「女ことば」と「男ことば」の使用基準が切り替わる心理過程について

こんばんは。夜ゼミ3年の本嶋です。1月も残りわずか。あと2週間もしたらチョコレートの祭殿(?)がやってきますね!
あげる予定がある人もない人も、もらう予定がある人もない人も、皆わくわくソワソワ良い季節ですね!美味しくチョコを食べて楽しくいきましょう‼

ところで今回は、以下の論文について報告したいと思います。

有泉優里(2009)「「女ことば」と「男ことば」の使用基準が切り替わる心理過程―プライミング手法を用いた検討―」『日本語とジェンダー』第9号、日本ジェンダー学会www.gender.jp/journal/no9/03_ariizumi.html

この論文では、「女ことば」「男ことば」の使用基準を人々が無意識に切り替える心理過程に着目し、状況によって言語使用をどのように使い分けているのかを実験法を用いて検討しています。実験法とは実験を用いてデータの収集・分析する方法のことです。
その結果、ジェンダー問題と女性が男性的な文末形式を使用すること(女性役割規範に反する言語使用基準)が結びついていることや、女性話者の「女ことば」と「男ことば」の使用基準が状況に応じて自動的に切り替わることが指摘されています。

有泉は「女ことば」「男ことば」の使用基準の切り替え、実験内容、女性話者が用いる文末表現に関する結果、男性話者が用いる文末表現に関する結果の順に論を展開しています。以下、この順に沿って簡単にまとめます。

日常生活におけることばの選択や判断の例に有泉はテレビを使っています。フィクションであるドラマの女性登場人物が「女ことば」を多用している場合と、ジェンダー問題についての文脈で「女ことば」が多用される場合、前者には特別な印象を抱くことはありませんが、後者には否定的な印象を持ちやすくなる、といったもので、このような言語使用の切り替えが日常、無意識に行われています。
ジェンダー役割規範に反する言語使用基準が「ジェンダー問題」と結びついているとすれば、「ジェンダー問題」が活性化されることにより、その後に行う判断で無意識のうちにジェンダー役割規範に反する言語使用基準が適用されやすくなると有泉は考え、これを検討するためにプライミング手法を実験に用いています。

プライミングとは、人がある情報に接することによって関連する概念が自動的に活性化される(思いつきやすくなる)ことで、この概念の活性化によって後に行う物事の判断や処理に影響を与えることをプライミング効果といいます。(Higgins, Rholes, & Jones, 1977;山本・外山・池上・遠藤・北村・宮本,2001)

実験では、参加者に実験目的を伏せた状態で、「ジェンダー問題」の活性化を操作するための先行課題と、プライミング効果を測定するための後続課題を実施しました。

先行課題では、参加者を無作為二つのグループに分け、一方(活性化ありのグループ)にはジェンダーに関する文章の読解問題、もう一方(活性化なしのグループ)にはジェンダーにまったく関係のない文章の読解問題を解答してもらい、その後両グループに同じ続投課題を行いました。続投課題では文末が空欄になっている会話文を男性形式、女性形式、中性形式の選択肢から選んで完成させるもので、ページごとに話者と話し相手の性別の組み合わせ(女性話者と女性相手、女性話者と男性相手、男性話者と男性相手、男性話者と女性相手の4組)会話の場面(「話者から話し始める」、「話し相手の質問に答える」、「話者が話している途中」、「話し相手が話している途中」の4種)が異なっています。

まず女性話者が用いる文末表現に関する結果ですが、活性化なし群では、すべての会話場面で女性話者に女性形式のほうが選択されていました。この結果パターンは話し相手の性別に関わらずみられ、一般的な会話表現の知識を問われる状況では、女性話者が女性形式を使用すると判断されやすいことが考察されています。
一方、活性化あり群では、女性話者に男性形式が選択される傾向がみられました。以上から「ジェンダー問題」の活性化によって、女性話者が用いる文末表現の使用基準が、無意識のうちに女性役割規範に沿ったものから反するものに切り替えられたことが分かりました。
このほか、「ジェンダー問題」が活性化によって、 女性参加者はジェンダー役割規範に反した言語使用規範を適用する方向に変化する傾向がみられましたが、男性参加者は活性化の有無に関わらずジェンダー役割規範に沿った言語使用規範を適用する傾向がありました。このことから、 ジェンダー問題と女性話者の言語使用基準の結びつきの認識には性差がある可能性も示されました。

また、「ジェンダー問題」の活性化によって文末表現の選択傾向に変化があったかどうかを、χ2検定によって統計的に分析した結果、「相手が話している途中」で話し相手が女性の場面のみをのぞくすべての組み合わせで「ジェンダー問題」の活性化の効果が有意であるという結果が出ました。
χ2検定(カイ二乗検定)とは、ある事象の観察や実験を行う際に、理論上の期待度数と、観察度数との食い違いの程度を明らかにするために行われる検定のことで、この場合には、ジェンダー問題を意識したことで出た差に意義があるかないかを客観的に判断するために使われていると考えられます。
最後に、男性話者の用いる文末表現の選択に関して、「ジェンダー問題」の活性化による変化を示す結果は得られませんでした。

