「「ってゆうか」は単なる意味のない前置き表現か―意味の観点から―」

 こんにちは。昼ゼミ2年の宮澤です。私の住む県にも緊急事態宣言が発令され、アルバイト先の塾ではzoomを使いオンライン授業をしています。zoomだと過度に慎重になり、対面よりも授業がゆっくりになって進みません…。でも、良いことも!小学生男子は、対面だとふざけていたり、問題を中々解いてくれなかったりして困っていましたが、家だと彼らのお母さんが近くにいるおかげで真面目に授業を受けてくれて、対面よりもやりやすいです(笑)。母は強い!偉大です!

 さて、今回、私は

林千賀(2007)「「ってゆうか」は単なる意味のない前置き表現か―意味の観点から―」

『昭和女子大学大学院言語教育・コミュニケーション研究』第2巻、pp.37-49        を要約しました。

 筆者は、意味を持たない前置き表現と言われる「ってゆうか」に意味があると主張しています。この論文では、まず、「ってゆうか」における意味の有無について論じる先行研究を紹介し、次に、先行研究から「ってゆうか」には3種類あることを提示しています。最後に、3種類のうちの1つである前置き表現の「ってゆうか」が意味を持つことを実証します。以下、この流れに沿ってまとめていきます。

 筆者は、先行研究から、意味がある「ってゆうか」と意味がない「ってゆうか」に分かれていることを挙げています。意味がある方は、塩田(2003)とメイナード(2004)をまとめて、元々の「XていうかY」が持つ否定や言い換えの意味を持つと分かりました。一方で、意味がない方は、塩田(2003)が主張する、言い換える対象である前件Xの部分が消えたことにより、「ってゆうか」自体には意味が消えたという考えを紹介しています。

(注意)

・「っていうか」「ってゆうか」「つうか」「てか」は同義として扱う。

・この論文における「意味核」とは、「語句が固有に有する意味」のことをいう。「っていうか」の意味核は、元々使われていた「XというかY」が持つ意味である「前件Xというより、むしろ後件Y」である。

 次に、筆者は、メイナード(2004,2005)による、①前置き表現「ていうかY」、②後置き表現「Xていうか」、③単独で使用される「ていうか」の3種類の分類を提示しています。これらのうち、①前置き表現「ていうか」には、元々の「XていうかY」との区別のために、ディスコース・マーカー(談話標識)の機能を含むとしています。(ディスコース・マーカーとは、「論旨の転換を示す語句」のこと。)

 筆者は、メイナードの分類のうち、前置き表現の「ってゆうか」を取り上げ、それには意味核が全く残っていないとは言えないのではないかと主張しています。更に、先行研究の問題点として、省略された前件Xを復元していない点を挙げ、この論文では、前件Xが省略されている場合、省略部分の復元によって意味核が確認できる場合は、意味核があると判断します。

 ここで、例文の分析手順を示します。

①表層上のXが見当たる場合、あるいは、Xが復元可能な省略(深層上のX)の場合

 →「ていうか」の意味核(言い換えるための前置き表現「XというよりむしろYである」)があるとする。

②表層上にも深層上にもXが見当たらない場合

 →発話行為の談話標識(ディスコース・マーカー) とする。

③ディスコース・マーカーから、統語上、Xが認められなくても、文脈上、認めることが可能であれば意味核があると判断する。

  (12)a 「寝坊しちゃった。」

     b 「ていうか今日の試験どう?」梅澤(1999:80)

 (12)の「ていうか」は、分析手順②に当たり、相手(a)の話題を変えています。筆者は、話題を変えることは、相手の話題を否定しているともいえるため、否定の意味が全く含まれないとは言えないと考察しています(分析手順③)。しかし、筆者は、この例文は省略された前件を復元するには文脈(コンテクスト)が不十分であるため、意味核が残っていると主張するには弱いと考え、コンテクスト情報が十分にある(15)の例文を分析しました。

  (15)(韓国パブに行くかどうかについて仲間4人たちで話している。しかし、ブッサンはあまり韓国パブに興味を示す様子もなく、考え   

     ごとをしている。)

     アニ  :ブッサンも(ブッサンの肩をたたきながら)はやくVシネモードに着替えて5時集合な。

     ブッサン:つうか、バンビは?

          (皆、知らないと首を振ってこのシーンが終わる)

『木更津キャッツアイ―日本シリーズ』宮藤官九郎監督

 (15)の例文では、前件Xは、「つうか」の前の談話部分であり、内容としては韓国パブに行くかどうかの話題です。そして、後件Yは、「つうか」の後の部分であり、韓国パブの話題を「つうか」によって、新しい話題に変えています。つまり、この場合の「つうか」は、前件を否定して後件に言い換える「XというかY」と同じ意味を持ち、意味核があるといえます。このように談話全体をXとすることで、前置き表現にも意味核があると実証しました。筆者は、前置きのディスコース・マーカーとして作用している「つうか」は、前件Xを表現する明確な語が見当たらなくても、文脈上認められれば、意味核があると判断できるとまとめました。

 最後に、この論文では、ディスコース・マーカーの「ってゆうか」を、「前件の意味を緩和して後件で言い換える「XというかY」から派生した談話標識(ディスコース・マーカー)」と定義しています。

