「ません」と「ないです」の違い~ポライトネス理論から~

こんばんは。昼ゼミ2年の野津です。寒暖差が激しい日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回私が紹介する論文は、伊藤奈津美(2012) 「動詞の丁寧体否定形式 ”ません””ないです”-ポライトネス理論からの検討-」 『鈴鹿国際大学紀要』No.19 pp.65-79です。

筆者は、現代日本語にある動詞の丁寧体否定形式として規範とされる「〇〇ません」と、規範からはずれた形式とされる「〇〇ないです」の2形式について、「〇〇ないです」には話し手が聞き手に示す”familiarity”(=話者が相手に対して、好意や親密さを示す、あるいはそれらを示しているようにみせる機能)があるとし、反対に「〇〇ません」はもともと備わっていた話者と相手との心理的距離を遠ざけるという機能があるという仮説を立てています。また筆者は、丁寧体否定形式を扱った先行研究について、福島・上原(2001)、小林(2005)、野田(2004)を挙げ、これらには「ないです」の使用状況、使用場面での改まり度への言及はあるものの、”否定”に対する差異や具体的な2形式の機能が明らかでないこと、またBrown&Levinson(1987)における、日本語では1つの発話において1つのポライトネス・ストラテジーを適用するという研究に問題があると主張しています。

そこで筆者は2形式を使用する際の話者の意識に着目し、「〇〇ません」および「〇〇ないです」の”否定”に対する差異や、どのような機能があるのかについて調査を行いました。

調査1では、大学3、4年生、および大学院生の日本語母語話者70人を対象に実施されました。(以下調査項目)

・会話の相手別、動詞否定表現の使用状況の調査→会話の相手として先生、先輩、友達、知らない人、客を設定し、会話における否定表現として「〇〇ません」、「〇〇ないです」、「〇〇ない」のうち、どれを選択するかを調査

・会話の中での動詞否定表現形式に対する使用意識を多肢選択方式、複数回答可で調査→選択肢:上品、丁寧、フォーマル、カジュアル、柔らかい感じ、硬い感じ、相手との距離が近い、相手との距離が遠い、その他(記述式)

調査2では、調査1より詳細な場面設定を行い、新たに大学3、4年生の日本語母語話者33人を対象に調査を行いました。(以下調査項目)

・会話の相手として知っている先生2人、知らない人3人を設定し、会話の相手別、状況別、動詞否定表現の使用状況を調査(「〇〇あません」と「〇〇ないです」のどちらを使用するか)

・会話の中での動詞否定表現形式に対する使用意識と2形式の相違点(記述式)

これらの調査により、筆者はまず、「〇〇ないです」は丁寧語「です」を用いて、相手のネガティブ・ポライトネスを満足させつつ、話者自らが”familiarity”を示すポジティブ・ポライトネスを用いていることを主張しました。

また、「〇〇ません」と「〇〇ないです」の違いについて

・「〇〇ません」に対する意識調査の回答が「丁寧」、「フォーマル」、「距離が遠い、「硬い」、「冷たい」、「イヤな感じ」であったことや、強い主張や否定の意識があったこと。

・一方で「〇〇ないです」に対する意識調査の回答が「柔らかい」、「優しい」、「親しさ」であったことや、強い主張や否定の意識があったこと。

これらのまとめから、筆者の従来の主張である「〇〇ません」=相手との心理的距離を取るという仮説を裏付けることができたとしています。

しかし、この論文にも書いてある通り、意識には個人差がありますし、実際に「〇〇ないです」の方が丁寧であると感じている調査結果もありました。私が面白いと思った点は、調査方法と、「〇〇ません」、「〇〇ないです」について改めて考えさせられたという点ですが、あらゆる場面を設定し、調査していくことが必要であるとも感じました。

補文標識「の」「こと」の共時的観点からみた使い分けについて

こんにちは、昼ゼミのフェリックスです。提出が遅くなって本当に申し訳ないです。昨日は雪が振りましたね。雪が積もるとテンションが上がります(寒いのあまり好きじゃないけど、インドネシアにはないので、雪を見たら、多分みんな普通にテンションあがります(笑))。3年生の皆さんは就活で忙しそうですね。僕は大学院に行く準備を始めるところです。一緒に頑張りましょう。

さて、今回僕が紹介する論文は秋本瞳(2006)『補文標識「の」「こと」の共時的観点からみた使い分けについて』です。

秋本は今まで紹介してきた論文と少し違った観点で「の」と「こと」の使い分けを説明しようとしています。今まで紹介してきたものはだいたい「の」と「こと」の本質を見いだそうとしたが、秋本はそれを無視し、「命題部分に「gap」があると認められる場合や語彙的に決まっている表現などを除くと、基本的に「の」「こと」のどちらも用いることができるのではないか」といった仮説をたて、この仮説が今回集めた用例(「CASTEL/J BOOKDATA: CASTEL/J CD-ROM2000」の書籍データと「小松左京コーパス」の対話、座談会形式ファイル)にあてはまるかどうかを検討しました。