以上のように、ジェンダー問題と女性役割規範に反する言語使用基準が結びついていることや、女性話者の「女ことば」と「男ことば」の使用基準が状況に応じて自動的に切り替わることを主張していますが、これは私の研究テーマから見ても非常に意義深いものです。「女ことば」「男ことば」とはジェンダーを意識しない限り存在しないものであり、それを意識した場合の文末表現の選択の男女差は特に興味深く、今後の研究にも役立てたいと思いました。

(最後にχ2検定について、こちらは論文内に計算方法の説明などがないので気になる方は
『カイ2乗検定』www.geisya.or.jp/~mwm48961/statistics/kai2.htm
の「簡単な例でイメージ作り(2)」と■要約■の2を参考にしてください。(独立性の検定についてです。)
分布表では自由度2のχ2を見てください。
こちらは『カイ2 乗分布表』www3.u-toyama.ac.jp/kkarato/2012/…/CHISQ-TABLE.pdfが詳細で分かりやすかったです。)

引用文献
YAHOO!知恵袋detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

参考文献
『カイ2乗検定』www.geisya.or.jp/~mwm48961/statistics/kai2.htm
『カイ2 乗分布表』www3.u-toyama.ac.jp/kkarato/2012/…/CHISQ-TABLE.pdf

あいづちとの比較によるフィラーの機能分析

こんばんは。夜ゼミ三年の依田です。最近暖かくなってきたので、よく散歩をしています。ちょっと寂れた団地なんかを歩いていると癒されます。体を動かしてストレス発散にもなるので、就活に疲れた三年生の方などにおすすめです。

さて、今回は石川 創 2010. 「あいづちとの比較によるフィラーの機能分析」『早稲田日本語研究 第19号』 pp.61-72を要約しました。

この論文では、これまでのフィラー研究について、用法や機能に一定の見解が無い事や、定義が研究者によって異なっている事。またフィラー用法とあいづち表現の違いに関する定義が曖昧であり、研究も不十分である事を問題点として挙げています。そしてフィラー用法とあいづち表現の違いや、フィラー用法の具体的な定義を明らかにするために実際にフィラー用法とあいづち表現との比較がされていて、その結論として「フィラーは自分の都合のみを考えた場合、あいづち表現は相手の都合を考慮した場合に使用される」という違いがあるのでは無いかとまとめられていました。以下では、石川が行った具体的な研究方法や、結論の根拠などについて簡単にまとめていきたいと思います。

まず研究方法についてですが、石川はフィラー用法を「発話中にあらわれる感動詞類」と定義し、それとあいづち表現の用例を収集し、それらの用例を、相手の情報を受け入れる「受容」と自分の発言を受け入れさせる「念押し」の二つに分類して比較をしていました。その結果、あいづち表現では基本的に「受容」の用法で使われているのに対して、フィラー用法では「念押し」の用法が使われているという事が分かりました。

(1)A:レコーダーってどれくらいとれるんですか?
B:これですか?
A:うーん
C:まあ何百時間てとれるよね?
B:そうですねえ

例えば(1)のようなあいづち表現の「うーん」や「そうですねえ」は相手の発言を「受容」していて、それが連続した会話を滞りなく成立させる機能を果たしています。このような受容のあいづち表現は相手に働きかけているもので、これを省く事は出来ないと石川は述べています。

(2)A:で、それでけずる? みたいな感じにする。うん

それに対して(2)のようなフィラー用法の「うん」では、相手の発言では無くむしろ自分自身の発言を肯定する働きをしています。これは自分の発言を自分で確認することで、相手に自分の発言が正しかった事を「念押し」しているのですが、この場合は相手に働きかけるというよりも自分自身の都合によって使用されるものであると石川は述べています。また自分の都合のみによって使用され、相手に働きかける事が無い機能なので、文中から省く事が可能です。

以上のように、自分か相手か、どちらに働きかける機能を持つかという点にフィラー用法とあいづち表現の違いがあるのだという事が分かりました。そして、用例によってはどちらか一方でしか使えないものもあり、例えば「あのー」や「えーと」などの、常に自分の都合によって(自分の次の言葉を紡ぎ出すまでの間つなぎとして使われるため)のみ使われる言葉などには、使用される場面に制限があるともまとめられていました。

参考文献
石川 創 2010. 「あいづちとの比較によるフィラーの機能分析」『早稲田日本語研究 第19号』 pp.61-72

カタカナ語の使用における中高年者と大学生の比較

こんにちは、夜ゼミ3年の神村です。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。春も近づいてきて、私の大好きなクリームパンの季節となって参りました。皆様もクリームパンをたくさん食べて精気を養ってください。

さて、今回紹介する論文は以下のものです。

杉島一郎(2006)「カタカナ語の使用における中高年者と大学生の比較」『仁愛大学研究紀要4』pp.45-56

□カタカナ語に対する意識調査

杉島は日本語の乱れの一つと言われているカタカナ語の使用において、大学生と中高年者にカタカナ語の使用率を比較する以下の概要の実験を行った。

・被験者(福井県内に限る)

大学生…私立文系大学133名(男61女72) 平均年齢 19.7歳 範囲 18~25歳

中高年者…社会人71名(男44 女27)平均年齢 48.6歳 範囲 34~68歳

・材料

大学生…日本語でも対応可能なカタカナ語270語

中高年者…大学生の選んだ単語を使用頻度によって振り分けた144語(被験者

への負担軽減のため大学生よりも少なめ)