 先行研究では、短い会話の中で前件Xの語を探すという作業をしていましたが、この論文では、ドラマで言葉になっている部分つまり台詞だけでなく、その場の状況や話題にも目を向けています。実際の日常会話でも、私たちは語単位よりも文脈単位で大きく捉えて会話することの方が多いと思うので、言葉の使われ方の実情を見るのに適した研究方法だと思いました。そして、私は、「ってゆうか」は「それよりも(それよか)」と意味や使われ方が似ているのではないかと考えたので、両者の違いを調査してみたいと思いました。

参考文献

自由国民社(2019)『現代用語の基礎知識』

新聞記事の発話行為からみたジェンダー

 こんばんは。昼ゼミ2年の宮澤です。初投稿です!不備があったらすみません。

 先日、大学の図書館に行ってきました。霊感のある友人から地下の書庫には何かがいると聞いていたため、ビクビクしながら読み漁っていました。特に地下4階の椅子には見えない誰かがいるそうです。みなさん、お気を付けください......少しは涼しくなりましたか?

 そのとき借りてきた雑誌に掲載されていた

 遠藤織枝(2004)「新聞記事の発話行為からみたジェンダー」『日本語学』第23巻、pp.38-47(明治書院)

を要約しました。

 筆者は、「女性語」「男性語」や女性差別的語のような特定の語・表現以外の言葉にもジェンダー(社会的性差)が表れると指摘しています。「ジェンダーによる力の差=語の使用の差」であると主張し、そのことを確かめるために、この論文では、新聞記事(CD-ROM版『毎日新聞』(1993~2001年))から、「発話行為そのものを示す語」を収集して、それらの語がどのような人物によって使われるのか、そこに性差があるのかを考察しています。性別が判明している場合は「男」と「女」に、判明していない場合は「不明」に、政府や企業などは「組織」に、複数の話者は「複数」に分類してあります。

(注意点)遠藤(1992)によると、最も女性の登場が多い新聞の場合で、女性の対男性比は25%だったそうです。このように、新聞ではそもそも発話行為の主体は男性中心であるため、単純に比較するのは難しいです。

「発話行為そのものを示す語」の発話者 出現数と割合

  ①明言 ②断言 ③主張 ④強調
主体 出現数 対全体比(%) 出現数 対全体比(%) 出現数 対全体比(%) 出現数 対全体比(%)
男性 115 78.8(97.5) 107 79.3(97.3) 66 41.0(88.0) 108 81.8(97.3)
女性 3 2.1(2.5) 3 2.2(2.7) 9 5.6(12.0) 3 2.3(2.7)
組織 18 12.3 19 14.1 71 44.1 14 10.6
複数 1 0.7 4 3.0 10 6.2 0 0
不明 9 6.2 2 1.5 5 3.1 7 5.3

※赤字は最も割合が大きい主体

①明言(する)

  (1)池田行彦外相は9日開かれた政府・与党の財政構造改革会議の企画委員会で[…]「達成はいくら頑張っても無理なのは明らか」と明言した。(1997.4.10)

発話者の特徴:男性が圧倒的に多い。(例)池田行彦外相、橋本竜太郎首相、大和銀行頭取

[他項目の例 女性(例)ヒラリー夫人、オルブライト国務長官 組織(例)政府、大蔵省]

⇒(考察)発話者の特徴として、権限や権力がある個人あるいは強大な力を持つ存在である点が挙げられる。その中でも、男性が多いという特徴は、そのような力を持つ人物や力のある場所に男性が多いことが関係しているのではないか。つまり、「明言」するという行為は、「明言」するべき事実や情報を持つ力のある主体の行為だと考察している。

②断言(する)

  (6)小説月刊誌「小説すばる」(集英社)の山本源一郎編集長は「すべての新進作家と編集者の合言葉は『いつかは直木賞を取ろう』といってもいい」と断言する。(2001.1.11)

発話者の特徴:「~さん」「~氏」などの個人名が多い。(「明言」には1例もなし)

[他項目の例 女性(例)オルブライト米国務長官、ハリーナさん]

⇒(考察)発話者は、「明言」と同じように、権限を持つ者である。しかし、「明言」とは異なり、個人名が多いことから、公的な権限だけでなく、個人的な内容において発言する権限がある場合も使用することができると考察した。(例えば、姉が弟の話をするのは、姉には家族として弟の話をする権限があり、「断言する」を使用できる。)

①、②の考察から、「明言」と「断言」がどのような人物による行為であるかが分かる。

・「明言」:公的権力や権威を持つ立場の話者の行為

・「断言」:個人名で登場する人物の行為

③主張(する)

  (8)昨年のデモについて軍事政権は「民主連盟のメンバーが関与している」と主張、これまでに13人の民主連盟メンバーを含む計47人を逮捕。(1997.1.19)

発話者の特徴:組織(企業、官庁や国家、~側)が多い。(例)全日空、大蔵省、県側

       ①、②、④に比べて女性が多い。(例)女性、~さん

⇒(考察)個人よりも組織の方が、権利を主張し、「自分の意見を言い張る」ことが多いため、発話者は組織が多いのではないかと考察している。

④強調(する)

  (10)自民党の山崎拓前政調会長は28日、佐賀市のホテルで講演し、総裁選について「総選挙で勝敗のカギを握る無党派層を取り込むため、政策ビジョンを示す必要があり、その場が総裁選だ」と強調した。(1999.8.29)