命題部分に「gap」があると認められる場合として、以下のような例文が挙げられます。
(1) 前人未到の七連覇を達成したのは、今テレビに出ているこの力士だ。
(2) 今回優勝した の/*こと は、前回優勝できなかった。
(1)’今テレビに出ているこの力士が前人未到の七連覇を達成した。
(2)’今回優勝したチームは前回優勝できなかった
また、語彙的に決まっている表現として、
(3) 今回の景気調整過程は大きく3つの局面に分けて考えることができる。(文部省1993)
(4) 3阪神工業地帯、中京工業地帯、京浜工業地帯について、工業生産額とそのうちわけを比較し、分かったことをまとめてみよう。(川田・尾藤・田邊ほか33 名1993)
(5)松本:ええ。それでぼくは小使の給与の問題で弁護して案を通過せしめたことがあった。(KS1025)

検証の結果、全体からgap があると考えられる例、「(~すること)ができる」「(~するの)を見る」など語彙的に決まった表現を除いた用例についてみると、頻度は別問題として、それぞれ「の」「こと」を入れ替えても許容されると述べています。
(6) しかも、輸入抑制要因を取り除くことは、それ自体として黒字を縮小させる要因にもなる。 (文部省1993)
(7) 文化財保護法や古都保存法が定められてはいるが、開発と歴史的風土の保存を両立させるのは難しく、地域の課題になっている。 (川田・尾藤・田邊ほか33名1993)
(8) さいごに『荘子』を例にお引きになって、世の中をあまり機械化してしまうと人間性が貧しくなってしまうのでそれを制御することが必要だろうという問題を提起されたと存じます。 (KS0573)
(9)なぜかというと、もう一つ、深くは知らんけれども、中国文明というものがあることを知っていた。 (KS0707)
(10) つまり、ストーリー主義でちゃんとわかるように作ってしまうのが、いやだったんじゃないか、という気がする。 (KS0526)
以上の(6)と(8)は文体の影響を受けているため、交替させることが許容されないと考えられることが予想される例もありますが、これらの例文は書き言葉的表現は「こと」を好むということを示唆しているのではないかと言っています。

また、慣用的表現から「の」「こと」のいずれかが用いられることが決まっていると考えられる例も見られ、これらを「(~すること)ができる」「(~するの)を見る」のように「語彙的に決まっている表現」として扱っていいとしています。
(11) 用途別にみると、商業地では、オフィスの供給過剰等を背景に東京都区部中心部で著しく下落しているのをはじめ、〔後略〕。 (文部省1993)
(12)〔前略〕個を中心に考えて自分の一代以上のことは考えてもみようとしない方々にとっては無用の記述と強く感じられることであろうことは十分承知している。 (吉田1981)
(13) 安もののフロイディアンを思想界に輩出させたことをもってしても、ここ入れる必要がある。 (KS1109)
(14) 今度のオフィスができたのを機会に、秘書を集めてブレインストーミングさせた。 (KS0927)
(15) むろん気力の衰えもあるが、関節が固まるといったことによって、それまで元気だったものが、ちょっとした病気で寝込んだのがもとで、身動きのできないねたきり状態に陥ってしまいやすい。 (吉田1981)

長々と例文ばかり挙げて、本当に申し訳ないです。このようなテーマなので、たくさんの例文を挙げた方が分かりやすいかと思います。以上にあげた秋本の分類が妥当かどうかは別として、今まで見たことない変わった分類なので、今後もこれを考慮しながら(特に例文を選別する時)卒論に活かしたいと思います。

仲間意識を高める効果についての論文要約

こんにちは。昼ゼミ3年の前橋です。

先日、運転免許の試験の期限がギリギリになってしまったので、急いで試験を受けて免許を取得してきました。とりあえず一息ついたので、就活に専念しようと思っていたら、おととい、自分のメインPCのデスクトップがついに限界を迎えました。もしゼミに手頃な価格でゲーミングPCが組めるという方がいたら連絡下さい。


さて今回は、松橋『若者言葉による親密性の形成について―女子大学生の会話を例に―』(webで公開されているのですが、URLの添付が上手くいかないので、「松橋那実」と検索していただければいちばん上に表示されると思います)を要約しました。

松橋は、若者言葉特有のスピーチスタイルの特徴を調べ、様々な機能を述べた上で、若者言葉が仲間意識を高めるために関わっているとする8つの要素を挙げている。

現代の若者は対人関係の上で対等にコミュニケーションを取るのではなく、第3者的視点に立ちたいという願望や、競争(摩擦)を回避したいという願望が表れていると述べている。これがネガティブ的に極端になると、他人との関係を完全に遮断してしまうということになるが、若者の間に見られるのは、このような単純な自己閉鎖ではない。

松橋は、若者の間での人間関係について、NHKや博報堂での調査をもとに、対人関係について「積極的に関係するもの」と、「その相手と強い・濃い対人関係を持つことへの消極性」が見られるという結果をまとめている。そのうえで、松橋は、若者の発話行為は対人関係の設定に聞き手の加担を引き込む方略と考えられると述べている。

1

A あの服どうかなぁ

B 私は好きじゃないって感じ

2

A あの教授の授業楽しい?

