日本語の謝罪表現「ごめん」と「ごめんね」について : ポライトネス理論の観点から

 こんばんは。昼ゼミ2年・名原です。夏ソングって多いけど秋ソングって少ないですね。オワコン説あるぞ、秋。

 今回は

日髙慶美(2019)「日本語の謝罪表現「ごめん」と「ごめんね」について : ポライトネス理論の観点から」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』第28巻pp.71-88北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院

 の論文レポートです。

研究の目的

 謝罪表現「ごめん」と「ごめんね」のポライトネスの違いは何か明らかにする。

謝罪表現における終助詞「ね」の役割

 「謝罪の命題内容とそれに付随する話し手の態度を相互に顕在的にしたいという話し手の願望を伝えている」と考察。

ポライトネスの「累積仮説」

「ごめん」→(B&L(1987)「省略や短縮」に則り、)

      ポジティブ・ポライトネス・ストラテジー

  「ね」→        〃

 ポジティブ・ポライトネス・ストラテジーが重なっているので「ごめん」より「ごめんね」のほうがポジティブ・ポライトネスの度合いが大きい(=「累積仮説」)。

データをもとにそれらの違いを分析

 B&L(1987:74)はFTA深刻度の度合いを決める要因は、「話し手と聞き手の「社会的距離」(social distance:D)、話し手と聞き手の相対的力(power:P)、特定の文化における絶対的な「負荷度」(ranking of imposition:R)」であるとし、

  FTAの深刻度の度合いが小さい場合→ポジティブ・ポライトネス・ストラテジー

   〃      大きい  〃→ネガティブ・ポライトネス・ストラテジー

 がそれぞれ使用されると考察した。

 これを軸にドラマの謝罪の場面のFTAの深刻度の度合いの大きさ、謝罪の内容や状況の違いなどを比較するという方法を取った。

結果

 累積仮説を支持する傾向が見られた。

〇「ごめん

 ・Rの大きさに関わらず話し手の言動に対しての謝罪である。

 ・その謝罪の内容が話者と聞き手、相互に認識できているという傾向も見られた。

〇「ごめんね

 ・相手が怒っていなかったり話し手の過失ではなかったりとRの小さい場合に多く用いられる。

 ・話し手と聞き手の間でその謝罪の内容が相互に認識できている場合「申し訳ないと思っている」などの気持ちを顕在化することで相手に伝えようとする意図が見られた。

引用文献

Brown, Penelope and Stephen C. Levinson. 1987. Politeness: Some Universals in Language Usage. Cambridge: Cambridge University Press.[田中典子(監訳)・斉藤早智子・津留 﨑毅・鶴田庸子・日野壽憲・山下早代子(訳).2011.『ポライトネス 言語使用に おける、ある普遍的現象』東京:研究社]

感想

 この論文を読むまで「ごめん」と「ごめんね」はほぼ同じような謝罪表現だと考えていたが、「ごめんね」は「ね」が追加されることによってよりポジティブ・ポライトネスの度合いが強い表現になっていることが知れて面白かった。

 謝罪表現は全てネガティブ・ポライトネス・ストラテジーだと認識していたが、「ごめん」はポジティブ・ポライトネス・ストラテジーである「省略や縮約」が使われているからポジティブ・ポライトネス・ストラテジーになるという考察が興味深かった。

百科事典的意味とメタファー

 こんばんは、昼ゼミ2年の山下です。先日、本屋でジャケ買いした小説が面白く、上巻を一気に読み終えました。電子本も普通に買うのですが、こういう出会いがあると、やっぱり本屋で紙の本を買うのもいいなと思います。

 今回は、籾山洋介(2010)「百科事典的意味とメタファー」『日本語研究の12章』253-265(明治書院)を要約しました。

 この論文では、認知言語学において広く受け入れられつつある百科事典的意味観について、その妥当性の検証を行っている。筆者は、現代日本語のメタファー表現の適切な説明のためには、「一般性」の程度が完全ではない意味を含む、百科事典的意味に基づく必要があることを明らかにし、百科事典的意味観の妥当性の一端を示している。