発話者の特徴:男性が圧倒的に多い。(例)首相、~氏、会長

⇒(考察)「強調」は、「強く主張する」という意味である。「主張」のときは、女性が多かったが、「強く」という意味が加わるだけで、女性の割合が低くなる。これは性差の表れではないかと考察している。

 ①から④をふまえて、新聞における発話主体の多くは、最高の地位にいて大きな権限を持つ人物や国民の生活を支配する権限を持つ国や官庁であると分かり、男性が多い点は、そのような場には女性よりも男性が多いからではないかと推測しています。このことから、筆者は、ジェンダーとは無関係に思える語も、ジェンダーに影響されていると考えています。

 この論文で興味深いのは、性別関係なく使用できるはずの語を使用する際に、無意識のうちに性別の差が出ているのではないかという視点です。言葉には想像以上に性差が表れていることが分かりました。この論文を読んで、「若者言葉」も「若者」と一括りにしていますが、男女で差が見られるのではないかと気づかされ、卒業論文のテーマの候補の一つにしたいと思いました。

 新聞は、筆者も述べているように、男女が同じ割合で取り上げられているとは言えない点に加え、男女に限らず取り上げられる人物の系統にも偏りがあると考えられます。更に、現在は、1990年代から2000年代よりも、ジェンダーについて意識が変わっている点とインターネットが普及した点から、現在の状況、そしてTwitterやブログなどのインターネット上での状況を調べる必要があると感じました。

日本語オノマトペ語彙の語源について

こんばんは。風邪で寝込みながらこの文章を打っています。夜ゼミ3年の平村です。
今回は以下の論文の要約です。

角岡 賢一(2004)「日本語オノマトペ語彙の語源について」
『龍谷大学国際センター研究年報』第13巻、pp.15-36

オノマトペは基本的に擬音語と擬態語からなり、典型的に一般語彙とは異なる独自の語源を持っています。しかし、実際に発せられた音を模した擬音語と違って、擬態語は様態を表しているので、語源と表現形式の関係が希薄になってしまいます。
この論文では名詞や形容詞・動詞・形容動詞などの「実詞」から派生したオノマトペを「境界オノマトペ」と定義し、一般語彙を語源としないオノマトペを「真正オノマトペ」と定義しています。
また、角岡(2002)から「オノマトペ標識」とされる以下の5点を取り上げて考察しています。

反復、「り」、促音、撥音、母音の長化

しかし、角岡はこの5種のオノマトペ標識について「オノマトペ語彙に限って適用されるのは「り」のみである」と指摘しています。

例:反復
名詞:ひとびと、木々、家々
形容詞:くろぐろ<くろい、しらじらしい
形容動詞:ほのぼの<ほのかだ、はるばる<はるかだ
副詞:とてもとても、ただただ
感動詞:あれあれ、おやおや、やれやれ

反復することによる意味合いは異なってくるが、これらのような語から「境界オノマトペ」となる語が生じる可能性があるとしています。
さらに、以上の例から実詞とオノマトペについて以下のような図が成り立つとしています。

境界オノマトペ
――――――→
   実詞       オノマトペ
←――――――
逆成

ここで指摘されている逆成というのはオノマトペ「ころころ」から動詞「ころがる」が生成されるといった例のことです。

今回の論文について、オノマトペだと思っていたものでもこの論文では境界オノマトペとして扱われるものがあり、自分の取り上げているオノマトペが本当にオノマトペとして扱えるのかと考えさせられるきっかけになりました。現在、多義性について調査していますがこのような別の視点からオノマトペを見つめなおすことで卒論完成の足掛かりになってくれると思います。

就活も近いですがなんとか2足のわらじで頑張りたいと思います。

【参考文献】
角岡 賢一(2002)「日本語オノマトペ語彙の接辞」
『龍谷大学国際センター研究年報』第11巻

敬語についてのまとめ

昼ゼミ3年の石川です。提出がおそくなってしまい大変申し訳ありませんでした。さて、就活が始まって二ヶ月が過ぎました。就活をしていると目上の方と話す機会が増え、今まで以上に敬語の使い方が問われていると感じます。そこで今回は敬語について改めて調べてみることにしました。以下論文のまとめです。