B 超眠いみたいな

このそれぞれのBの発話は、それぞれ

「『好きじゃない』って感じの(ことばがあてはまる)服」

「『眠い』みたいな(ことばがあてはまる)講義」

というふうに解釈することができる。ここで、述べたことについて述べるメタレベルの立場に身を翻すのである。「私は好きじゃない」「超眠い」という発話によって設定される対人関係への関わり合いを、発話者は「って感じ」「みたいな」を付して転調することで間接化する。と松橋は述べている。これが、対人関係の摩擦を避けたいという意識に基づいており、仲間意識を高める効果につながっている。

次に松橋は、仲間意識を持つ効果のある若者言葉の表現方法をまとめている。


1.語彙レベルの強調表現

「超」「マジ」など様々なものがある。これらの強調語は、会話のノリをよくするためのものであり、ノリの良い会話はテンポの良い会話を生み出し、この阿吽の呼吸とでもいうような会話が仲間意識を高める要因になっている。

2.断定を避ける表現

「~みたいな」「一応」など。真っ向からの意見の対立を避ける効果がある。

3.省略表現

語を省略することによって、会話の速度向上と、それによるノリの良さを生み出している。

4.「る」言葉

「愚痴をこぼす(言う)」を「愚痴る」などと言い換えることによって会話のテンポを良くする効果がある。

5.「ラ抜き」言葉

受け身、可能、尊敬、自発の意味を効果的に表現できる。これにより、意味が不明瞭な会話を生み出さない。

6.平板アクセント表現

これは、井上(1998)で述べられている「専門家アクセント」に関係している。専門家の間では、言葉を平板化して発音する現象が見られ、それが派生し、より身近な、親しい仲で使われるようになり、その後若者の間で一般化したと考えられる。

7.尻上がりイントネーション

こちらも井上(1998)で述べられている「ネサヨ」表現のなり替わりとされている。「それでネ~」「それでサ~」「それでヨ~」といった言葉づかいはキツく聞こえてしまうから、それに代わる言い方として台頭してきた。

8.半疑問イントネーション

相手の認識を確かめるための「わかる?」などの直接的な質問を避け、丁寧な感じを与えるとともに、その質問の時間を短縮することで会話の持続性を上げるという効果を持っている。

さて、ここまで見てきて、自分が調べている「若者言葉におけるアクセントとイントネーション」でひとつの重要なファクターである「仲間意識を高める」という効果について様々な方向から見ることによって、その本質や由来などに近付けたという気がしました。自分の研究にはまだ抽象的な部分が多いので、特定の観点からだけでなく、様々な観点から考察を深めていきたいと思います。

使い慣れないPCでなぜかコピペもうまくいかなかったので、少々お見苦しい点もあるかとは思いますが、ご容赦ください。

依頼と断りにおける間接的コミュニケーション

こんにちは。昼ゼミ三年青木です。提出遅れ申し訳ありません。新年になって、就職活動が本格化しているようですが、自分らしさを大切に今度とも過ごしていきたいです。

今回は、高井次郎「依頼および断りの状況における直接的・間接的対人方略の地域比較」を要約しました。日本人のコミュニケーションにおける方略の研究です。

 日本人は直接的なコミュニケーションを嫌い、間接的な方略を好むことに対して、西洋人は直接的な方略を選好することが定評のあるステレオタイプである。日本人の国民的ステレオタイプである間接的な方略の選好は、グローバリゼーションにより時代錯誤になっている可能性がある。つまり、個人主義が日本人に浸透し、従来の他者思いのコミュニケーション習慣から、自己主張的なコミュニケーションスタイルになっているかもしれない。

本研究は、日本的と思われる対人コミュニケーション方略の特徴を国内の各地で確認できるか試みた。①相互作用相手の親密性によって行動を明らかに区別すること、②相互作用相手の地位格差によって行動を区別すること、③状況によって行動を区別すること、を各地域で等しく観察できるかを調べることを目的とし、依頼と断りの状況に焦点を当て、地域×親密性×地位格差×依頼の重大性が直接的・間接的コミュニケーション方略の選好をどのように影響するのかを検討した。

方法として、被験者は大学生410名で、北海道、千葉県、愛知県、兵庫県、福岡県で依頼に関するものと断りに関するものの二種類の質問をした。標的は、親密性の高低、地位格差の高低によって4つ設定され、また、依頼の重大性により二つの状況を設定した。そして被験者は、その依頼に対して依頼するあるいは断るにあたり、率直的および丁寧直観的の直観的方略と、婉曲的、第三者介入、煽て、および回避の間接的方略の六つの方略をどの程度使用するのか評定させた。