・回答方法

「使う」「使わない」「使うこともある」の3種で回答してもらう。

□  実験結果

杉島は、当初の予想として、文化庁(1999,2000)が出した世間一般の傾向と

同じく、若者がカタカナ語の乱用者と捉えていた。

しかし、結果として、主に以下の4点が注目すべき点として、挙げられた。

・  中高年者の方がカタカナ語を「使う」割合が多いものが多くみられた。

・  全体の約2/3にあたる94語については、中高年者が「使う」としている。

・  大学生との使用頻度の差が5%以上のものが70語もあった。

・  数値で見ると、大学生のカタカナ語を「使う」割合は46.9%、中高年者の割

合は51.7%となった。

大学生より中高年者のほうがカタカナ語をよく使用するといえる。

□  杉島の考察

杉島は、この実験結果と、文化庁の言語意識調査で「日常生活に外来語・外国語を交えることを好ましい or 好ましくない」とした設問に対し、20~29歳で「何も思わない」という回答が多かったことを理由に、「大学生のカタカナ語離れ」という見解を立てた。

ここには文化的背景として、彼らがカタカナ語を珍しいものではなく、もはや日本語の一部として認識しているのではという考えも役立ったといえる。

この論文で面白いところは、従来の大方の予想に反した結果から、「大学生のカタカナ語離れ」という説を確立したとこにあると言えます。「何も思わない」という一見無関心な回答から、その結論まで持って行く杉島の力強さには脱帽ですが、本人も文中で言っている通り範囲が福井県内という非常に狭い点と杉島のいう文化的背景に基づいた見解がやや利己的である点が少しひっかかりました。しかしながら、今後の自分の研究に役立つ論文であり、カタカナ語と若者言葉というこれまでにない視点での研究も進めて行こうと考えました。

[参考文献]

・  文化庁(1999)平成11年度「国語に対する世論調査」の結果について

・  文化庁(2000)平成12年度「国語に対する世論調査」の結果について

連体修飾節の形容詞的用法と他動性

こんにちは、夜ゼミ2年の石井です。
先日は夜ゼミの新年会楽しかったですね。あの場で僕のキャラがおかしいことになっていましたが、実際は違いますからね!

さて、今回僕が紹介する論文は蔡梅花(2013)「連体修飾節の形容詞的用法と他動性」『日本アジア研究』第10号です。
この論文では、形容詞的用法になりやすい動詞の特徴を、その動詞の他動性という観点からの説明を試みています。
まず、動詞が「タ」形と「テイル」形は日本語のアスペクトの基本形式であることを挙げています。ですが、連体修飾節ではアスペクトを表さない場合があり、この時の用法を形容詞的用法と呼んでいます。通常「タ」形は「完了」のアスペクト、「テイル」形は「継続」のアスペクトを表すが、以下のような(1)、(2)の例ではアスペクトを表さないと説明しています。

  (1)割れた皿。
  (2)割れている皿。

このような形容詞的用法はすべての動詞に起こる現象ではないことに注目し、その違いと特徴について考察しています。

先行研究は寺村(1984)、高橋(2003)、森田(2002)を紹介しています。寺村(1984)からは、主格が修飾部に現れるか、非修飾名詞に現れるかが形容詞的用法になるかどうかと関係があるのではないかと考え、問題点として取り上げています。
高橋(2003)では、動詞が述語として用いられなくなるという動詞の意味の面からアスペクトを表さない場合を論じています。
森田(2002)は、連体修飾節に使われた動詞がその本来の動作性を失い、非修飾名詞の属性になる場合に形容詞的用法になり、このとき「タ」形と「テイル」形は同じ意味を表しているということを説明しています。そして、森田は話者の認識の有り様と視点で連体修飾節の「タ」の特徴を分析しています。
以上の三本の先行研究から、形容詞的用法の問題について動詞がアスペクトを失うとき、また失いやすい動詞はどういうものかが問題であること指摘し、先行研究では統一的な視点からの説明がないため、蔡は他動性という観点からの説明をしています。

蔡は、コーパスデータ使用して、形容詞的用法の用例を収集し分析しています。その際、形容詞的用法と認定するための基準を以下の4項目を作っています。
 ① 連体修飾節の「タ」形7が「過去」の意味も「完了」の意味も表さない。
 ② 連体修飾節の「テイル」形が継続の意味を表さない。
 ③ 「タ」形と「テイル」形が交替可能な場合、意味の違いが生じない。
 ④ 「タ」形と「テイル」形が交替不可能な場合でも、①②の項目に当てはまれば形容詞的用法に形容詞的用法とする。
この基準にヒットした用例は3495個でしたが、その中で用例が5例以上ある66個の動詞を検証しています。4例以下は形容詞的用法に現れにくいと考えたためです。
まず、66個の動詞を自動詞と他動詞に分け、さらに自動詞を非対格動詞、非能格動詞、非対格・非能格動詞に分けています。非対格動詞とは、主語が指すものの非意図的事象を表すもので、非能格動詞は主語が指すものの意図的な動作を指すものです。非対格・非能格動詞は、前の2種類の動詞の性質を併せ持つものです。また、他動詞は、再帰動詞と意志動詞にわけています。
分析の結果、形容詞的用法に現れやすいのは自動詞であり、全体の82%を占めています。そのうち、非対格動詞が67%、非能格動詞が6%、非対格・非能格動詞が9%でした。他動詞は18%ですが、再帰動詞がその中の12%分であることも注目するべきところです。再帰動詞は、自動詞に似た性格を持っていることを指摘しています。このことから、他動詞は形容詞的用法の用例は多くないことを述べています。