私は伊藤悠里の「敬語表現」についてまとめた。この論文は日本人におけるホンネとタテマエと敬語との関係、敬語とは何か、これからの敬語との付き合い方について主に述べられている。
1.ホンネとタテマエとは
「ホンネとタテマエ」。このことばほど日本人がよく使う言葉はない。これほど曖昧な表現を使うのも日本人の特徴である。「日本人の特徴は常に曖昧である」と言われるのは今に始まったことではない。もともと日本人は、白黒決着をつけず、言葉のぶつかり合いを避けることを良しとしてきた。曖昧という表現方法をとることで自分の意見をぼかし、自分が傷つかないようにすることができるし、同時に相手の同意を求めた形を作ることで、相手の顔を立てることができる。これは新しい敬語の表現の形であるという言語学の分析もある。たしかに他人を立てて他人が受け入れやすい表現をしながら自分の希望を通していく。これは敬語の役割と一致するところがあるかもしれない。
2.敬語とは
敬語は「敬意」や「丁寧さ」の表現方法だといわれる。敬語を使うことでその場、その時に応じた敬意を表す意図があることを表現している。敬語は一般的に「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三つである。さらにこれらの基礎的な区別として敬語の種類は「話題の敬語」「対話の敬語」に分けられる。言葉は一般に、話し手と聞き手とがあって成り立つものである。話し手が聞き手に述べる話題となるものは話し手聞き手以外の第三者のことであったり、世の中のいろいろなことであったり、さまざまである。どのような内容であっても話し手が聞き手に丁寧に話そうとすれば「です、ます」が使われる。「です、ます」はしかるべき人物であろうが、犬や猫、食べ物の話であろうが使うことができる。つまり、話し手と聞き手が作る「対話の世界」において、話し手が聞き手に丁寧に述べようとすれば「話題の世界」に関係なく、「です、ます」は使われるのであり、これを「対話の敬語」と呼ぶことができる。一方、尊敬語、謙譲語は、まさに話題に応じて使われる敬語なのである。例えば、先生の話をするときは「なさる、いらっしゃる」などのように、尊敬語を使って「上」に待遇するが、自分の話をするときは「いたします、参ります」などのように謙譲語を使って「下」に待遇する。つまり、尊敬語や謙譲語は話題に登場する人物に関係する「話題の敬語」と言える。
3.これからの敬語
私たちは日々の社会生活の中で敬語に支配されているところがとても多い。それによってお互いの社会生活が円滑で平和になっているといえる。なぜなら敬語は人の感情を刺激する要素を持つからである。敬語は人間関係を穏やかに保っていくための安全弁をはたしている。他の多くの国ではいろいろな民族が共存しているから個人個人が自己主張することで社会が成り立つ。日本は多くの民族はおらず、しかも四方を海で囲まれた国だから、衝突もなくそれぞれが自己主張しなくても社会が成り立つ。それゆえにホンネとタテマエを作る必要があった。そして、日本語にホンネとタテマエがあるから敬語は存在する。このように考えると敬語は日本人として自分自身のためにも、また、他人との人間関係のためにも、身につけなければならない手段の一つであるが、それ以前に必要なのは、自分を高めようとする心である。ゆとりのある生活の中で、敬語は豊かな表現として楽しまれ、尊敬することで相手を美しくし、丁寧な言葉を使うことによって自分をも美しくする。敬語は日本人にとってなくてはならない表現方法なのである。

敬語は日本人特有の表現で日本の立地、国民性が大きく関係していることがわかりました。就活が本格化し、これから面接などをすることが増えてきます。今回学んだことを活かし、面接官によい印象を与えられるようにしていきたいと思います。そして適切な言葉遣いができる大人になりたいです。

少女漫画『ライフ』における「女ことば」の使用について

 昼ゼミ3年の石井です。提出が遅くなって申し訳ありません。

 さて今回は、高橋すみれ(2009)「悪女の「役割」 少女マンガ「ライフ」にみる少女の「女ことば」」を紹介します。

 この論文は、すえのぶけいこによる少女漫画作品、『ライフ』を題材に、フィクション内において「女ことば」を使用するキャラクター、安西愛海がどのような人物として描かれ、また、どういう立ち位置を占めているかを検討した論文だ。
 佐竹(2003)においてフィクション内の「~だわ」「~のよ」といった「女ことば」は、「やさしい、おとなしい、かわいい、あるいは、上品な女」などの望ましい「女らしさ」についてのイメージを刷り込んでいるとされている。しかし、『ライフ』の愛海はいじめを始めた頃から「女ことば」を使用するようになっており、佐竹(2003)で示されているような従来の「女ことば」使用とは、その意図が異なっているように思われる。

 『ライフ』は学校におけるいじめを題材にした漫画作品である。その登場人物であり、この論文で取り上げられているキャラクター、安西愛海は、はじめ主人公の友人であった。しかし彼女は途中で主人公が彼女の恋人を横取りしようとしていると勘違いし、主人公をいじめるようになる。この、主人公に対して攻撃をするようになった頃から、愛海は「女ことば」を使用し始める。
 作中で主人公を攻撃する手段において愛海は、直接主人公に手を下すのではなく、さながら自分が主人公にいじめられているかのように演出し、主人公を間接的に追い詰める方法をとっている。つまり、主人公をいじめている愛海は二面性をもつ登場人物なのだ。
 愛海は元々、「~だもん」「~なの」といった、「女ことば」の中でもひときわ「可愛らしさ」や「甘え」の強調されるような、いわゆる「女の子ことば」を多用した話し方をしていた。またそれは、主人公をいじめるようになった後でも、いじめの加害者としての残酷で攻撃的な一面をあらわにするとき意外は、基本的に変化していない。一方、主人公をいじめる策略家としての一面を見せる際には、「女ことば」に言葉づかいが切り替わっている。
 しかし、物語が進むと、愛海のそのような化けの皮が剥がされ、今度は一転して、愛海がいじめられる立場になってしまう。皆から無視や非難をされるようになった愛海は、「女ことば」を次第に使わなくなり、感情を荒げた際には粗暴ないわゆる「男ことば」を使っている。
 つまり、愛海の「女ことば」使用は、「策略をめぐらし主人公を陥れ、間接的にいじめる残虐な策略家の愛海」という一面と強く結びついた言葉づかいであったのだ。これは、「大人の女」を表す一種の「役割語」だとも言える。

『ライフ』における「悪女」の「女ことば」使用ついては、かつて別の論文で見かけたことがあったのですが、この論文を読んでより詳細を知ることができました。余裕があれば、「女ことば」が「悪女」を示している例が女児向けアニメにもあるかどうか、またそれは経年変化しているのか、調べてみたいと思います。

オノマトペの意味縮小:「わくわく」を例に

みなさんおはようございます。夜ゼミ3年の平村です。提出が遅れたことに対して土下座したい思いでこの要約を書いております。早くネット回線復活しないかな。
しばらくこの記事は晒されることが確定していると思うので早めに切り上げて本題に入りたいと思います。
今回は以下の論文についての要約です。

中里 理子(2003)「オノマトペの意味縮小:「わくわく」を例に」
『上越教育大学研究紀要』 第23号、pp.842-830.