●先行研究からみた百科事典的意味観

・「慣習性」「一般性」「内在性」「特徴性」という4つの性質を何らかの程度において満たす要素は百科事典的意味に含まれる(辞書的意味は4つの性質の程度が完全か、完全に近い)

・その要素は、4つの性質を満たす程度によって中心的か周辺的かという段階性がある

(Langacker(1987))

 この稿において、筆者は特に「一般性」の程度(ある語の百科事典的意味を構成する要素が、その語が表すカテゴリーのどれだけの成員に当てはまるかという程度)が完全ではない意味に注目し、中でもカテゴリーの「理想例」と「ステレオタイプ」のみが有する特徴がメタファーの基盤として重要な役割を担うとして、具体例を検証している。

●検証

・「理想例」が有する特徴に基づくと考えられるメタファー

例)「牛丼が吉野家の「四番打者」である」

             (『日本経済新聞』(夕刊)2005年12月6日、日経テレコン)

例文の表現の意味するところは、「吉野家のメニューの中で、牛丼は多くの利益をもたらす、代表的なものである」ということであり、これは「四番打者」の理想例が持つ特徴「そのチームの最も優れた打者」に基づくメタファーである。

・「ステレオタイプ」が有する特徴に基づくと考えられるメタファー

例)「中身が伴っていないのに自分に過剰に期待していた。まだ子どもだった」

        (『中日新聞』2009年8月4日、中日新聞・東京新聞記事データベース)

例文は年齢的には「大人」に相当する人物のものであり、この場合の「子ども」は、「裏づけがないのに(何かが)できると思う、楽観的である」という「子ども」のステレオタイプが持つ特徴の一部に基づいたメタファーである。

上記のように、筆者は、メタファーに基づく表現を説明するためには、百科事典的意味に含まれる「一般性」の程度が完全ではない意味、特にカテゴリーの「理想例」や「ステレオタイプ」が持つ特徴を認める必要があることを示している。

 百科事典的意味観に基づいて分析と考察をしている論文は多いと思いますが、百科事典的意味に含まれる「一般性」の程度が完全ではない意味と、それを基盤としたメタファー表現に注目し、百科事典的意味観の妥当性を改めて検証している点が興味深いです。

絵画の特徴を述べる共感覚表現とその効果

 こんにちは、昼ゼミ2年の山下です。この間、大学の図書館の入り口のところに、ものすごく大きな蛾が力尽きて転がっていました。東京にこんな巨大な虫いるのか…と驚きました。

 今回は、岩橋一樹(2005)「絵画の特徴を述べる共感覚表現とその効果」『日本語用論学会大会研究発表論文集』第一巻、9-16(日本語用論学会)を要約しました。

 この論文では、絵画の特徴を述べる共感覚表現について、関連性理論の観点から分析し、その表現が具体的に何を伝達しているのかを考察している。筆者は、絵画の特徴について述べるときに共感覚表現を用いることで、視覚的特徴に留まらない書き手の作品に対する様々な印象が、読み手に伝達されると主張している。