結果的に、地域による差は、最小限の相違性しかなく、地域間の類似性は強調され、日本人の対人コミュニケーション方略の選好は全国的に等しい。状況依存性においては、断りと依頼の主効果がほとんどの方略に見られ、これらの対人方略の使用は、状況に応じて異なることが推測でき、状況の要因が重要視されることが明らかである。また、依頼のコストにより、方略の使用を意識していることがうかがえ、これも日本的な特徴の一つといえる。

おそらく最も「日本的」とされるのは、相手の親密性による行動の区別であるが、身内には「甘え」が許されるため遠慮せず、他人には「他人行儀」を見せることが真髄にある。結果、全方略に親密性の効果があり、各直接的方略はない集団により選好され、各間接的方略は外集団に好まれることが明らかとなった。また、地位の格差について、同位者の者に対しては率直にコミュニケーションを行い、高位者の者には葛藤が起こり得る状況をさけるか、それとも相手の機嫌をとるといった行動を選択しがちである。

全般的に、各地域は等しく「日本的」とされる対人行動規範を遵守している様子が伺えた。本研究は、対人コミュニケーション方略において「日本人らしさ」を実証的に検討し、国内各地でこうした特徴を確認できた。

以上が要約になります。日本人のコミュニケーション方略を改めて、実証的に検討され、依頼、断りにおける間接的方略が日本人的特徴であることが伺われます。「甘え」、「他人行儀」」など、内外集団における方略における違いはポライトネスに則って行われたものと推察でき、間接性が配慮表現に繋がる妥当性を確認できました。

参考文献

高井次郎(2002)「依頼および断りの状況における直接的・間接的対人方略の地域比較」『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要. 心理発達科学 49』p.p181-190

~みたいなの表現効果について

昼ゼミ3年の菅野です。続けざまですが論文をもうひとつ紹介していきたいと思います。

今回私が読んだ論文は星野祐子(2008)「コミュニケーションストラテジーとしての引用表現―発話末の「みたいな」の表現効果―」お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科人間文化創成科学論叢11 p.p.133-142です。この論文では主に発話末の「~みたいな。」に焦点をあてています。そして、この「~みたいな。」で終わる発話で導かれる内容が会話表現としての性格を持っているか否かについて考察している論文です。以下は要約になります。

まず、星野は「~みたいな。」の前の内容がどのようなものであるかを大きく3つに種類分けをしている。①  引用部分の内容が元々話し手に属する内容である場合②引用部分の内容が元々聞き手に属する内容である場合 ③ 引用部分の内容が元々聞き手に属する内容である場合 そして大きく分けたこの3つからさらに種類を細かく派生させ、それらを例文を織り交ぜながら説明している。まず①の引用部分の内容が元々話し手に属する内容である場合はここから3つに派生している。以下は例文だ。

①自身の過去の心的状況を生き生きと描写する「みたいな」                                                                                 「○○先生―!みたいな」                                                                                         ② 自分の主張をわかりやすく述べるための説明のストラテジーとしての「みたいな」                                                                 「文学部のキャッチコピーでしょ、他学部見て、俺らここ違うなみたいな」                                                                   ③    主張を和らげる「みたいな」                                                                                                (5)「文学部行ってなんかどうなるの?将来、みたいな」

以上の例文から、星野は、これらの「~みたいな。」はいずれも話し手の内なる想いや意見を、聞き手に効果的に伝達することを意図して用いられていると主張している。次に②引用部分の内容が元々聞き手に属する内容である場合の「~みたいな。」は補足説明としての役割を担うと主張している。以下はその例文だ。             

 A「キャッチコピーかー、初心者用文学部?」                                                                                        B「そっちで攻めるなら、入ってもそんな厳しいことありませんよーみたいな」                                                                    A「なるほどなるほど」

この例文から星野は話し手以外の者が提示した先行内容に十分の理解が得られなかった内容について、補足したり具体例を付け足す際に「みたいな」が効果的に用いられているとしている。最後に③の引用部分の内容が元々聞き手に属する内容の場合は2つに派生させている。以下はその説明と例文だ。

①イメージを会話参加者間で共有させる「みたいな」                                                                                   A「誰か言っていたよね、なんだっけ、つめが甘いみたいな」                                                                                   B「あー言われた言われた」                                                                                              ② 第三者的立場を借りることで真意を伝える「みたいな」                                                                               A「クーラーはないけど実践力はあります」                                                                                       B「いいじゃんいいじゃん」                                                                                                     C「でもクーラーないのかー、みたいな」                                                                                           A「だよね、やっぱりクーラー消して」

①の例文は会話参加者全員がきいたはずの内容をふたたび共有するに至った場面である。過去の発話の完全な再現ではないが、イメージを共有することが重要と星野は主張している。また、②の例文は直接的には伝えにくいことを第三者の発言の形をとり、さらに「みたいな」笑いを誘いながら伝達意図をかなえている。厳密性を問わない「みたいな」の性質が発話提示に関する精神的な負担の軽減につながるのではないかと考えている。 

以上が論文の要約です。この論文から、「~みたいな。」の1つの発話から様々な意味に分類できることが分かった。自分の卒業論文とは関係がないテーマだが、大きく分類させてから派生させる方法など参考になった。