この論文では以下の例を挙げてオノマトペ「わくわく」の意味縮小について論じています。
(1)小萬も何とも云い得ないで、西宮の後に垂頭いて居る吉里を見ると、胸がわくわくして来て、涙を溢さずにはいられなかった。(廣津柳浪「今戸心中」明治29年)
現代語の「わくわく」の意味をとってみると、
(A)期待・喜び・楽しみといったプラスの感情を表す。
(B)これから訪れるであろう事態に対して抱く気持ちを表す。
の2点を満たす時に使われるものであり、(1)の場合だとどうにも違和感を感じてしまいます。これは、(1)の「わくわく」にはプラスではなくマイナスの感情があるからだと中里は指摘しています。
(1)の例が特別なものなのかを確かめるため、中里はさらにいくつかの例を取り上げています。

(2)彼は忌々しそうにかつ刃を以て心部を突き通される苦しさを忍んだかと思うような容子でわくわくする胸から声を絞っていた。(土 明治43年)
(3)怖いやうな、悲しいやうな氣持ちがして、逐出されたらば、實家の嫁さんが、何な顔をなさらう、其れもつらし、と狭い胸一杯になれば、気もわくわく(ありのすさび 明治28年)
(4)あ、阿父は何處に何して居るだァ。と見なさる通りの私ァ二才だ。馴れねぇ事で只わくわくするより外にはねえだ。(観音岩 明治36年)
(5)而して自分も愈よ東京の書生生活に入るのだと思ふと、胸のみわくわくする。(ぐうたら女 明治42年)

(2)はその時その場面で起きた出来事に対する感情を、(3)は現在の怖さに加えて追い出された場合のつらい状況を考えて落ち着かない気持ちを表しており、いずれもマイナスの感情です。
対して(4)は過去から現在における「なれないので落ち着かない様子」を表しており、プラス・マイナスの概念からするとどちらでもない、中立的な意味でつかわれている例です。
そして(5)は現代語の意味と同じようにこれから起こる出来事に対して期待感を抱いており、プラスのイメージを持っています。

以上より昔の「わくわく」は
(C)プラス・マイナス・中立的にかかわらず心の動揺全般を表す。
(D)過去から現在に及ぶ出来事や将来の出来事に対して抱く感情を表す。
という意味特徴を持っていたと考えられ、プラスの感情だけではなく中立的・マイナスの感情に対応していた点、将来の出来事に対する感情に縛られない点で現代語より意味領域が広かったと中里は結論付けています。

すると次に出てくる疑問は「わくわく」が意味縮小した原因です。
これに関して中里はマイナスの意味を持つ擬情語の多さに原因があるとしています。
擬情語の分類
以上のように明治・大正期だけでもマイナスの意味を持つ擬情語はかなりの数が存在し、「わくわく」はプラスの意味を補うために使われるようになったと結論付けています。

語彙は年月を経るにつれて意味が拡張・縮小していきますが、今回取り上げられていた「わくわく」のように言葉が増えすぎたことで意味が縮小するというのはオノマトペらしい意味変化だと思います。他の言葉にはない変化を見せてくれるオノマトペを研究し卒業論文の完成までこぎつけたいと思います。

上下関係が会話管理に与える影響–情報提供の「〜んですね」「〜んですよ」を中心に

昼ゼミ2年の青島です。提出が遅れてしまい申し訳ございません。
森メタルのほっこり感で寒い冬も乗り切れそうです。

今回は、生天目知美(2007)『上下関係が会話管理に与える影響–情報提供の「〜んですね」「〜んですよ」を中心に』をご紹介いたします。

日本語の会話において、会話参加者に上下関係がある場合、敬語やデス・マス体などの文体選択だけではなく、会話の展開にも影響を及ぼすと考えられている。
筆者は、上下関係のある会話について、目下の話者の発話権管理(発話順番のコントロール)に注目した。
発話権管理の研究において情報提供は、次の話者が担うべき役割や発話者が明確にならないことからあまり分析されてこなかった。しかし、メイナード(1993)によって、情報提供の文末に「ね」「よ」が付加されることで後続する発話の傾向に違いがあることが指摘された。この論文では特に、その後の発話の展開に影響を与えると考えられる、話者が既に認識した事態を聞き手に提示する「のだ」を含む文を分析対象とした。以降、「のだ」文に「ね」「よ」が付加される形式を、「~んですね」「~んですよ」と表記する。