●分析

・It is a chromatically muted painting

〈解釈過程〉

1.表意:その絵は色が静かな(MUTED)絵である

+百科事典的想定:静かであれば本来よりも抑えられている

=結論・推意①:その絵は色が本来よりも抑えられている絵である

2.推意①+百科事典的想定:色が本来よりも抑えられれば色が地味である

=結論・推意②:その絵は色が地味な絵である

・this warm ‘Portrait of Sinatra’ is typical of his lively character

〈解釈過程〉

  • 表意:この温かい(WARM)シナトラの肖像画は彼の陽気な性格を表している

+ 百科事典的想定:温かいと人間の生命が感じられる

= 結論・推意①: 人間の生命が感じられるシナトラの肖像画は彼の陽気な性格を表している

2.推意① + 百科事典的想定:人間の生命が感じられる肖像画は題材(書かれている人 )から生命が感じられる

= 結論・推意②: 題材から人間の生命が感じられる肖像画は彼の陽気な性格を表している

3.推意② + 百科事典的想定: 題材から生命が感じられるということは描写が活き活きしている

= 結論・推意③: 描写が活き活きしているシナトラの肖像画は彼の陽気な性格を表している

・A harsh picture shows a car vs. nature

〈解釈過程〉

1.表意:粗い(HARSH)絵が車と自然の対立を示している

+ 百科事典的想定:粗いと手が加えられていない

= 結論・推意①:手が加えられていない絵が車と自然の対立を示している

2.推意①:手が加えられていない絵が車と自然の対立を表している

+ 百科事典的想定:手が加えられていなければ絵に描かれている状況が荒々しい

= 結論・推意②:描かれている状況が荒々しい絵が車と自然の対立を示している

●考察

視覚以外の感覚を想起させることで、色の濃淡や描画の性質といった視覚的特徴だけではなく、描かれている題材や状況といった、書き手が絵に対して抱いた様々な印象がより具体的に読み手に伝達される 

 この論文は、関連性理論を用いることで、特に作品を評価する場合の共感覚表現が伝えるものを具体的に明らかにしている点が興味深いです。分析に使われていた例はすべて英語で、この分析の前提には百科事典的想定というものがあったので、同じ表現でも日本語と英語で伝達する内容に差が出るのか、百科事典的想定の中身に違いはないか、中身がどのように形作られているのか調べてみたいです。

程度副詞の分類の試み

 こんにちは。夜ゼミ2年の米光です。私は高3まで水泳をやっていましたが、水泳のインターハイの決勝がテレビで放送していたため、家にいた時は必ず観ていました。後輩や友達が出てくることも多々あったので、ついテレビの前に立って大声で応援してしまいました。最近はとても涙脆く、自分も歳を取ったなと実感することがよくあります。(笑)

さて、今回は以下の論文を要約しました。

中山恵利子(1996)「程度副詞の分類の試みーその程度・量・基準によりー」『阪南論集 人文・自然科学編』31巻3号、pp.75-86、阪南大学学会

 この論文は、情態副詞、陳述副詞と組まされ、常に副詞とされている程度副詞について論じている。程度副詞は常に副詞とされてきたものの、詳細な論稿が少なく整理のなされていない副詞のなかにあるため、数少ない先行研究をふまえながら、程度・量・基準によって分類を試みようとしている。

対象語は以下の32語である。

はなはだ・すこぶる・きわめて・だいぶ・相当・少し・かなり・ちょっと・非常に・大変・ごく・ずいぶん・わりあい・なかなか・多少・とても・最も・一番・やや・比較的・もっと・少々・ずっと・けっこう・より・至って・たいそう・よほど・あまりに・いっそう・一段と・ひときわ

程度副詞の分類

〇程度副詞の「程度」

(1) 客観的具体的概念ではなく

(2)言語主体が設定した前提と現実との比較差であり、

(3)主観的な程度性の序列に対応するものである。

〇程度副詞の「量」

純粋程度副詞:はなはだ・すこぶる・きわめて・非常に・たいへん・ごく・とても・いたって・ひときわ

量的程度副詞:だいぶ・相当・少し・かなり・ちょっと・ずいぶん・わりあい・なかなか・多少・最も・一番・やや・比較的・もっと・少々・ずっと・けっこう・より・たいそう・(よほど・あまりに・いっそう・一段と)

〇程度副嗣の「基準」

・絶対程度副詞

程度副詞が共起する名詞(相対名詞)は常に基準を持つものである。

全ての程度副詞が基準との差を程度として表すのにも関わらず、相対名詞と共起しないもの(以下の6副詞)もある。

はなはだ,すこぶる,非常に,大変,とても, (なかなか)

これらは任意の基準を取らないものと考えられる。また、「絶対程度副詞」と名付ける。

絶対程度副詞は常に程度0からの程度のみを示すため量動詞とは共起を拒むはずで、6語のうち5語は純粋程度副詞である。しかし、「なかなか」のみ量を表すかは疑問だが量動詞と共起するため、性質の異なるものである。