以上のことを踏まえ、動詞の他動性との関係について書いています。
形容詞的用法に現れた他動詞は12個ですが、これらは動作主の動作が対象に及ぶだけで、対象に変化を起こさないものです。つまり、対象が変化を被らないということは、他動性が低いということだと述べています。よって、他動性が高い動詞は形容詞的用法になれないが、他動性が低い動詞は形容詞的用法になりやすいという予想をしています。
この予想を検証するために、66個の動詞を「変化後状態」、「動作後状態」、「状態」の3グループに分けています。これらをさらに、動詞の意味の側面と形の側面から検証し、筆者が動詞をの他動性を表にまとめています。
この検証から、66個の動詞はすべて他動性が低いことを明らかにしました。
そして、まとめとして、形容詞的用法と他動性の関係を3点挙げています。

 1. 形容詞的用法は、他動性が低い非対格動詞に現れやすい。
 2. 形容詞的用法は、他動性が高い他動詞・非能格動詞には現れにくい。
 3. 形容詞的用法は、他動詞であっても、他動性が低い動詞なら形容詞的用法になれる。

この論文の面白い点は、動詞の連体修飾節における形容詞的用法を他動性という観点から考察している点だと思います。動詞が述語としての役割ではなく、修飾としての役割で使われる場合は、他動性が低いものしか形容詞的に使えないということを実際の用例から指摘しているのはとてもよい視点だと思いました。

一つ批判をするならば3495例収集した中で、4例以下の動詞を省いて考察しているところです。用例数が少ないということは、蔡がまとめた他動性との関係に反するものが入っているということが考えられます。概ねまとめている他動性との関係には納得できますが、省いてしまった動詞を考える中からも特徴が見いだせたのではないかと思います。

引用文献
高橋太郎(2003)『動詞九章』ひつじ書房
寺村秀夫(1984)『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』くろしお出版
森田良行(2002)『日本語文法の発想』ひつじ書房

近世後期上方語における“ちやつた”について

こんにちは、夜ゼミ二年の内藤です。

2月4日から免許合宿に行きます。一人で。相部屋です。山形の県南です。寂しさ、寒さ、孤独感に耐えるために行くのでしょうか。免許取得と何か他にも取得してしまいそうです。みなさんも、免許合宿に行くときは消費税など気にせず、友人と行く、または一人であれば部屋をシングルにしましょう。

 さて、今回レポートする論文は増井典夫「近世後期上方語における“ちゃった”について」『国語学研究』45巻 P26-34, 国語学研究刊行会です。

 増井は以下の(1)や(2)のような京都板洒落本の『興斗月』で使用される「ちやつた」という表現について、この表現は京都語として認められるかについて述べています。ここでいう京都語は京都市内に限定される方言のことを指します。

 (1)  おまへとだれといちやつた

(2)  梅尾はんあいにやちやつた

 「ちやつた」に関する先行研究としては、辻(2003)が挙げられています。しかし、近世後期の京都語において「ちやつた」が用いられているということを検証なしに認めた点で不十分であり、「ちやつた」については京都語として認められる記述はどこの資料にも存在しないと著者は断言しています。理由としては、「ちやつた」の表現のある作品の少なさと「ちやつた」使用地域を挙げています。前者では、辻(2003)は京都板洒落本の資料として「風流裸人形」「風俗三石士」「うかれ草紙」「當世嘘之川」「竊潜妻」「河東方言箱枕」「興斗月」「千歳松の色」の計八作品を挙げています。このうち「ちやつた」が現れるのは「興斗月」という作品のみであるためです。後者では、楳垣実編『近畿方言の総合的研究』と中井幸比古編『京都府方言辞典』にある記述を参考に述べています。この二冊からわかることは以下です。

 「ちやつた」は丹波及び丹後地域の一部で使用される敬語用法で、京都の中心部(京都市)では使用されない、またはされてこなかったが、その北の地域や南の地域ではかなり広く使用されている言葉である。

 『京都府方言辞典』には「ちゃつた」の使用が京都市左京区静原で確認されたとありますが、この場所は旧愛宕郡であるため、元々は京都市でないため著者は京都語と認めていません。

では、何故『興斗月』には「ちやつた」表現があるのでしょうか。著者は二つの解釈を挙げています。

(3)「ぢやつた」とみる。

(4)作者は丹波・丹後あたり、あるいは京都南端あたりの人間であり、そこの方言がまぎれこんだ、とみる。

(3)においては濁点の脱落として考えています。上方語として「ぢゃ」「ぢゃった」は一般的です。「風流裸人形」「うかれ草紙」に見られる芝居(しはい)、有かたい(ありかたい)のように明らかに濁点が落ちたものと思われるものがあります。(4)においては『興斗月』の作者が不明であるため論証が難しいとしています。

以上のことから、京都中心部(旧京都市内)で「ちやつた」が使われたと認められることはなく、今もないとわかります。終わりに、「ちやつた」のような、一作品のみで見られる事象をどう扱うべきか、作者不明の作品であれば扱いも変える必要があるか、ということも考えなければならないと著者は述べています。