分析には、初対面で上下関係(学年差)のある、女性で同学部の大学生による、5回分の自由な会話を用いた。
この分析資料から、分析対象の「~んですね」は44例、「~んですよ」は84例収集された。
「~んですね」は9割以上目上の話者が、「~んですよ」は7割程度目下の話者が使うように偏りが見られたことから、目下の話者は「~んですね」の使用を避けている可能性がみられた。
従来「ね」「よ」の選択に影響があるとされてきた情報所有量の観点からは、聞き手が当該情報を知らないことを示す「よ」は回避され、聞き手が当該情報を知っていることを示す「ね」が多用されると予想されたが、この反対の結果となったことから説明できない。
会話の主導権を持つことは聞き手に対する支配的立場を示すと考えられ、この点で待遇と関係があると考えられたため、会話の主導権の観点からの説明を試みた。

「~んですね」と「~んですよ」の後続部分で観察された発話権の管理パターンの特
徴を観察した結果、「~んですね」は、聞き手が最小限の相づちを打つことが多く、話し手がターンを保持し発話を続ける傾向が強い。一方、「~んですよ」は、後続する聞き手の反応や話し手のターン保持のあり方が一様ではなく、基本的には発話権管理には中立的で非関与的であるということがわかった。

次に、「~んですね」「~んですよ」の発話権管理の特徴が談話の展開とどのように関連しているかに注目し、上下関係との関わりを考察した。
目上の話者は話題を導入し展開していく際に「~んですね」を用いながらターンを保持してコントロールしていき、話題の展開上強調したい内容については「~んですよ」を用いて聞き手のターンを誘発する場面とを使い分けていた。一方目下の話者は、さまぎまな展開上の場面で「~んですよ」を用い、聞き手のターンを誘発して会話の展開に聞き手を取り込む様子が観察された。これは、目下の話者も「のだ」文によって話題導入をしたり応答したりすることで、話題の展開に貢献していることを示す。
話題管理の側面では主導権を取りつつ、発話権管理の側面ではより消極的、間接的な態度を示すことが「~んですよ」によって可能になると考えた。

以上のことから、発話権管理において、従来主な指標となっていた情報要求(質問)の会話の他、情報提供の会話においても上下関係の力が見出せることと、「ね」と「よ」の選択は、聞き手と話し手の情報所有量の差によって行われる他にも、会話の主導権を握るという別の側面も選択の要素となりうることがわかった。

この論文を読んで、自分が普段見聞きする「~んですね」の様子を振り返ったところ、この結果は他の会話の場面においても当てはめられることなのだろうか、という疑問を抱きました。
例えば、接客の場面での会話において店員が客の話を受けて「そうなんですね。(間) それでは、この対策なのですが…」や、「こちらの方が安いんですね。(間) で、使いやすくて…」というように、「~んですね」を文末に置く発話を頻繁に耳にします。このことから、「~んですね」が、話し手がターンを保持する役割を持つという一面については納得することができました。
しかし、この場面で言えばお互いに初対面で客が目上、店員が目下の関係になることが多く、論文の分析資料の状況とも近いものがありますが、目下の話者は「~んですね」の使用を避けるという論文の結果には一致しません。
それまで私は「ね」「よ」の選択といえば、「自分が持っている情報量が~」「相手の共感を引き起こすための~」といったような言葉が真っ先に思い浮かんでいたのですが、発話の主導権と話者の上下関係という別の観点の分析を知り、新たな選択の方法が導き出せるのではないかと思いました。
また、このように今回の結果に合わない点もあるため、他の分析資料によってはまた違う結果と考察が導き出されるのではないかと思い、興味を持ちました。

参考文献
生天目知美(2007)「上下関係が会話管理に与える影響–情報提供の「〜んですね」「〜んですよ」を中心に」『日本語と日本文学 』45号 pp.1-18

終助詞「よ」「ね」の「語りかけタイプ」と体の動き

 こんにちは、昼ゼミ3年吉田です。提出遅くなってしまい大変申し訳ありません。いよいよ就活生になってしまいました。適度な緊張感を持って過ごしていきたいと思っています。
 今回私は、研究テーマとしている下降調の終助詞「わ」に関連して、終助詞「よ」「ね」をイントネーションの点から着目した論文を読み、これを紹介します。今村和宏『終助詞「よ」「ね」の「語りかけタイプ」と体の動き』(一橋大学『言語文化 48, 37-51, 2011-12-25』)です。

 「ね」は話し手と聞き手の情報・判断の一致、「よ」はその不一致(対立)を前提にするとする見方や、「ね」は話し手が聞き手に判断や意見の共有を確認・要求し、「よ」は話し手が聞き手の知らない(認識が不十分な)情報や判断を提示するという立場などが広く認められています。これが一般的な説明です。しかし、今村はその説明には当てはまらない場合の例文を挙げて、イントネーションに注目しつつそこで用いられる「ね」「よ」の持つ意味について述べています。
 まず、次のような例文が挙げられています。

   (1)A:ケーキ、まだできないんですか。
      B①:もうできています。     B②:(あっ、)もうできていますね↓。
      B③a:もうできていますよ↓。   B③b:もうできていますよ↑。

 B①は標準的な平叙文の下降イントネーションなら単に「もうできている」という内容をありのままに述べているのに対し、B②は質問を受けて探索した結果、「もう焼けている」という事実を発見しそれを聞き手と共有しています。さらに、その情報を言い切りの形で相手に突きつける下降調のB③aに対し、上昇調の「よ」をともなうB③bは同じ情報を相手に差し出して何らかの反応を促しているような余韻を醸し出します。このように1つの客観的事実に対して少なくとも4つの選択肢が挙げられることを考えれば、客観的事実関係が「よ」や「ね」の使用・不使用を決定するわけではないのは明らかであるとし、今村は次のような例文を挙げています。