言い間違いの種類区分について

昼ゼミ三年の菅野です。提出期限に気が付かずに提出が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。近況としましては、就職活動を見よう見まねで行っている最中でして、先日、試しに面接を受けた会社からまさかの内定を頂き驚いております。ですが、まだまだ幅広い視野を持ち妥協することなく頑張っていきたいです(笑)

さて、本日紹介する論文は、寺尾 康(2008) 『言い間違い資料による言語産出モデルの検証』音声研究 12(3), 17-27, 2008-12-30  日本音声学会です。この論文は基本的な言い間違いの種類を定義し、言語産出モデルの検証をしている論文です。今日はこの論文を要約することで改めて言い間違いについて再確認していきたいと思います。                                                                                                      まず、寺尾は言い間違いを「成人の健常な言語能力を持つ日本語を母語とする話者が故意にではなく行った、発話の意図からの逸脱をさす。これに読み誤りやごく打ち解けた場での不正解な発音は含めない」と定義し、「故意にではない」ことが最も重要だと指摘している。そして、いくつかの先行研究モデルを例にこれらの言語産出モデルが持つ普遍性と個別性について言及する。寺尾の言い間違いの分類は以下の通りである。                                          

代用 ジャン カップ (ジャパンカップ)音韻単位の間違いであり後の音韻の                                                             予測 時間で言うと、深夜に時間するのは(電話)語彙単位の間違いで前の語彙の保続                                                     付加 草野均さん司会の司会で(草野均さんの司会で)語彙単位の間違い                                                                     欠落 青木となかじ の組(なかじま)音韻単位の間違い                                                                     交換 ながせばはない (話せば長い)形態素単位の間違い                                                                               混成 しょったい (招待+接待)                                                                                                        (下線部は誤り、( )内は話者の意図)

次にこれらの種類の言い間違いを通じて普遍性と個別性について以下のように述べている。

意図の構築→文法的符号化→音韻的符号化→調音という流れは普遍的といってよい特徴であろう。そして個別性というのはそうしたモデルのほとんどがいわゆるゲルマン語派の言語からの証拠に基づくものであることを考慮に入れて、類型論的に異なる言語である日本語の特徴を反映しているようにみえる観察結果を証明するために、従来のモデルのどこを修正するのか、あるいは修正の必要はないのか、という現実的な観点に立つという意味である。具体的には、音韻・音声的符号化の単位としてのモーラと音節について検討してみたい。

以上の発言を踏まえて寺尾は日本語の特徴の一つとしてモーラの役割の多様性を指摘し、ゲルマン語派ではモーラの必要性は皆無だが、日本語における音韻的な日本語産出を考えるときモーラは重要な働きをすると述べる。また英語などの言い間違いでは音節全体が動くことがほとんどないが、日本語の場合では頻度に観察されることにも触れている。                                                                                                     この論文を読んで、今後の自分の言い間違いの研究をする際にモーラについても考えていく必要性があると感じた。表面的には理解することのできない言い間違いでも様々な視点から考えていき、卒業論文を納得いく形で完成させたい。

「やばい」の意味・用法の変化

こんばんは。昼ゼミ3年の安藤です。提出が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

現在は就職活動もはじまり、説明会・ESの提出・履歴書の記入・SPIなどの勉強を両立することに日々励んでいます。ですが、周りの友達の話を聞いてるともう面接をしている友達もおり、業界によって選考の速さが違うと理解しつつも、大丈夫なのだろうかと心配する毎日を送っています。常に意識を高く持ち、気を抜かずに自分らしく頑張りたいと思います。

さて、今回私は 北原保雄(2005)『続弾!問題な日本語—何が気になる?どうして気になる?』から、「やばい」の意味変化について要約しました。

「やばい」は、もともと盗人の言葉(仲間内だけで通じるように仕立てた言葉)で「捕まるおそれがある、危険だ」などの意味を表す。現在は、少し意味が広がり、「勉強していないから、今度の試験、やばいよ」といったように、「自分に不利な状態が迫っている」という意味で使われている。

ところが、最近、若者の間で、「やばいよ、この味」のような言い方がなされている。別に、腐って食中毒を起こしそうな味だということではない。同じ場面で、「やっべ、これ、うっまー」などとも使われるように、おいしさが際立っていることをあらわしているのだ。

「やばい」のこれらの用法にはいくつか特徴があります。一つは、これは、ほめ言葉にしか使わない人が多いということだ。もちろん、「やばい、遅刻しそうだ」という従来の方法はあるが、「やば、これまずっ!」「やばい、さっむー!」といったマイナスの評価には使いにくいようだ。

ほめ言葉に使う「やばい」は、「(感動して)自分がやばくなるほどだ、自制がきかなくなってしまいそうだ」という意味だろう。「恐ろしく(すごく)うまい」というのも、もともとは、「自分が恐ろしい(すごい)と感じるほどうまい」ということだから、使い方は同じだ。「恐ろしく」や「すごく」は「恐ろしくうまい」「恐ろしくまずい」のように、評価のプラス・マイナスにかかわらず、単純に程度の甚だしさを表すが、「やばい」は、マイナス評価を表す「やばい」をプラス評価の「うまい」と一緒に用いるミスマッチによって、刺激的な表現にしているのだろう。