・関係的程度副詞

相対名詞と共起する程度副詞は先ほどの6副詞以外である。相対名詞と共起するということは基準を明示してもかまわないということであり、文に一定の型式を与える。(比較構文)

常に比較を表すもの:もっと,ずっと,いっそう,一段と,より,最も,一番,(ひときわ)

これらは絶対程度副詞とは異なり、内外に設定された任意の程度を持つ基準との比較関係においてその比較差を表すものである。これらを「関係的程度副詞」としている。

しかし、この関係的程度副詞のなかにも「ひときわ」のように、比較差がどのくらいかという大きさを持つものがある。

比較関係(比較差の存在)を示すもの:より,もっと/一番,もっとも

比較差の大小を示すもの:ずっと,いっそう,一段と,ひときわ

・極限的程度副詞

相対名詞と共起する副詞のうち、先ほどの8語の関係的程度副詞を除いたものは比較を明示したりしなかったりする。

以下の4語が持つ程度は極限に近い程度であり、基準(範囲限定)をとるとその程度性が際立つ。これらを「極限的程度副詞」としている。(3語は量動詞と共起しないが、「あまりに」は一定の条件の下で量動詞と共起する。)

ごく,いたって,きわめて,(あまりに)

また、任意の基準を取るのではなく副詞のほうが基準を選択限定する「一番・最も」とは異なる。

・量的程度副詞

相対名詞と共起するものから「関係的・極限的程度副詞」を除いた語が量動詞と共起する「量的程度副詞」である。

量の概念の強いもの:少し,ちょっと,少々,相当,かなり,多少,たいそう,やや

量の概念の弱いもの:だいぶ,ずいぶん,比較的,わりあい,けっこう,よほど

 このように、32語の程度副詞は〔絶対程度副詞・関係的程度副詞・極限的程度副詞・量的程度副詞〕の4つに分類できた。しかし、「なかなか」「あまりに」「ひときわ」のように同グループの他の語と性質を異にするものもあり、「程度・量・基準」 だけでは分類の限界がある。

 最後に程度性の「大まかな」序列についての分析を、採集した用例と作例、そしてアンケート調査の結果により行っていた。アンケート調査は10~80代と幅広く行っており、色んな世代の回答が反映されている結果になっていたため、アンケート調査をする場合は私も若い世代に限定せず行うことができればよいと思った。

「たら」と「ば」

こんにちは。夜ゼミの田中です。

先日行ったクリープハイプのライブがとっても良かったのでそれに関連して今日はYUKIの『百日紅』を紹介します(作曲がクリープハイプの尾崎さん)。まだかろうじて咲いていてくれていますね。あの濃いピンクの花に似合う素敵な曲です。酔。是非聞いてみてください。

以下の論文を要約しました。

前田直子(2008)「もっと時間があったら、時間さえあれば…-条件の「たら」と「ば」」『月刊言語』10月号pp.28-35

要点

条件表現の「たら」と「ば」は、用法的にはほぼ重なる。しかし、①多回的な場合は「ば」、一回的・事実的な場合は「たら」が多い ②仮定的用法に見られる主節のモダリティ制約を巡る問題 ③「さえ」との共起 といった違いが見られる。

少し詳しく

①多回的な場合→「水は百度になれば、沸騰する」

一回的な場合→「ボタンを押したら水が出た」

②主節末が命令文など聞き手に働きかけるもので、前件・後件の動作主体が同一だと「ば」は不適切。しかし、条件説の述語が状態性だと「ば」でもOK

「欲しければ自分で買え」

③「~さえしたら」よりも「~さえすれば」の方が共起率は高い。

「ば」は「~さえすれば良い」という評価モダリティの用法で多く現れるが、「たら」二はそれがない。

感想

「ば」は「たら」に比べて、一般的・恒常的な必然的因果関係を表すとまとめているが、①の事実的な場合は「たら」が多いことに矛盾しているのではないかと思った。

「ボク少女」の言語表現—常用性のある「属性表現」と役割語との接点—

こんばんは。昼ゼミの田久保です。

いつの間にか筆箱から蛍光ペン1本とシャーペン2本が消えていました。帰ってきて欲しいです。

さて、今回は次の論文を要約しました。

西田隆政(2012)「ボク少女」の言語表現 —常用性のある「属性表現」と役割語との接点—『甲南女子大学研究紀要. 文学・文化編』第48巻 pp.13-22 甲南女子大学