   (2)A:あの人の考え方、変ですね。
      B:変ですね。まったく理解できません。
   (3)A:あの人の考え方、変ですよ!
      B:変ですね。まったく理解できません。

 例文(2)における「ね」は先に述べた説明のその通りに用いられています。(3)について、ここで想定される文脈は、多くの場合、Bが同意してくれるかどうかわからない状況でA が自分の判断をストレートに相手に知らしめるというものです。その場合、最後に上がるイントネーションの「よ↑」になります。しかし、Bの認識が不十分だと思わなくても、A は「よ」が使える場面が想定できるといいます。その場面とは、認識の内容も度合いも一致しているとわかっていても、それでも自分の考えを相手にぶつけたいと思ったときのことです。その際、下降調の「よ↓」がつきます。あの人の考え方が変だという判断を感情的に言っているのです。このように、話し手の感情の高ぶり等があるとき、意見を共有していても「よ」を使いたくなるとされています。
 なお、今村(2011)によれば、「よ」には「よ→」「よ↑」「よ↓」の三つのイントネーションがあります。「よ→」「よ↑」では、ストレートに自分の意見を差し出す気持ちがあります。また、相手の反応を待つ(促す)ような様子があります。これらに対して下降調の「よ↓」の場合は、相手に言い切りのコメントを差し出すというニュアンスが含まれてきます。また、不満げな様子を含んだり、吐き捨てるような言い方になったりするといいます。
 「ね」にも同様に「ね→」「ね↑」「ね↓」があり、「ね→」は相手の共感を抱え込むような、「ね↑」は相手の意向をしっかり確認するようなニュアンスがあります。そして、「ね↓」は、言い切りの印象を醸し出します。また、「怒っている」とか「不満な感じ」を伴う場合があります。

 このように、この論文では、終助詞「ね」「よ」やそのイントネーションの選択は、話し手の感情に左右される場合があることを述べています。これらは下降調の終助詞「わ」の研究に、大変参考となると考えました。ただしここではニュアンスについて多く述べているので、これを参考に、自分なりに発話意図をしっかり実証できる研究を展開していかなくてはならないと感じました。音調のさまざまな度合いによって聞き手が受ける印象がどのように変化するかを明らかにしていきたいです。

【参考文献】今村和宏(2011)『終助詞「よ」「ね」の「語りかけタイプ」と体の動き』(一橋大学『言語文化 48, 37-51, 2011-12-25』)

コーパスを使った述語否定形「ません」と「ないです」の使用実態調査

こんばんは。夜ゼミ3年の有瀧です。
12月より完全に頭を受験モードに切り替えていて課題を忘れておりました。課題提出が遅くなったことを深くお詫び申し上げます。

今年度秋学期、私は述語否定形「-ません形」と「-ないです形」の使い分けについて調査を進めてきました。調査の中でも特に書き言葉と話し言葉による使い分け(その中でも特に書き言葉を中心に)を調査していました。
今回紹介する論文はその使い分けの中でも「改まり度」に着目した論文だったので、自分の考察と比較するために温めておいたものです。

坂野永理(2012)『コーパスを使った述語否定形「ません」と「ないです」の使用実態調査』留学生教育 (17) 133-140

日本語の丁寧体の述語否定形には「-ません形」と「-ないです形」の2つの形がある。この2つの形は、日常生活において混在しており、言語使用場面でどちらが使用されているかについての研究もいくつかされているが、これらの研究は各々限定されたデータを使っているため、適用範囲も限られている。そこでこの論文では「国会議事録」、「Yahoo知恵袋」、「書籍」の3種類のコーパスを使用し使い分けについて調査を行っている。

まず「-ません形」と「-ないです形」の先行研究の結果を見ると、新聞を調査した田野村(1994)、小説を調査した上原(2003)では「-ません形」の使用が「-ないです形」より上回っている結果が出ている。一方で会話データを調査した野田(2004)、小林(2005)では「-ないです形」の使用が「-ません形」より上回っていた。この結果より「-ません形」と「-ないです形」の使用割合は書き言葉においては「-ません形」、話し言葉においては「-ないです形」が使用されるのではないかと考察されている。
また池田(2010)では1990年以降に出版された日本語教材に焦点を当て調査をし、イ形容詞は「-ないです形」にのみ接続することがみられ、ナ形容詞は「-ません形」に多く接続することが述べられている。

先行研究からは「-ません形」、「-ないです形」の使用は媒体により異なることが明らかになっているが、その使い分けは単なる「書き言葉」「話し言葉」という範疇では説明できない場合もあることが示唆されている。そこでこの論文では川村(2004)の「公的な場、改まった雰囲気であれば、それ相応のかたい表現が用いられ、私的な場、うちとけた雰囲気であればそれにあったくだけた表現が用いられる」との主張から「改まり度」という要因に着目し調査を行っている。

