり、新しい話題の禅入を示したりすることで、円滑なコミュニケーションを促進する、「つなぎ言葉」の役割である。語用論的機能と談話調整機能は、不確実性・不特定性の標識という「なんか」の本質的機能から派生したものではないかと思われる。

また「なんか」は二つ以上の機能を同時に担うことが可能であり、それぞれの機能は互いに密接に結びついて複雑に働いている。

 この論文を読み、私自身「なんか」という語を口癖のように発していたことに気が付いた。「なんか」という語はその機能によってそれぞれ異なる語に置き換えられると思うが、これほどまでに多機能な語は他にないのではないかと思った。