要点

「ボク」を使用する少女キャラクターをボク少女と」呼ぶ。このとき使用される表現を、常用性のある「属性表現」として検討し、「常用性」が重要な要素であると主張している。

「属性表現」とは役割語(博士語、お嬢様語など)のように人物の全体像を表すのではなく、キャラクターの性格などの部分的な側面と関連づけられる言語表現である。西田(2010)では、この特徴を次のa~fの6つ提起した。今回はその特徴に「ボク少女」の言語表現を照らし合わせている。

a  現実世界でおこなわれる表現とは直接むすびつかないというヴァーチャル性をもつ。/(役割語と共通の特徴)…「ボク少女」にも当てはまる。

b  特定の言語表現とさししめす人物像とに関連性がある。/(役割語と共通の特徴)…「ボク少女」にも当てはまる。

c  言語表現がさししめすのは人物の全体像ではなく部分的な属性である。/(属性表現のみの特徴)…「ボク少女」の立ち位置によって変わる 。

d  言語表現のさししめす属性は現実世界における存在の裏づけがない。/(属性表現のみの特徴)…「ボク少女」にも当てはまる。

e  「属性表現」の使用されるキャラクターには性格の統一性がなくキャラクターの破綻ともとれるような例がある。/(属性表現が持つ可能性がある特徴) …「ボク少女」にも当てはまる。

f 「属性表現」は一般的にしられているものではないもののその属性自体が社会的な職業として認識されることで役割語となる可能性がある。/(属性表現が持つ可能性がある特徴) …「ボク少女」にも当てはまる。

「ボク娘」の言語表現の特徴

「ツンデレ」のような常用性のない(場面や立場などに左右される)と属性表現とは異なり、「ボク少女」の一人称の「ボク」は、役割語のような常用性がある。しかし、「ボク少女」が表すのはそのキャラクターの性格的特徴の一部であるという点が、役割語と異なる。

→常用性があることで、キャラクターの印象に大きな影響を及ぼす。

※ただし、「ボク少女」が成立する前提には「ボク」を使用するのが男性(少年)であるという共通の認識が必要である。少なからず「ボク」を使用する少年との関係があると思われる。

〈自分の意見〉

この論文では、表現の常用性と言う視点から属性表現を考察している。この視点はぜひ参考にしたい。

傾向を表す接尾語「~がち」「~ぎみ」

こんばんは。昼ゼミの滝沢です。先日無観客の中で試合が行われました。歓声のある試合が懐かしいです。

以下の論文の要約をしました。

趙 海城(2016)「傾向を表す接尾語「~がち」「~ぎみ」について』、『明星国際コミュニケーション研究』、8号、pp.31-49

 (1)彼女は遠慮がちにたずねた。

 (2)少し風邪ぎみで咳が出る。

 (3)少し疲れぎみで仕事がはかどらない。

 (1)の「遠慮がち」は「遠慮ぎみ」に置き換えられるが、(2)(3)は置き換えると意味が大きく変わる。筆本論文はコーパスを使用し「がち」「ぎみ」の意味的共通点と相違点を明らかにすることを目的としている。

・「動詞+がち」

 上接する動詞310個の内上位32位までを見ると「忘れる、遅れる、見落とす」といった「人間にとってマイナスな出来事」ととらえる事態を表す動詞が多い。一方「思う、考える、夢見る」といった動詞は、動詞事態にマイナスイメージはないが、(4)のように「がち」が付くことでマイナスイメージは付与されているとしている。