二つめは、「すごい」が「すげーでかくなった」のように副詞的に用いられるのに対し、「やばい」は、「このカレー、やっべーうまくなった」のように副詞的に用いると不自然だと感じる人が多く、「やっべ、これ、うめー」「うんめ、ちょっと、やベーよ、これ」のように、感動詞的な用法が中心である点である。大学生や高校生にアンケートしたところ、多数が「これ、やっべーうまくなった」という言い方は不自然だと判断しました。

三つめに、食べている最中や食べ終わってすぐに、「やっべ、うっめー」などと言い、「あのカレー、おいしかった?」「うん、うまかった、やっべー」のような、その場を離れた思い起こしや報告の表現ではあまり使わないという点がある。「すごい」ならば、「昨日食べたカレー、すんげうまかったよ」のように自然に使えるところですが、「やばい」は、その場との結びつきがきわめて高い表現のようだ。

こうして見ていくと、最近の若い人たちの「やばい」は、ミスマッチの効果による刺激的な表現として、感動詞のように使われているようだ。この刺激は多用されることによって薄れていく。一部には、「やばい」を「すごい」や「恐ろしく」と同じように、程度を表す副詞のように使っている人もいるが、ほかのもっと刺激的な表現に取って代わられてしまうのではないか。

以上が要約です。要約をして気づいた点は、用法の特徴における一つ目のほめ言葉にしか使わない人が多いという点である。マイナスの評価には使いにくいようだという記述がありましたが、前回の発表においてコーパスの分析結果においてマイナス評価として使っている例文も見かけたことから、ほめ言葉に「しか」使わないと断定はできないように感じた。

次に、二つ目の「やばい」を副詞的に用いると不自然と感じる生徒が多いという点について。確かに「やばい」は感動詞的な用法が中心であるが、これもコーパスの検索結果をもとに分析する必要がある。

また、三つ目のその場を離れた思い起こしや報告の表現ではあまり使わないという点である。私は、前回の発表で「やばい」と「すごい」に焦点をあてて発表したのですが、その明確な違いまでは言及できませんでした。ですが、この要約において「すごい」だと自然に使えて「やばい」だと不自然なのは、このことが要因の一つの可能性もあるので、このことも視野に入れつつ今後の研究に繋げていきたいです。

語形成と音韻構造

こんばんは、昼ゼミ2年清水です。掲載が遅くなり申し訳ありません。バイト先のラーメン屋(ブラック企業)の店長がほぼ毎日朝から晩まで働いているのを見て、体を壊さないといいなと心配していた矢先に自分が風邪をひきました。不規則な生活習慣を改善し、一刻も早く風邪を治し春休みをエンジョイしたいと思います。

今回、私が紹介するのは、窪園晴夫(2010)「語形成と音韻構造-短縮語形成のメカニズム-」『国語研プロジェクトレビュー』No.3 pp.17-34で、以下その要約となります

この論文で、窪園は短縮語形成の出力条件について、従来の「短縮語は短いほど良い」という前提に基づく分析に対して問題点を提起している。さらに窪園は、外来語短縮(例:テレビジョン→テレビ)の形成過程を考察し、従来の研究では明らかにされなかった出力の長さの問題に対し、単語の分節という原理から答えを提示しており、この分析を基に単純語短縮過程と複合語短縮過程が音韻的には同じ形成過程として一般化できることも論じている。

従来の分析における外来語短縮の出力条件は、以下の3つが挙げられる。

ⅰ)最小性条件

a.1モーラ語は不適格

例)ストライキ→スト、*ス

b.1音節語(=1音節2モーラ語=重音節1つからなる語)は不適格

例)パンフレット→パンフ、*パン

ⅱ)最大性条件

5モーラ以上の語は不適格

例)イラストレーション→イラスト、*イラストレ ⇒4モーラと5モーラの間に境界線がある

ⅲ)韻律構造条件

LHという2音節構造は不適格 (L=軽音節、H=重音節)

例)ロケーション→ロケ(LL=軽音節の連続)、*ロケー(LH=軽音節+重音節)

これらの条件を示した上で、窪園が挙げた問題点は2つある。その1つ目は従来の研究において共通する、「短縮語は短いほど良い」という経済性の原理により短縮語形成が成されるという考えでは、3モーラ以上の短縮語が説明できないというものである。これはつまり、「テレビジョン」などの語において、なぜ「テレ」という最小の2モーラ短縮語(最小条件に基づく最小値)ではなく、「テレビ」という最小ではない3モーラ短縮語が選択されるのかということである。そして、2つ目は、4モーラ短縮形同様に5モーラ以上の短縮形があってもいいのに、なぜ許容されないのかという最大性条件に対する問題、つまりは、4モーラと5モーラの間に境界があるのかという問題である。