「国会議事録」、「Yahoo知恵袋」、「書籍」内の「-ません形」と「-ないです形」を接続する品詞別に調査を行ったところ、総数からは3種類全てのコーパスにおいて「-ません形」の使用率が圧倒的に高かった。
品詞毎にみるとイ形容詞が前節する場合は「-ないです形」は「書籍」では少なく、「Yahoo知恵袋」では多い。一方「-ません形」は「国会議事録」、「書籍」で多いが「Yahoo知恵袋」では少ないという結果になっている。
ナ形容詞、名詞では「-ません形」の使用が多いが「国会議事録」、「書籍」では多い反面、「Yahoo知恵袋」では使用率が減っているというばらつきのある結果になった。
動詞でも「-ません形」が使用率の大部分を占めていたが、「本動詞ある」(例:ここに資料はありません/ないです)とそれ以外の動詞で分けたところ「本動詞ある」は「-ないです形」の使用率が高いことが判明した。

この調査により先行研究で主張されていた書き言葉・話し言葉による使い分けは話し言葉である「国会議事録」の結果から支持するものではなかった。また改まり度が高い「書籍」は「-ません形」が多く、改まり度が他のコーパスと比べて低い「Yahoo知恵袋」は「-ないです形」が多かった。このことから丁寧体否定形の使い分けは「改まり度」の違いによって引き起こされると考察している。

秋学期を通してコーパスの使い方の難しさを学んだため、これが正しいとは自分の目で確かめないと言えませんが違う意見の論文を読むことはとても新鮮でした。

毎日寒い日が続きますが、風邪などに気をつけてお過ごしください。

「い形容詞+ナイ」の韻律的特徴について

昼ゼミ3年の阿部です。提出が遅くなり、誠に申し訳ございません。以後このようなことがないよう、気を付けます。

 さて、今回私が紹介する論文は以下のものです。
湧田美穂(2003)「い形容詞+ナイ」の韻律的特徴-アクセント・イントネーション・持続時間の側面から-」『早稲田大学日本語教育研究3』pp.125-139

 「カワイクナイ」という発話は、「かわいいとは思いません。」と否定を表明する意図で発話する時と、「かわいいと思いませんか?」と同意を求める意図で発話する時があります。これらは言語形式が同じで、韻律的要素だけによって区別されることから、日本語学習者の混同を招きやすいと涌田は述べています。そこで、その問題解決の第一歩とし、「い形容詞+ナイ」の発話における「否定表明」・「同意求め」の両表現意図の音声的実現について、20代母語話者の音声資料を基に、アクセント・イントネーション・持続時間の各側面から考察しています。

 実験の調査協力者は、20代の日本語母語話者16名(男8・女8)です(全て東京母語話者に限定)。まず始めに、調査協力者に、親しい友達同士が話している場面を示した資料を見せ、場面と会話の状況、及び話者の表現意図を十分に理解してもらいます。そして、調査対象発話を含む台詞部分を発話してもらい、その発話を録音したものを、音声資料として分析の対象とします。以下、実験の各分析項目をまとめます。

・ アクセント(「形容詞+ナイ」のアクセントを、語幹と「ナイ」の2単位構成とする)
 「ナイ」は「ナ」にアクセント核がある1型が基本であり、「否定表明」の発話においても、基本のアクセントパタンが用いられています。一方、「同意求め」の発話においては、基本のアクセント型に変化が生じる場合が多く、この変化の要因としては、問いかけの上昇イントネーションが被さることが挙げられます。特に、「ナイ」のアクセント核の有無が両者の違いを顕著にしており、アクセント核がなくなっている「同意求め」の発話の場合、語幹アクセントの核もなくなっている発話が数多く観察されています。

・ イントネーション
 「否定表明」は文末で下降、「同意求め」は文末で上昇するという相違点が観察できます。「否定表明」においては、文末に向けて次第に下降するイントネーションが被さることにより、「ナイ」のアクセント核が弱まる現象が主流として見られます。「同意求め」においては、上昇といいつつも、疑問文に典型とされる1オクターブ相当の上昇が見られない発話が多いようです。主流を占めたものは、新型の平坦な上昇パタンであり、田中(1993)が指摘した文末で「とびはねて」いる現象よりも、むしろ平坦な上昇イントネーションが語のアクセント核をも破壊し、平らに被さるという特徴が顕著に見られました。
 日本語ではイントネーションはアクセントを壊さず被さるものであると言われているにも拘らず、「同意求め」のイントネーションが「ナイ」及び語幹のアクセントを破壊して平らに上昇していくという点は注目すべき新現象である、と涌田は述べています。

・ 持続時間
 「否定表明」と「同意求め」とで顕著な時間差は観察されなかったことから、両者の表現意図の区別において、主要素とはなっていないと分析されています。

 私は、「〜ナクナイ?」をテーマにしており、今後は、異なったイントネーションで「ナクナイ?」を発話した場合、聞き手が発話から受け取る表現意図も異なってくるのか、という疑問について考察していきたいと考えています。涌田の論文を読んでからは、それに加えて形容詞のアクセント型も考慮して実験いくことが望ましいとも思うようになりました。また、昨今の東京の形容詞アクセントにおいて指摘されている、平板型(「赤い」など)と、起伏型(「白い」など)の区別がなくなりつつある現象にも着目できたらと考えています。

【参考文献】
・湧田美穂(2003)「い形容詞+ナイ」の韻律的特徴-アクセント・イントネーション・持続時間の側面から-」『早稲田大学日本語教育研究3』pp.125-139
・田中ゆかり(1993)「「とびはねイントネーション」の使用とイメージ」日本方言研究会第56回発表原稿集