 この論文において特に面白いと感じたのは京都府方言を調査する際、市内とそれ以外の地域では意外な違いがあること、現在は市内でも元は市内でなかったことも考慮した上で方言研究は進められるのだということです。方言研究ではテーマを絞る際、その調査を行う地域も限定しなければならないと知りました。また、著者が述べている文献上例外的な方言の扱いには注意が必要であると思いました。確実に論証していくには、挙げる例についてもその使用頻度、地域、作者に関しても注目していきたいです。

引用文献一覧

辻加代子2003「京都板洒落本にみる待遇表現形式の消長と運用―女性話者の発話とナサル・ナハル・ヤハルに注目して―」『国語学』54巻pp.116~117

楳垣実編 1962『近畿方言の総合的研究』三省堂

中井幸比古編 2003『京都府方言辞典』和泉書院

新敬語「っす」に見られる男女差

タイトル:新敬語「っす」に見られる男女差

こんにちは、夜ゼミ2年の梅本です。先日学校と国会図書館を徒歩で往復するという謎の行動をしでかし、案の定次の日筋肉痛になりました。電車で2駅なので余裕だろうと思っていましたが…。文明の利器は素晴らしいですね。ところで、今回は以下の論文について要約しました。

永冨 智子(2012)「新敬語「っす」に見られる男女差」『社会システム研究』北九州立大学大学院社会システム研究科 pp.81-90

この論文では「いいっすか」や「俺じゃないっす」などの「っす」について、男女の使用頻度や使用される場面の違いについて研究しています。この「っす」とは丁寧形「です」が変化したタメ口と敬語の中間的な言葉で、相手に対する親愛や親しみと敬意の両方を兼ね備えたものであるとされており、新敬語や中間敬語と呼ばれています。先行研究では「っす」の使用は男性に多くみられ、中でも体育会系の男性が多く使用しているとされていました。また最近では女性の使用も見られるようになり、男女の使用における意識の違いについても研究されており、男性よりも女性の方が意識して使用していることが示されています。しかしこれらの研究はアンケートをもとにした調査であるため、この論文では次のようなテレビ番組を用いて実際の会話における使用例を収集し、男女差について再検証しています。

≪調査対象≫

番組:「グータン・ヌーボー」(4回分)。

内容:タレントやお笑い芸人など44歳~19歳の男性(計9人)と女性(計10人)がカメラを忘れ、仕事であることを忘れてプライベートを過ごす。

≪調査の結果≫

①男性は3人に2人が使用し、女性は3人に1人が使用していた。

②使用回数は男性が37回であるのに対して女性は9回であった。

③男性は目上や目下に関係なく使用していたが、女性は目上と同輩にしか使用していなかった。

この結果から筆者は、男性の方が使用者や使用回数が多いものの女性も使用しており、また男性は年長者から年下まで上下関係を意識せずに使用しているのに対して、女性は年下の者が自分より上の者に親しみや敬意をこめて使用しているという違いがあると言えると述べています。さらに筆者は実際の使用場面に注目し、男性は様々な場面で「っす」を使用しており特別な配慮をして使用しているとは考えられないが、女性は数は少ないものの効果のあるところで使用しており、それらは相手との距離を縮めるためにストラテジーとして用いていると考えられると指摘しています。

この論文の面白いところは実際の会話をもとにしているので、アンケート形式では調査しきれない意識していない場合の使用についても調査できているという点だと思います。そのため、意識の有無にかかわらず女性も使用していることや男性とは違い女性はストラテジーとして用いているという結果が得られておりとても興味深いものでした。しかし、自由な発話をコンセプトにしていてもあくまでテレビ番組であるため視聴者の目を考慮し丁寧な言葉を用いている可能性もあり、男女間の使用回数や使用者の差についてはもう少し検証をする必要があるのではないかと思いました。また、調査対象者には様々な職業の人が含まれているが全員芸能人であり、これまでの先行研究の多くが対象としている学生においても同じような結果になるとは限らないのではないかと感じました。そのため、調査の対象とする人や場面を広げて引き続き研究していきたいと思いました。

条件文の分析

こんにちは、夜ゼミ2年の上野です。今年で愛犬は11歳になります。年を取ってくると、犬も人間と同じように、自己主張が強く、食欲が増し、ミニブタのようになってきました。ダイエットをさせなきゃいけないのですが、可愛いので迷っています。

さて、本題に入ります。私は加藤重広(2006)「ねじれた条件節を持つ条件文の分析」『日本語用論会大会研究発表論文集』(2)pp.49-56の論文を要約しました。

 筆者は、条件文には種類があり、基本条件文ねじれた条件節を持つ条件文があると述べています。前者は、前件が導入する世界において前件が後件の成立を左右しているものであり、後者は、前件が導入する世界において後件の成立が左右されないものだとしています。以下、わかりやすくまとめていきます。

基本条件文
(1)学生なら、入場料が2割引になります。
(1’)Xが学生なら、Xは入場料が2割引になります。

まず、(1)のような文を条件「節」としてよいかを検討しています。(1)を(1’)のように解釈すると、前件と後件には同じ不定項が存在しており、前件が導入する「Xが学生である」という世界において「Xは入場料が2割引になる」と見ることができます。つまり、(1)は条件節と帰結節に同じ不定項を含み、その不定項を消去するという形になっており、形式は単文に近く、内容は複文として理解することができると筆者は述べています。