 (4)売茶翁と聞くと、商家の出身のように思いがちだが、実はそうではない。

 (5)共働き新婚夫婦にありがちなのが、余裕のある収入に早々と家を買うケース。

 (6)うっかり水やりを忘れがちですが、浸透圧の関係で…。

 (4)~(6)をから「がち」に上接する動詞は、目の前にある一時的な状態でなく「繰り返し起こしてしまう。頻繁にそうなってしまう」傾向にあると結論付けています。

・「助動詞+がち」

 (7)a.夜、爪を切ると縁起が悪いと言う。

      b. 夜、爪を切ると縁起が悪いと言われている。

      c. 夜、爪を切ると縁起が悪いと言われがちだ。

 受身助動詞「~られがち」が520例とヒットしている。(7ab)から受身化には動作主を不問にする働きがあり、これが一般的な事態叙述につながりやすい。この機能と「~がち」の反復させることで一般的な事態を表す性質が意味機能的に合致しているため、受身助動詞が「~がち」に上接しやすいとしている。

 同時に「~てしまいがち」でも293例ヒットしていることも「~てしまう」が示す予想外、残念というニュアンスが「~がち」の表す「人間にとってマイナスな出来事」と合致しているからだと説明している。

・「名詞+がち」

 57個の名詞からなる「上接名詞+がち」の表す意味を3グループに分けることで完結している。

グループ➀:【病気、留守、便秘、不足…】

 この類は名詞の示す状態が頻繁になってしまうことを示す。さらにその状態は一般に好まれないマイナスイメージを持っている。

グループ②:【遠慮、伏し目、夢見…】

 この類は名詞が示す状態に傾いている状況を示す。➀と違い名詞自体に一般的なマイナスイメージは感じられない。

グループ③:【黒目、山、石…】

 この類は名詞の示す面積が優勢な状態を示す。②と同じように名詞自体に一般的なマイナスイメージは感じられない。

・「動詞+ぎみ」

 (8)最近運動不足で少し太りぎみです。

 (9)a.「ええ、もちろん」女性はいくぶん慌て気ぎみに答えた。

      b. 「ええ、もちろん」女性はいくぶん慌てて答えた。

 「~ぎみ」に上接する動詞は171個と「~がち」に比べて少ない。「~がち」で多く見られた「成る、有る、思う」は1~2例ほどしか見られず、一方で「太る、痩せる、上がる、減る」といった変化幅を表す動詞、「疲れる、慌てる、抑える」などの身体的、精神的状態を表す動詞が多く見られた。それに伴い「やや、少し、かなり」といった程度副詞とよく共起していた。(8)(9a)を例に「動詞+ぎみ」は一時的で具体的な状況の変化を考察、体感し、主観的に述べているとしている。また(9ab)のように「~ぎみ」がつくことで断定を避け、語気を和らげる効果があることも指摘している。

・「名詞+ぎみ」

 (10)寒暖差が大きくて、少し風邪ぎみです。

 (11)農林水産業は若干過剰ぎみという見方としておられます。

 「~ぎみ」に上接する名詞は405個と「~がち」に比べてはるかに多く、「風邪、緊張、興奮」といった身体面、精神面の具体的状況を示すものと、「過激、下降、オーバー」といった量的に基準から離れている状態を意味する名詞が多くヒットした。また「動詞+ぎみ」と同様、程度副詞を共起することが多い。性質については(10)(11)を例に「動詞+ぎみ」と同じように一時的で具体的な状況の変化を考察、体感し、主観的に述べるものと、語気を和らげる効果あるとした。

 この時点で「~がち」が後接すると一般的な事柄を客観的に述べ、「~ぎみ」が後接すると具体的な状況の傾向を主観的に述べると相違点を示している。

・「両方とも具体的な状況」

 (12)僕は机に向かい、ぼんやりとしているところだった。「穂高さんからだったよ」彼女は少し遠慮ぎみに言っ

    た。

 (13)共産党は少しずつ攻勢を強めていたが、それでも最初は遠慮がちだった。

 双方とも具体的な状況をしめす場合は、(12)(13)を例に「~がち」はしばらく繰り返しているニュアンスを持ち、「ぎみ」は一時的な具体的な状態を示すと指摘した。

最後に「~がち」は出来事が繰り返し行われ、頻繁にある状態を示す。マイナスイメージを付加する。グループ②の名詞に後接する場合は名詞の示す状態に傾いている状況を示す。グループ③に後接する場合はその面積が優位にあることを示す。