この問題点に対し、窪園は、分節説という新たな分析法を提示した。これは5モーラ以上の外来語は形態的に単純語であっても音韻的には複合語(疑似複合語)であり、分節原理(①音節を分断せずに、できるだけ同じ長さに分ける、②1により2等分に分節できない場合は、前半>後半とする)に基づき、ほぼ真ん中で二分されるという考えである。

例)メタボ|リック→メタボ  イラスト|レーション→イラスト

⇒偶数モーラの語は二等分される

テレビ|ジョン

⇒奇数モーラの語は分節原理2に従い3+2モーラに分割される

この5モーラ以上の外来語を疑似複合語として捉え、その語構造から短縮形を導く分析は、従来の経済性の原理を基盤としておらず、3、4モーラ短縮語の形成を説明できるだけでなく、単純語の短縮(例:スト(ライキ))を複合語の短縮(例:携帯(電話))と同じように分析できる。

さらに、4モーラと5モーラの間の境界に関して、短縮という語形成過程を「複合語構造を単純語構造に変換する」プロセスである見て、音韻的に5モーラ以上が複合語、4モーラ以下が単純語という結論を導き出した。これには、複合語短縮が4モーラを上限としていることや、複合語アクセントにおいて、5モーラ以上の複合語は規則的なアクセントを示すのに対し、4モーラ以下の複合語は、不規則なアクセントを示すことなどの根拠に挙げている。

この原理によれば単純語の短縮とされた現象と複合語の短縮された現象を統合・一般化できる。しかし、分節に基づく分析には少数だが例外があり、その説明が問題であるとしている。

以上が要約です。外来語短縮語の形成過程を分節の観点から新しい分析がなされていますが、外来語を音韻的に疑似的な複合語として前部と後部で二分するというのは、今まで「テレビジョン」や「イラストレーション」などの外来語を単純語としか見ていなかった私にとって、とても斬新で面白いなと思いました。ただ、全てが説明できているわけではないので、他の研究と比較し例外部分の説明を分節説と矛盾せずに説明できる方法があるかや他にもっと良い方法があるかなどを検討していければと思います。

「なんか」の意味と用法

こんばんは。昼ゼミ2年の小林です。提出が遅くなって申し訳ありません。春休みに入って心身ともにたるみまくっています。先日久しぶりに体重計に乗ったら2kg増えていました。お餅は全然食べなかったんですけどね…。身体も精神もしぼりたいものです。がんばります。

さて、今回私が紹介する論文は、渡邊久美(1997)「「なんか」の意味と用法」『広島大学留学生センター紀要』第7号 pp.49-63です。この論文では会話の中でよく用いられる「なんか」という言葉を取り上げ、その意味と用法を明らかにすることを目的としています。
まず渡邊は、「なんか」と連語である「なにか」の意味について森川(1991)の先行研究を中心に、「なにか」というのは不定表現の一つであるとまとめています。「不定表現とは、ある時点において、話し手にとって不明・未知であるか、それ自身が不定・未知であるかのように見える対象を、そのような在り方のままに叙述する言語表現である」(森川)
以上をふまえて、渡邊は「なんか」と「なにか」の違いにも着目しながら、「なんか」の意味を8つに分類しています。

①先行並立用法
「なんか大切なことを伝えたいのに上手く言葉が見つからない。」
②代名詞的用法
「何かを感じとるんですよね。」
③副詞的用法1
<なんか><述語句>
「何か手伝いましょう。」
④副詞的用法2
<主語><なんか><特定の叙述形式>
※特定の叙述形式とは述語句の「ようだ」「みたいだ」「らしい」など
「彼女は何かふっきれたように言った。」
⑤後行並立用法
<名詞句><かなんか>
「ビールかなんかある?」
⑥助詞的用法1(例示)
<名詞句><なんか>
「肉なんか持ち寄ってバーベキューをしよう。」
⑦助詞的用法2(軽蔑・軽視・謙遜)
「あなたと結婚なんかしませんから。」
「私なんかが引き受けていい仕事なのだろうか。」
⑧フィラー
「先行きもなんもないし…なんかもう…」

渡邊はこの分類をしたうえで中間的な用法の「なんか」の存在について言及しています。それは副詞的用法とフィラーとの中間的な用法です。次の例文を見てください。

「先輩、何かごまかそうとしていませんか?」
「え、ごまかす…?」
「なんか心の中にポッカリ穴があいてて…」

この「なんか」は最後の一文だけを見れば副詞的用法といえますが、会話全体の流れでみるとフィラーともとれると渡邊は述べています。また、フィラーの用法に関しては、フィラーが副詞的用法から派生したものと考えるなら「なにか」も使えそうだが、フィラーの「なにか」がなかったことも言及しています。渡邊は、「なんか」と「なにか」の違いについて、同じ不定表現の中でも、「なんか」の方がよりあいまい性・非限定性の高い表現なのではないかと考えています。このように「なんか」がもともと持っていた不定表現のような意味から、フィラーとしての用法を持つようになったのではないかとしています。
また、書き言葉で表される「何か」は「なんか」ということができるのかということについて調査をすすめる必要があるとしています。