ねじれた条件節を持つ条件文
(2)トイレなら、2階にありますよ。
(2’)Xがトイレなら、Xは2階にありますよ。

(2)の例文を(2’)のように考えてみると、Xには「あなたが探しているもの」が入ると考えることができます。しかし、これは(1)と同じようなことが言えるのかと筆者は考え、(1)と(2)の文を否定文にし、比較してみました。

(3)学生でないなら、入場料は2割引になりません。
(4)*トイレでないなら、2階にありません。

(3)は自然な文章になりますが、(4)は不自然な文章になってしまいます。これからわかることは、(1)と(2)の構造は類似していても、意味的に異なっているということです。「学生である」かどうかが「入場料が2割引になる」かどうかを左右するのに対し、「トイレを探している」かどうかが「トイレが2階にある」かどうかを左右していないことがわかると筆者は主張しています。

 次に、筆者は条件文とポライトネスの関係について説明しています。

(5)寒いのなら、暖房をつけるよ。
(6)寒いなら、暖房をつけるよ。

この2つの例文は、どちらも「寒さを感じると想定される者」が聞き手です。例えば、(6)を「君は、寒いのがまんしてたの? 僕は寒いなら暖房つけるけどね」のような少しくだけた反事実的な文章で考えると、発話者の言葉になります。しかし、「君は寒いのがまんしてたの? 僕は寒いのなら暖房つけるけどね」となると不自然になります。「のなら」の「の」を文末で使われる「のだ」の「の」と同じだと考えると、「のだ」はすでにそうなっていて確定しているということであり、すでにそうすることの判断が終わっているという「判断済み」の意味であると述べています。「判断済み」の「の」に条件辞が付くと、「判断の確認」を相手に要求することになると説明されています。したがって、(5)では相手が寒いかどうかの判断の確認をしたと考えられます。要するに、(5)で「相手が寒いかどうか」ということを相手の代わりに言い、その結果、確定的な判断を有標的に相手に任せることは、相手への負担を最小限にするための発話者の行動であり、Leech(1983)の論文に挙げられている、気配りの公理と寛大さの公理のポライトネスに繋がるものだと筆者は主張しました。

この論文の面白い点は、条件文がポライトネスと関係しているところです。他の論文では、論じられていなく、とても興味深い内容でした。しかし、この論文では「の」と条件辞「なら」についてだけ述べられており、他の助詞や条件辞でもこのようなことが言えるのか疑問を抱きました。使う助詞や条件辞によっては、ポライトネスとは関係のないものもあると考えられるため、今後研究していく必要があると思いました。

参考文献
加藤重広(2006)「ねじれた条件節を持つ条件文の分析」『日本語用論会大会研究発表論文集』(2)pp.49-56

広告の文末表現について

こんにちは。昼ゼミ2年の榎本です。中学・高校時代の吹奏楽部の合言葉は「NO MUSIC,NO LIFE」でした。…このブログのタイトルに、とても既視感をおぼえます(笑)

さて、私は大学で「広告研究会」というサークルの会長を務めているのですが、それに関連して今回は嶺田明美氏・長澤輝世氏の『広告の表現について(1)-テレビコマーシャルの表現形式と文末表現-』(學苑 862, 13-23, 2012-08-01  昭和女子大学)という論文を要約しました。

この論文では、テレビCMのことばの特徴は

(1)ニュース・告知重視形式、データ重視形式、効用・利用重視形式のような、やや一方的に商品の情報を伝え、商品の良さをアピールするもの

(2)警告重視形式、依頼・呼びかけ重視形式、問いかけ重視形式、情緒重視形式のような、画面越しではあるが視聴者とのコミュニケーションを図り、企業や商品に興味を持たせようとするもの

(3)語呂重視形式や商品名重視形式のような、ことばの配列を工夫して面白みを与えることでイメージアップを図ろうとするもの

に分けられると述べています。以下、わかりやすくまとめていきます。

筆者は宇佐美(1995)と村田(2004)を参考に、広告の文末表現を「敬体」(文末が「です」「ます」)、「常体」(文末が「だ」「である」)、「体言止め」「中途終了型」(述語が省略されている)の四つに分類しました。そして、①ニュース・告知②データ③警告④依頼・呼びかけ⑤問いかけ⑥情緒⑦効用・利益⑧語呂⑨商品名という九つの広告の形式ごとにそれぞれの文末表現が使用されている数を調査しました。

結果として、全体を通して体言止めが約49%と大半を占めていることがデータとして明らかになりました。村田(2004)は、「体言止めは文にするよりも短く終えることができ、また、文末を常体にするか丁寧体にするかの解釈を視聴者に委ねることができる」と述べています。このことから、筆者は様々な年代や性別をターゲットとするテレビCMに効果的な文末表現であると考えています。⑨商品名重視形式は、商品名を繰り返し、その商品名で文が終わることが多いため、体言止めが多く使用されています。「名門ダテーラ農園の豆を2倍使用」「ほろ甘い。ほろうまい。サントリーほろよい。」といったように(1)や(3)の特徴が顕著にあらわれた文末表現であるとしています。

敬体常体の1/3以下であるというデータも明らかになりました。滝浦(2008)は「敬語は〈距離〉の表現である」と述べています。敬語を無くすことで視聴者は企業との間の距離が縮まり、親密さを感じることができるということを主張しています。このことから、テレビCMでは丁寧さよりも視聴者との距離を縮め、近しい存在に感じてもらうことが重要であるとしています。しかし、④依頼・呼びかけ重視形式と⑤問いかけ重視形式では、常体が大部分を占めていながらも敬体の数が他の形式に比べて多いという結果となりました。これに対し、筆者は「依頼」は視聴者との距離を縮めることよりも視聴者に依頼することに重点を置いているため、弱い立場である企業側が強い立場である視聴者側に敬体を使用することは自然なことであると述べています。(例:「その走りを実感してください。」)