「~ぎみは」は一時的で具体的な状況の変化を主観的に述べる。断定を避け、語気を和らげる、と今回の調査で明らかになった相違点を記している。

先行研究も取り上げながら付け加える形で新たな相違点を述べていてとても参考になりました。同じように似た接尾語の相違点を示す論文はいくつもあるが、どれも同じような形式にあるのかなと思い始めました。

日本語と中国語のコピュラ文の異同

 こんばんは、昼ゼミ2年の陳です。もうすぐ中秋節になます。中国の友たちから月餅をもらいました。自分が好きな塩卵入り蓮の実あんでした。感謝の気持ちで美味しくいただきました。

 今回は以下の論文を要約しました。

張雨辰(2019)「日本語と中国語のコピュラ文の異同」『言語文化共同研究プロジェクト』(2019), 41-50大阪大学大学院言語文化研究科

 この論文は、日本語コピュラ文と中国語コピュラ文を比較し、中国語コピュラ文を構成する副詞「就」の意味・機能に着目した。

 従来の中国のコピュラ文はAとBの倫理関係によって「包摂関係」と「同一関係」の二種類に分類するのが一般的である。

 1.  AとBが同一関係の文:Aが提示するものとBが提示するものが同一である。中国語では、同一関係の文はAとBを置き換え「B是A」の形にすることができる。

   (1) 老張就是那个人。

      張さんはその人だ。

   (2) 老張就是那几封匿名信的作者。

      張さんはそれらの匿名手紙の書き手だ。

 2. AがBに包摂される文:AはBに含まれ、Bはある特徴を持っているものの集合であり、Aはどの集合の中の構成である。包摂関係の文はAとBを置き換え、「B是A」の形にすることができない。

   (3)老張是農民。

      張さんは農民だ。

   (4)*農民是老張。

      農民が張さんだ。

 筆者は以上の中国語コピュラ文の分類は意味・性質上また不十分であると考えた。また、中国語コピュラ文は副詞「就」を加えた文が多く見られるが、従来の研究ではあまり重要視されてなく、その有無が文の意味や統語的な特徴に影響を及ぼすことはないと考えられてきた。

しかし、西山(2003)における日本語のコピュラ文の分類を中国語に導入すると、

日本語の同定文は、指定文と同様な形式「BがAだ」あるいは「AはBだ」の両方に対し、中国語同定文は名詞句BとAの置き換えができるが、副詞「就」の挿入がないと同定文としての意味が捉えないことがわかる。

 確かに「就」を加えたコピュラ文が多いが、自分もその有無による意味変化をあまり考えたことないです。「なるほど」と思いながら思考させました。また、日中両言語の区別をこの論文で垣根見えたと感じました。

現代中国語における日本語からの借用語の基本語化―宅の考察を通じて―

 こんばんは、昼ゼミ2年の陳です。先日、久しぶりに新宿にある添好運を食べました。とても美味しかったです。都内で飲茶したい人にオススメです。

 今回要約するのは以下の論文です。

呂雨珊(2019)「現代中国語における日本語からの借用語の基本語化―宅の考察を通じて―」『ニダバ』 (48), 41-49西日本言語学会

 この論文は現代中国語における「宅」という日本語からの借用語に着目し、「宅」の使用状況と「宅」が現代中国語に定着し、さらに基本語となる過程を考察した。

 日中両言語における「宅」の意味は同じく、主に「住所」が最も基本な意味である。中国語における「宅」は2012年『現代漢語詞典 第六版』で「家に引きこもる」という意味が初めて記載された。新語の「宅」は日本の「御宅」を語源とする語であり、意味のみならず、品詞性も変化している。「宅」は準接辞として、