この論文で私が面白いと感じたことは、「なんか」と「なにか」の違いについて触れていることです。そもそも私は自分が普段よく使ってしまう「なんか」に興味を持ち研究をしてみようと思ったのですが、「なにか」との違いについては全く考えが及んでいませんでした。フィラーでは「なにか」は使わないということに関しては確かにそうだと初めて気付きました。しかし、渡邊の「なんか」の意味の分類については再度検討する必要があるのではないかと感じました。渡邊自身がいっているように分類にきれいに収まらないような中間的な用法もすでにあります。また⑤は⑥の例示と同じ意味なのではないかと私は思いました。まとめられるものはまとめた方がスマートな分類になるのではないかと考えました。今後「なんか」と「なにか」の違いについても視野に入れつつ研究を進めていきたいです。

引用文献
森川結花(1991) 「「なにか」の用法と意味・機能」『STUDIUM』pp.97-111

自然談話資料にみられる日本語母語話者の「なんて」「なんか」「など」

こんばんは、夜ゼミ3年の古城です。大変遅くなり申し訳ありません。ここのところ肌寒い日が続いていますが、みなさん風邪などはひいていませんか。私は自分が思っているよりも温度の変化に弱いようです。外を歩きやっとの思いで暖かい車内に入れば咳が止まらなくなり、最寄りで下車すればお腹の調子が悪くなるといった具合。寝込むような大ごとにならぬよう気をつけたいと思います。

さて今回私が紹介する論文は、鈴木理子(2003)「自然談話資料にみられる日本語母語話者の「なんて」「なんか」「など」」(『小出記念日本語教育研究会論文集』(11)pp. 59-76 )です。私は文末や文中に現れ、並列以外を表わす「とか」について研究しています。実際の使用例を探していると「なんて」に言い換えが出来そうなものが多数あるとわかりました。似た表現である「なんて」と「なんか」、この論文ではその2つの違いについて考察しています。

鈴木(2003)は、自然談話資料を用いて「なんて」「なんか」の前後の文脈から判断し、大きく以下の3つに分類した。(「など」の分類も試みたが、口語での使用例がなく除外。)

①格助詞、係助詞「ハ」還元型…格助詞や係助詞「ハ」に置き換えられる文。
「なんて」=ガ、ヲ、二、ハ    「なんか」=ガ、ヲ、二、ハ、デ、ノ

(1)○○さん[なんか/が/なんて]、こないだ署名に犬の名前書いてたから。
(2)だめですよ、風邪[なんか/を/なんて]ひいちゃ。

この分類の「なんか」はほとんど「なんて」にも置き換えられ、逆も可能である。「デ」「ノ」は「なんて」では例が見られなかったが、置き換え可能である。

②引用の助詞「ト」類還元型…「ト」に置き換えられ、後ろに「言う」「思う」などの引用
動詞を伴う文。

(3)(略)、友達にあれは見ようね[なんて/と/??なんか]いっててね、ついに見ないうちに終わっちゃった。

3分類で「なんて」が最もみられたのが引用で、61例中47例が引用として使用されていた。一方「なんか」の例はほとんどみられず、置き換えもできないことから「なんか」は引用のかたちでは使用されにくいとした。
また「なんて」の引用部が進行中の会話より前にあった発言の場合や、他者の発言である場合は引用動詞の使用率が高い。しかし文末が「なんて。」の文は、話者が発話しながら引用の形に変えている可能性が高く、これを「疑似引用」とした。

③新規挿入型…取り除いても成立する文。

(4)みんな、やっぱりアパート[なんか/φ/??なんて]に住んでますからねぇ、(略)
(5)でも間違えて机をさげちゃったり[なんか/φ/??なんて]すると大変ですよ。

以上から、引用の「ト」で表わされるような時は「なんて」が使用され、助詞の代わりに用いられている時は「なんて」と「なんか」に互換性が生じ、③のように助詞が後続している文では「なんか」が使用されることはないとした。
 またこの論文で使用した談話資料には「など」の使用例がなかったことから、「など」は話し言葉では用いられにくいとしたが、発話場面や会話相手との関係等社会的要因も加味した分析が必要であると述べた。

 鈴木(2003)で使用した自然談話資料『女性のことば・職場編』では否定的な言葉との使用が「なんて」が61例中9例、「なんか」が59例中2例と少数であったことから、従来の否定と共起しやすい説とは違う結果になったとしています。しかし職場という公の場面ではあまり否定的な話をしにくい心理状況から出にくかったと考えると、否定との共起が少数であったというのも当然の結果であると考えられるのではないでしょうか。
引用の用法を持つ「とか」に「なんて」が近い表現で互換が効くのは納得がいくが、(1)や(2)のような「なんか」は「とか」のもつ引用とも相手に押し付けないためにやわらげる直示軽減の用法とも異なるように感じたので、その点を今後の研究に生かしたいです。