「呼びかけ」は終助詞の「よ」「ね」を用いて会話のように相手(視聴者)を意識した親愛の表現をするが、その際馴れ馴れしくならないよう丁寧系に接続されるとしています。(例:「深みにハマりましたね。」

また、「呼びかけ」の意味が強くなると視聴者との距離を縮めることに重点が置かれるため、敬体よりも常体や中途終了型が用いられるようになると述べています。(例:「毎日の歩くを活かせ!」「そうめんであったまろ。」)

⑤問いかけ重視形式も敬体の割合がほかよりも高くなっています。問いかけること自体が主眼ではなく、その後の商品を勧めるきっかけが問いであるため、視聴者との距離を保って配慮しているのではと筆者は考えています。(例:「英語、好きですか?→好きなことをライフワークにしよう。」)しかし、自問する形のコピーでは常体が用いられます。(例:「自然はなぜ、この乳酸菌に特別な力を与えたのだろう→リスクと戦う乳酸菌」)

これら全般が、(2)の特徴をあらわした文末表現であるとしています。

以上、文末の表現から情報を一方的に伝える形式は体言止めで効率よく伝え呼びかけや問いかけにより視聴者を意識した形式は常体で距離を縮めつつ、動詞や形容詞を使って文脈をきちんと伝える傾向にあると筆者はまとめています。

身近な広告が実は文末表現によって視聴者の購買意欲を操作していたことが分かり、とても新鮮でした。今回は常体が占める中の一部の敬体という形で論じられていましたが、依頼や問いかけでの敬体と常体の違いを別々に考察することで、より深く違いを研究できるのではないかと考えました。また、村田(2004)の先行研究にあったように登場人物が大人で視聴者の年齢層も高い場合、丁寧な話体が基本であると考えられるため、対象とする年齢層ごとにCMを絞って研究する必要もあったように感じられました。

【参考文献】

宇佐美まゆみ(1995)「談話レベルから見た敬語使用-スピーチレベルシフトの生起の条件と機能-」『学苑』(662)、pp.(27)-(42)昭和女子大学近代文化研究所

滝浦真人(2008) 『ポライトネス入門』研究社

村田和代(2004)「テレビコマーシャルの好感度-世代別言語ストラテジーの視点から-」三宅和子・岡本能里子・佐藤彰 編著『メディアことば(1)特集「マス」メディアのディスコース』ひつじ書房

フィラー「その」の言い訳的ニュアンスについて

こんにちは。昼ゼミ3年の相川です。
年が明けまして、新成人のみなさんおめでとうございます。自分の成人式からもう1年が経つのか…と、時の流れの速さにただただ驚いてしまいます。あっと言う間に過ぎてしまう一瞬一瞬を大切にして、有意義に過ごしていきたいと思うばかりです。あと、インフルエンザやノロウイルスなど流行っているようですね。加えて、まだもう少し寒い日が続くと思うので、みなさんお体気を付けてお過ごしください。

以下、堤良一(2008)「談話中に現れる間投詞アノ(ー)、ソノ(ー)の使い分けについて」の要約です。

 堤は、複数の先行文献を参考にしながら、アノとソノについてさらに考察をしている。

 まず、定延・田窪は、アノとソノの基本的用法を以下のように示している。
 (1)アノ 聞き手を想定した言語編集であり、名前の検索と適切な表現に二分される
  P(言いたいコト/モノ)→L(語彙・表現形式)
 (2)ソノ 発話形式の編集作業
  L→L´(Lと同じ内容を表す別の語彙・表現形式)

 堤は、Lからさらに別の表現形式を編集しなければならない場合は、より洗練された語彙や表現を用いなければならない場合だとしている。いったん作成したLを参照して新たにL´を編集し直すという作業が必要になると考えられるからである。ソノは特に抽象的な会話で用いられるとしている。相手に誤解を招かないような発話を行ったり、専門的な用語を用いて話したりするなど、より慎重に言語編集を行う必要があるために、LからL´を作る作業が行われ、結果としてソノが発話されるようになるのである。一方、身近な話題を話すような場合はその必要が相対的に少ないので、ソノの使用率は下がると見ている。

 例1 田中さん、実は…その…折り入って相談したいことがあるんですけど…。
 例2 美子さん、あのその…僕はあなたが好きなんです!