   ①「宅+〇〇」→「宅男」「宅女」→「家、またはある場所にずっといるのが好きな者」

   ②「〇〇+宅」→「技術宅」→「ある分野に通暁している者」

という二種類の意味を持っていて、造語力が強い名詞性準接辞として数多くの新語を作り出している。

 また、現代中国語における新語「宅」はさらに動詞、形容詞まで使用範囲が拡大している。日本語の「熱中」という意味合いが次第に薄く、「(家の中などに)引きこもる」意味を表している。

 現在、「宅」を語源として形成された新語は新聞記事でも数多く使われており、中国で基本語化している。その要因として筆者は以下の二つの要因を指摘した。

  ・ACG文化を代表とする日本文化の受容という社会・文化的要因

  ・既存の表現は人々の需要を満たされていないという言語・心理的要因

 現代中国語には日本語からの借用語が多いですが、そのまま漢字+西洋からの新しい概念や、白話文運動の原因か、とても借用語とは思えないほど広く使われています。現代中国語における日本語借用語といえば「宅」をはじめのオタク用語が典型例だと感じます。

現代中国語における日本語からの借用語

 こんばんは、昼ゼミ2年の陳です。最近は雨が続いて、皆さんも季節の変わり目に体調を崩さないようにお体に気をつけてください。

 今回は以下の論文を要約しました。

王立達[著]于康/澤谷敏行[訳](2002)「現代中国語における日本語からの借用語」関西学院大学『エクス』(2)、107-124

 日本語には古代中国語からの借用語が多く見られると同じように、現代中国語においても日本語からの借用語が多数見られる。それらの語彙は、中国人にとっても日本人にとってもこの百年来に現れてきた新語であるとみなされている。この論文では現代中国語における日本語からの借用語を考察し、以下の8つのタイプに分け、具体例を挙げた。

 1. 日本語の漢字に音訳された「外来語」から借用したもの。

   例:Gas→ガス→瓦斯、Romantic→ロウマン→浪漫

 2. 日本語の漢字で「訓読」されるものから借用したもの。

   例:入口/入口、手続/手续、広場/广场

 3. 「意訳法」により訳された外国語の語彙で「音読」されるものから借用したもので、特に反対や対照的な意味で対をなす語彙、一般用語と専門用語、学問分野の名称から借用したものや語尾が「化」「作用」など日本語から借用した語彙とともに構成されたフレーズ。

   例:主観―客観/主观―客观、社会/社会、哲学/哲学、一般化/一般化

 4. 本来は日本語の語彙であるが、中国語に借用された後、本来と異なる意味が生じたもの。

   例:劳动者/労働者:産業労働者→一般労働者の総称、物语/物語:通俗小説→童話

 5. 本来は古代中国の語彙であり、日本語に借用された西洋の近代専門用語の意訳語として使われていたが、その後日本語からまた中国語に借用され、古代中国語の意味と異なる現代中国語として使われているもの。

     例:・组织/組織:本来は紡績の意味であり、今は日本語と同じ意味でindexの意訳語として使われている。

     ・经济/経済:本来は経世済民の意味であり、現代中国語の「政治」に相当する。今は日本語と同じ意味でeconomyの意訳語として使われている。

  6. 日本が作った和製漢字を借用したもの。

    例:腺、膣、癌

 7. 日本語を訳すときに作ったもの。

     例:〇〇に基づいて→基于、〇〇に関する→关于、〇〇と認められて→认为

 8. 20世紀の初にしばらく使われていたが、現在は既に使われていないもの。

     例:劳动组合/労働組合

  筆者が指摘したように、このような日本語から借用した新語が今になって、既に中国人に馴染まれており、中国語の一部となっている。その多くの語彙は日本語からの借用語か、中国人が現代日本語の語構成法に基づいて作った新語なのかがわからなくなってしまうほど、日本語の語彙が現代中国語に及ぼす影響が深いと感じた。