 このように、切り出しにくい話題の場合は、言いたいことが決まっていても、それを適切な表現にのせて話さなければ自分が不利益を被ったり、あらぬ誤解を受けたりする。このような場合は、L´を作ろうとすることが用意に想像できる。

 また、アノは、発話の効果を和らげるために用いられることが定延・田窪で指摘されている。アノを使うことで発話形式に気を配っているという態度を表出し、結果として発話のぞんざいさ・さしでがましさを減殺できるとしている。

 例3 あのー、窓を開けてもらえますか?
 例4 先生、あのー、ズボンのチャックが開いてますよ。

 堤(2004)は、ソノにも「言い訳的ニュアンス、言いにくいことを切り出す」効果があると指摘している。

 例5 課長:最近元気がないな。何か悩み事でもあるのか?
      部下:課長、実は、そのー、会社を辞めたいと思っているんです。
 例6 (別の女性と手を繋いで歩いているところを恋人に見つけられた)
    花子:太郎さん、この女の人、誰?
    太郎:あ、花子、いや、これは、その…。

 これを受けて大工原はソノについて考察を進めた。言い出しにくい内容を発話する場合には、適切な表現を用いて、相手を傷つけたり怒らせたりしないようにする必要がある。ソノを用いることで、そのような配慮を話者がしていることを聞き手に伝えることができると考えられる。また、ソノを用いることで、素直に伝えるべき内容Pを、表現形式を複数用意することで、曖昧にしたりごまかしたりしようとするような意図が伝わってしまう。その結果として堤の言うような言い訳的ニュアンスが生じるのだと、大工原は述べている。

 最後に、前回の発表で、ソノの後に黙り込む以下の例文があった。

 例7 夫の浮気が妻に発覚した場面
     妻:これはどういうことなの?ちゃんと説明しなさいよ!
     夫:そ、それは、そのー…。

 「あのー」だと、どういう言い方をしようか長期記憶を参照しながら過去のことを思い出しているニュアンスが出てくると指摘を受けた。また、そもそも「言いにくさ」とは何だろうかという指摘も受けた。そこで今後は、録りためた「徹子の部屋」と「朝まで生テレビ」や、名大会話コーパスを用いて、ソノの持つ「言い訳的ニュアンス」について細分類も加えながら自分なりに実証していきたい。

参考文献
定延利之・田窪行則(1995)「談話における心的モニター機構 ―心的操作標識「ええと」「あの(ー)」―」『言語研究』108、         日本言語学会、p74-93
堤良一(2004)「アノー・ソノー ―談話管理の視点からみた日本語のフィラー―」『第295回岡山国語談話会における口頭  発表』岡山大学、p1-11
大工原勇人(2005)「間投詞「あの(ー)」・「その(ー)」の使い分けと指示詞の機能との連続性」『日本語学会2005年度秋季大会予稿集』日本語学会、p74-93
堤良一(2008)「談話中に現れる間投詞アノ(ー)、ソノ(ー)の使い分けについて」『日本語科学』23、p17-36

感謝表現の使い分けに関与する要因

こんばんは。昼ゼミ3年の鹿野です。
スーツばかりの毎日で気が滅入りそうになりますが、体調にも気を付け頑張りたいと思います。
今回は次の論文を要約しました。

岡本真一郎(1992)「感謝表現の使い分けに関与する要因(2):「ありがとうタイプ」と「すみませんタイプ」はどのように使い分けられるか」『愛知学院大学文学部紀要』第22号、pp.35-44

感謝表現には様々なものがある。日本語の感謝表現に特徴的なのは、「すみません」等の謝罪と共通の表現がよく用いられることである。
この論文ではこれらの感謝表現に何らかの使い分けの基準が存在する事を予想し、女子短大生104名にアンケートを行った。

同性同年代と初対面の年上の人との2種類の相手に対して様々な状況のときに何と返事するかを言葉で記入させ、
さらに、各状況の印象(気楽さ、気分のよさ)などを7点満点で評価させた。

状況は、席を空けてもらう、1万円を返却してもらう、ピアノ演奏してもらう、御馳走してもらう等の19場面である。

今回のアンケートで岡本が着目した使い分けの要因は

(1)状況(感謝すべき内容)
(2)対人関係(相手との親疎)
(3)相手の行動が話し手の依頼に基づいているのか、自発的なものか
(4)恩恵状況と補償状況の区別
※恩恵状況とは、相手の行動が一方的に話し手に利益をもたらした場合
 補償状況とは、相手が事前に話し手に何らかの負債、不利益(例:借金)を与えており、それを修復するために行動した場合

である。

結果では、(1)の状況での使い分けは、相手の負担が大きいと感じられる状況ほど謝罪型が多用され、感謝型が少なくなる傾向が非常にはっきりと示された。
これは、相手が被ったコストへの配慮が謝罪型の使用に結びつくことを示唆していると考えられる。

(2)の対人関係での使い分けは、疎遠な相手に対しては敬語が使われた上で、謝罪型が多用される傾向も見られた。
相手との心理的距離が大きいと、同じコストの行動でもそれを配慮する必要性がより大きくなるためと思われる。

そして今回のアンケートの結果で、岡本は
(3)の依頼に基づいての行動か、自発的な行動かと(4)の恩恵状況と補償状況による使い分けは明瞭ではなかった。としている。

この岡本のアンケートでは、他の研究者がしているように何と返事をするかだけではなく、印象も点数によって評価している点が面白いと感じた。
2.8ポイントの席を空けてもらう状況よりも、6.0ポイントの1万円を貸してもらう状況の方が謝罪型が多用されているなど結果がわかりやすく、面白い。

また、(3)(4)の使い分けが明瞭ではなかった。としているが、
個人的には(3)は相手の行動が自発的なものの方が「ありがとう」などの感謝型が使用され、依頼に基づいている方が「すみません」などの謝罪型が使用される傾向があるのではないかと感じた。
また、(4)は恩恵状況の方が感謝型が使用され、補償状況の方が謝罪型が使われる傾向があるのではないかと考えた。

この2点の使い分けについては今後、更に自分でも研究をしていきたい。